第18話 鳥なら普通に飛んでくれ

「やっぱり領主の手のものか。殺せなくて残念」

「違うよ」


 こちらはなぎを牢屋にぶちこまれた恨みがある。全力であきらは否定した。しかし、獣人はまだ晶をじとっとした目で見つめていた。


「これはもう、しばらくほっとくしかないね」

「仕方なかろ。和解できぬ相手もおる」


 この状態では一緒に小屋で過ごすのは不可能だ。晶はとりあえず少女を縛ろうと、荷物をかかえて立ち上がった。その途端、ぐらぐらと小屋全体が激しく揺れる。


「な、なんだ?」


 地震かと思った晶は、松明片手に小屋を飛び出した。小屋は少し高台にあり、下の様子が見える。晶の眼下に、体長数メートルはあろう、巨大な鳥がいた。幸い、鳥は晶に背を向けている。まだ気づかれてはいない。


「姉ちゃん、オオクイワシだ! 逃げて!」


 鳥の足元には、子供がいた。さっきの少女と同じ、茶色い毛に犬の耳を持っている。彼の姉は間違いなく、さっき晶が倒した獣人だ。


「君のお姉さんは無事だ! 早くそこから離れて!」


 晶は叫んだが、子供は泣き出しそうな顔をして立ちすくんだ。晶のことを信用していいのか、迷っている様子だ。


 その隙を見て、巨大な鳥が動いた。飛び上がるか、と晶は身構えたが、鳥の動きは晶の想像を越えていた。


 翼は人間の腕のように、前後に動くのみ。そのかわり、鳥は長い足を器用に動かし、子供をおもいっきり蹴飛ばした。子供の体はゴム毬のようにはね飛び、地面に叩きつけられる。うつぶせになった子供の体を、鳥がさらに蹴りつける。どこかの骨を痛めたのか、めきっと嫌な音がした。蹴り殺すつもりなのか、弱らせて食べるつもりか。とにかく、これ以上放っておいたら死んでしまう。


 晶は拳ほどある石をつかみ、鳥の背中に向かって投げつけた。飛んでいった石はごん、と鈍い音をたてて鳥の背中に当たる。


 煩わしさを感じたのか、鳥がわずかに頭をもたげた。その隙に晶は崖を飛び降り、今度は鳥の足に直接火のついた松明を押し付ける。


「ぐえ!」


 前と同じ手だったが、鳥が苦しげな鳴き声をあげた。晶は子供の体を抱えて横に転がり、その小さな体を茂みに押し込む。


 わずかに遅れて、怒り狂った鳥の第二撃がやってきた。どすん、と巨大な鉤爪が晶の目の前をかすめる。


 今度はきちんと長剣を持っていた晶は、素早くその場で半回転して、鳥の足に切りつけようとした。が、かわしながらの行動なので、うまく刀が鞘から抜けない。


(しまった!)


 視界の端に、ふっと黒いものが入り込んだことに晶が気づいた時にはもう遅かった。


「ぐあっ!」


 左から思いきり蹴飛ばされて、晶は地面に転がった。受け身に失敗して、腹に痛みが走る。すかさず足が振り下ろされ、腰につけていた皮袋が爪にひっかかって砕け散った。袋の残骸を鳥が振り払おうとしてわずかな隙が出来たが、走るどころか転がる気力もない。晶は恐怖で声も出せなくなる。ふうっと目の前の草がやたら大きく見え、視界が暗くなった。


「さらば、異邦人……」


 上空のカタリナが少し悲しげにつぶやく。晶はその声を聞きながら、ぐっと歯をかみしめた。


「ぎゃう!」


 その時、頭上で鳥が鳴いた。晶がまだ鈍い痛みに苦しんでいると、急に後ろからぐいと力強い手で服を引っ張られる。頭の角度が変わって目眩がした。


「だ、誰?」

「いいからおいで!」


 強い口調に頼もしさを感じ、晶は大きく息をし、目を開けた。晶のそばに筋骨隆々とした獣人がいる。誰だか知らないが、とにかく助かった。


「と、鳥はどうなったの」


 晶は慌てて起き上がった。さっきまで堂々と背を伸ばしていた巨大な鳥が、今は血をまきながら苦痛にあえいでいる。よく見ると、鳥の目に矢が二本突き刺さっていた。


 晶が小屋の方を見ると、さっきの少女が屋根の上に登っていた。少女はしっかりと両手で弓を構え、狙いを定めている。


 鳥がまた頭を動かした。少女は弓を引き絞り、素早く矢を放つ。矢は鳥のくちばし横に突き刺さった。鳥が晶たちに背を向け、小屋に向かって走り出す。


 晶の横から、それを待っていたように屈強な男が鳥に向かって突進していった。男はがっしりした斧を思いきり振りかぶり、鳥の足を二本まとめてずっぱり切り取る。鮮血が花弁のようにあたりに飛び散った。


