第21話 決闘、森の王
晶の周りが妙に熱くなり、強い獣のにおいが鼻をつく。風が止んだのに、ラヴェンドラ畑の一部が大きくざわついた。次の瞬間、さっき別れたばかりのレオの真後ろに、立ち上がった森の王が姿を現した。
「お願い!」
あれこれ考える前に、
「伏せて!」
晶はレオを畑のなかに伏せさせ、矢の直撃を避ける。そのまま腹這いになって、熊から距離をとった。
「走るか?」
レオが聞いてくる。晶は首を横に振った。
「いや、熊は背中を向けて逃げたら追いかけてくるでしょう。組み合っても勝ち目はないし……せめて、他に気がそれるものがあれば……お付きの軍とかは?」
「普段はもちろんいる。が、ここにはルシャールの鎮魂のために来たのだ。わずかな供の兵しかいない」
「もっと連れてきてくださいよ」
「僕は跡取りではないのだ。仕方なかろう!」
晶とレオはひそひそと語り合いながら、熊の様子をうかがう。一斉射撃を受けた熊の背中には矢が何本も突き刺さり、まるで針ネズミのようになっていた。が、それでも王は目をらんらんと輝かせ、晶たちを探すように円形に動き回っていた。
「しつこいな……」
「全くです。あいつ、なぜ子供ばかり狙うんでしょうか?」
晶はつぶやいた。そういえば、獣人たちの村が襲われたときも犠牲になったのは圧倒的に子供が多かった。なぜ、熊は異様に子供に執着するのだろう。晶はレオに聞いてみた。
「……考えられることは一つある」
妙に冷めた口調で、レオが答えた。晶はそれを聞きたかったが、その前に矢の第二波が降ってくる。晶は頭を庇って身を伏せた。
「アキラ、その子を連れてこっちに来い! 痺れ矢が当たってる、今しかない!」
ホルケウの叫ぶ声がした。見ると、確かに熊の動きが鈍くなっている。晶とレオは目を見合わせた。無言でうなずきあい、ぱっと地面を蹴って走り出す。安全だとわかっていても、熊の背中がちらりと見えたとき、恐怖で顔がひきつった。
「もう少しで林だぞ!」
レオがそう言い終わった次の瞬間、すさまじい殺気と獣のにおいが晶の後方から押し寄せてきた。痺れ矢をはねのけ、王が本気を出したのだ。
振り向いたら死ぬ。はっきりと晶の本能が告げていた。
晶は足を動かす。喉がからからに渇き、目の前の景色がかすむ。隣を走るレオの息づかいが激しくなった。晶は瞬きすら忘れてひた走る。
「そっちは崖だよー!」
晶がようやく、テスラの叫ぶ声に気づいたときにはもう遅かった。必死に走るあまり、林への細い入り口を通り越してしまっている。
目の前には崖。下に広がる緑の木々が見える。止まることも引き返すこともできず、晶はそのまま崖に向かって身を投げた。
☆☆☆
ぎゅっと目をつぶったまま晶は落ちていく。まもなく、水の立てるけたたましい音がした。水中へ沈んでいく独特の感覚があり、晶は慌てて水面へ浮かび上がった。幸い、ラヴェンドラを詰め込んだ袋は腕にからみついている。
鎧を捨てて身軽になったレオと、水面で再会した。二人が飛び込んだところに川が流れていて、助かったようだ。
「まさか、通り過ぎるとは……」
「すみません。でも、さすがにここまでは追ってこないでしょう」
晶がわびを言って川から上がる。レオに手を貸して起き上がらせたところで、上空から大きな黒い物体が落ちてきた。水しぶきがあがると同時に、晶とレオは一目散に近くの木に登った。すぐに水からあがってきた熊が、二人の登っている木を交互に襲い始める。
「な、なんで追いかけてきたんだ! 崖を落ちてまで」
ぐらぐら揺れる木に必死にしがみつきながら、晶が叫ぶ。それを聞いたレオが怒鳴り返してきた。
「あいつが、きっとルシャールを食べたのだ! もちろんそばの大人も食べたろうが、よほどルシャールの肉の味が忘れられなかったんだろうな」
