第22話 我は帰ってきた
ここにくるまでに、
たまたま貝との戦いのあと、一度も長剣を使っておらず、毒がまだついたままなのではないか。熊に追われながら晶は思い出していた。それほど強い毒なら、森の主にも効くのでは、と思い、二人とも生き残るために一か八かの賭けに出たのだ。
レオは飲み込みが早く、晶のつたない説明をすぐに理解してくれた。きれいな白い歯を見せながら、面白そうに笑う。
「ふうん、この森にそんな危険な貝がいるのか……兄上に報告しておかねば。しかし君、大人しそうな顔をして危ない橋を渡るなあ」
それについては言い訳のしようもないので、晶はあいまいに笑った。
「勝ちおったわ」
レオと二人で喜びを分かち合っているところへ、カタリナが水をさす。晶はぎろりと空中をにらんだ。
「運がよかっただけだと言いたいんだろ」
「何を申すか。この世は運が全てじゃぞ、小僧。貴様を観察するのは実に面白い」
「うっとうしいなあ……」
「……何を空中に向かってぶつぶつ言っている?」
カタリナが見えないレオが、顔をしかめる。晶が適当にごまかしていたところ、背後の木々の向こうから大人数の足音が聞こえてきた。
「若様ー!」
「アキラー!」
全身鎧に身を包んだ騎士たちと、身軽な獣人たちが、ともに土まみれになって晶たちの前に現れた。全員、顔がカチガチにこわばっている。晶とレオが揃って手をふると、ようやく気が抜けたのか、一同から笑みがこぼれた。
騎士たちと獣人たちはいつの間にか仲良くなっていて、二人の無事を一緒に喜び合っている。嫌いな人間が同じだと、うまが合うのだろう。知らない間にすっかり混成軍のようになっていた。
騎士たちの中から、一人がすっと進み出てきた。年配の騎士らしく、兜から白髪がのぞいている。
「若様、よくぞご無事で……一体どうやってこの熊を討たれたのですか」
「俺ではない。このものが助けてくれたのだ」
レオの話を聞いた老騎士は、晶に向かって丁寧に頭をさげた。
「それはありがとうございました。お若いのに、剣の達人でいらっしゃる。護衛など不要かもしれませんが、よろしければお家まで責任をもってお送りいたします」
「いえ、家はないというか……」
「おや、流れの旅でもしていらっしゃる? ならば是非セルダ家に仕官を」
話がややこしくなる気配を感じとった晶は、あわてて話をつくろった。
「いえ、ナギという師匠がいましてそいつを助けにいかないと……」
「なんと、ナギ殿とおっしゃいましたか。懐かしい、ルネ様のところで何度かお見かけしました」
思った以上に老騎士に食いつかれてしまい、晶は頭をかいた。
聞けば、ルネは勝手に領地に入ってきた
「ナギ殿はお人柄も気持ちが良いが、剣の腕も優れた御仁でいらした。助けに、とは一体?」
「実は」
晶は、老騎士とレオに一部始終を説明した。話を聞き終わったレオが、おもむろに口を開く。
「エドガー。兄上にもこのことをお伝えしたいのだが」
「そうですな……ではこちらへどうぞ」
晶は老騎士にうながされ、歩き出した。しばらく歩くと、森の中に騎士たちが円陣を組んで集まっていた。その円の中央には、黒馬が二頭草をはんでいる。馬にはきちんと高そうな鞍までついていた。晶が見とれていると、レオが何事もなさそうに言った。
「ここから兄上のおられる陣までは少しあるからな。馬には乗れるだろう?」
レオに言われて、晶は顔をしかめた。おそるおそる生まれて始めて馬にまたがったが、あっという間に酔うわ落ちそうになるわで大変だった。それでも三十分くらい乗ると、それなりに動けるようになって晶はほっと胸をなでおろす。
馬に乗ると、視点がかなり高くなった。広めの土道を進みながら、晶は木の上に止まっている鮮やかな赤や黄色の鳥たちに目を奪われる。進むにつれて道は広くなり、背の高い藪でできたトンネルを抜けると、大きな石畳の街道に出た。