 今度こそ鳥がバランスを崩し、どさりと地面に倒れこんだ。男は間髪入れずに鳥の首を斧で刈り取る。鳥はびくびくっと数回痙攣してから、ようやく動かなくなった。


 一部始終を目撃した晶は、ぺたんと地面に寝転がる。今度こそ完全にスタミナ切れだ。


「おお、また生還しおった」


 カタリナが意外そうに言ってきた。晶はふんと鼻をならし、「うるさい」と言い返す。晶もだいぶ番人への遠慮がなくなってきたのだ。


 むっつりしている晶の周りで、獣人たちは賑やかに話し合っていた。


「テスラ、ナイム、怪我はないか」


 背の高い屈強な獣人が、子供たちに声をかける。


「あたしはちょっと打ち身になっただけ。ナイムは?」

「……まだ背中が痛い」


 ナイムと呼ばれた弟の方が、痛そうに顔をしかめた。男が心配そうに彼の頭を撫でる。


「後で長老にみていただこう。……それにしても、領主の兵でない人間を見るのは久しぶりだな。テスラ、なぜ来たか聞いたのか?」

「知らない。囮の小屋にひっかかってたから、兵かと思っていきなり襲ったし……でも、逆にやられちゃった。細っこい子供だと思って油断してた」

「それは油断ではなく、未熟という。言葉の使い方を間違えるな。それに、襲いかかるときは必ず領主の手のものか確認しろと言っただろう。指示が守れないのなら、今後一切狩りには出さんぞ」


 男にぴしゃりと言いすくめられて、娘が肩を落とす。気の強そうな娘であるが、彼女を見下ろしている男の言うことは素直に聞くようだ。


「……おいあんた。体は大丈夫か?」


 男が晶に聞いてきた。腹を打ちはしたが、鳥に直接踏まれたわけではない。痛みは消えているので、骨も大丈夫だろう。そう判断して、晶は無言でうなずく。


「息子が世話になった。ありがとう」


 そう言って男はしゃがんでばしばし晶の肩を叩いてくる。これが彼らなりの信愛のポーズなのだろうか。晶もおそるおそる、男の分厚い肩を叩き返した。


「しかし、一人か? 無謀だな。君はなぜここに来た?」

「いろいろ、ありまして。でも、絶対に今の領主の味方ではありません」

「そうか。わしはホルケウ。娘の無礼をお詫びする。訳あってやっていることではあるが、無関係な君を巻き込んでしまった。ほら、テスラ。お前からもきちんとお詫びをしなさい」

「……ごめんなさい。あたしはあんなことしたのに、なんで弟を助けてくれたの?」

「目の前で子供が殺されそうになってたから行った。それだけ。別に君の弟でなくても行ってたよ」

「ほんとに、ごめんなさい……」


 テスラがしゅんとなって頭を下げる。晶はふと気になっていたことを聞いてみた。


「君たちには、領主の関係者を恨む理由があるの?」

「……あいつらだけは絶対に許さない。必ず、自分のやったことの罪深さを思い知らせてやる」


 テスラの目に強い怒りの色が浮かぶ。いきなり襲われたときはどうしてやろうかと思ったが、なにやらこの獣人たちにも、領主を憎む事情があるらしい。晶は怒るより先に、その理由が知りたくなってきた。


「おい、腹は減ってないか。急ぎでないなら、この鳥の肉でも食べていけ」


 ホルケウに言われて晶が前を見ると、獣人たちが数人集まり、てきぱきとさっきの鳥を解体して、肉を切り取っていた。


 晶は昼前に乾パンを食べたので、そこまで空腹ではない。が、獣人たちがなぜ領主を憎むのか、その理由を聞くには良い機会だと思った。


「食べます」

「よし、テスラ。この子を連れて、広場まで肉を運んでおけ。わしはナイムを長老に見せてくる」

「はい、父さん」


 ホルケウから肉を渡されたテスラはおとなしくうなずくが、まだ子供のナイムは明らかに不満そうだ。


「僕も肉を運びたいよ」

「だめよ。無事に終わったらおいしいところをあげるから」


 ナイムは「絶対だからね」と連呼しながら、ホルケウに背負われて森の奥へ消えていった。

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