「それで、年の近い子供や僕たちだけを狙ってるってことですか? 熊ってそんなに賢いものでしたっけ?」
「侮るなよ……賢く、そして執念深い。そうでなければ、森の王などと呼ばれるものか」
必死に木にしがみつきながら、レオは吐き捨てた。
「あいつはごちそうの味を決して忘れていない。増援がこちらに来るまで、この上でねばるしかない!」
確かにそれしか、二人とも生き残る道はない。晶はできるだけ木の上部にしがみついた。熊がぐいっと頭を上げ、晶とレオの登る木を交互に見定める。しばらく考えるように低くうなり、レオの登った木に思い切り体当たりした。みしり、と嫌な音をたてて若木の幹にひびが入る。
「レオ様! こっちへ!」
このままではレオが危ない。晶は精一杯身を乗り出して、レオに向かって手を伸ばした。しかし、レオは必死の形相で首を横に振る。
「君まで落ちる気か? 黙ってしがみついておけ!」
「でも! ルシャール様の敵討ちが!」
「従兄弟は僕一人ではない。僕が死んでも、兄上がきっとルシャールの敵をとってくださる。だから余計な心配をするな! 放っておけ!」
レオの威勢とは正反対に、ますます若木がぐらついてきた。晶はじっと考える。そしてキッパリと、レオに向かって言い放つ。
「嫌です。僕、これから飛び降りますから」
「格好つけてる場合か! どれだけうぬぼれているんだ! その細い腕で主の首をとる気か?」
晶を見て、レオが大声を張り上げる。晶はキッパリ答えた。
「そのつもりです」
「……よく言う。錯覚だろうが、本当にやりそうな気がしてきたよ。ならば、やってみよ!」
レオの後押しを受けて、晶は素早く剣を構えた。息を殺して、チャンスがやってくるのを待つ。
まもなく、熊がレオに狙いを定め、晶に完全に背を向けた。
(ここっ!)
この一瞬しかチャンスはない。晶は鞘から剣を抜き、熊の真後ろに飛び降りた。そのまま熊の背中に大きく叩きつける。皮一枚ではあったが、晶の剣は熊の体に傷をつけた。痛みを感じたのか、熊が吠える。
が、もちろん致命傷ではない。かえって怒りをかきたてられた熊が、くるりと向きを変えて晶をにらみ付けた。
さっきまで確かにあった地面が抜けてしまったかのように、晶の足に力が入らなくなる。息が荒くなり、頭から血がひいていく。
(でも、僕の予想が正しければ!)
晶はぐっと歯を食いしばって、逃げ出したくなるのをこらえた。剣を構えたまま、自分の何倍もの大きさがある熊とにらみ合う。
永遠にさえ思えた数秒が過ぎる。
突然、びくびくと熊が痙攣し始めた。熊の大きく開いた口からしきりによだれが垂れ、足元がおぼつかなくなる。やがて茶色の巨体が、明らかにぐらぐらと左右に傾き始めた。
今度こそ、終わりにする。晶は大きく飛んだ。
剣を熊の胸に一気に突き立て、とどめをさす。まもなく、熊がゆっくりと後ろに倒れこんだ。どしん、と大きな音がして、周囲の木々が揺れる。
一秒、二秒……。
十まで数えて、起き上がってこないのを確認してから、晶は熊の胸から剣を引き抜いた。べっとり熊の血がついた剣を、川の水で丹念に洗う。
「無事かっ」
「のおっ」
せっかくほっと息をついていたのに、後ろから思い切りレオに飛びつかれて、晶は水に落ちそうになった。
「たいした腕だな! まさか本当にやってのけるとは思わなかったよ!」
「レオ様……ご無事で」
「君のおかげだ!」
ひとしきり興奮したところで、レオは倒れ伏している熊の大きさに目を見張り、興奮ぎみに晶に聞いてきた。
「いったいどんな師匠に師事していたんだ? ぜひ、僕にも剣を教えてくれないか」
「いや、これは僕の剣の腕がすごいとかじゃなくて……」
晶はそこからとつとつとレオに説明を始めた。
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