道の横の草原にはずらりと天幕が並び、立派な体格の騎士たちが武器の手入れをしている。そこここに
「兄上、戻りました」
レオが先に立ち、ひときわ大きな天幕に向かって声をかける。しばらくして、背筋がすらりと伸びたさわやかな青年が現れた。黄色みの強い髪と緑の目はレオと同じだが、兄はよく日に焼けていてはつらつとしている。
「遠出をしたと聞いたので心配していたぞ、レオ。アルトワの手のものとは会わなかったか?」
「ええ。そのかわり、森の王と相まみえました。いや、血に飢えた熊ほど恐ろしいものはありませんね」
レオが言うと、オットーは盛大に顔をしかめた。一体どうやって切り抜けたと聞く彼に、レオは晶を紹介しながらことの一部始終を話す。
「弟を助けていただいてありがとうございます。私は昔、ナギ殿とお手合わせしていただいたこともありましたが、一度も勝てませんでした。さすが、よい弟子をおとりになっておられる」
「もったいないお言葉です。……この上お願いはあつかましいのですが、牢の中の囚人を見つけた際は、凪がいないかどうか確認してもらってもいいですか?」
「ふむ。それは問題ないが、館に着いたら、俺は領主を追い続けることになります。牢まで行くかどうかはわからないので、下士官たちによく言っておきます」
これで話は終わった、と晶がほっとしていた。が、横で聞いていたレオが突然身を乗り出してとんでもないことを言い出した。
「兄上、アキラを私の隊に入れていただけませんか? なにせ、私たちは最近のナギ殿のお顔を知りません。検分役としては、アキラ以上の適任はいないでしょう」
「ええっ? 確かにそりゃそうだけど、僕が入っても足手まといですって」
晶は偽りなく本音を述べたが、レオは聞く様子がない。晶そっちのけで、この少年がどんなに肝がすわっているか、どんなに剣の腕が立つかをひたすら力説するものだから、しまいには頭痛がしてきた。
じっと聞いていたオットーは途中からこらえきれなくなったらしく、体を揺すって笑い出す。
「わかったわかった、その辺にしておけ。アキラ殿が逃げてしまわれるぞ」
兄にたしなめられ、レオがようやく静かになった。するとオットーはさっきまでの柔和な笑みを引っ込め、厳しい表情で晶に相対する。
「確かに弟の言うとおり、ナギ殿を取り返すにしても、単純な戦力としてもあなたが来てくれるのは非常にありがたい。しかし、どうしてもできないというのなら無理強いはしません。どうされます?」
晶は苦笑いした。
単純な採集のはずだったのに、吸血鬼にかまれ、毒針に迫られ、森の王と一騎打ちまでした。全く、異世界に来てからろくな目にあっていない。その上、今度は城攻めのお誘いだ。
が、不思議なことに晶はここで終わりにしたいとは思わなかった。
考えてみれば、今回の騒動の全ての元凶は現領主、アルトワだ。どうせなら、あのバカのみじめな最後まで見ておかないときっと後悔するだろう。
心は決まった。晶はオットーに向かって頭を下げる。
「微力ながらお手伝いします。オットー様、レオ様、どうぞよろしくお願いいたします」
☆☆☆
晶と、結局ついてきた獣人たちを加えた反乱軍は街道を進む。途中、夜になったので二回街道沿いで宿をとった。期限の日まであと二日しかないことに晶がじりじりし始めたとき、ようやくゴルディアの町の門が見えてきた。
晶はここに来たときに見た、どっしりした木の門を思い出した。さぞかし苦戦するだろうと思いきや、目の前でするすると門が開いていく。よく見ると、門の近くに衛兵すらいなかった。
「どういうこと?」
「現領主の評判はまことに悪い。内通者くらいはおるじゃろ」
晶が聞くと、上空にいるカタリナがつぶやく。晶は納得し、前方に目をやった。門の横では、緑髪の女が大きく手を振っている。
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