第16話 川を渡るは死に物狂い

 翌朝、あきらはクロエがとってくれた街道沿いの宿から、森に向かって出発した。


 厚い石壁に囲まれた部屋は隣の音も聞こえず、実に快適に一晩を過ごすことができた。少々うさんくさい爺の案内人と宿の玄関で合流し、装備が詰まった袋と、案内人が雑に作った地図を手に、晶はずんずん歩いていく。


「さて、さて。いつまでもつかのう」


 ほんとに番人か、と言いたくなるほど薄情な軽口をたたくカタリナを無視して、晶は街道を進み続けた。しばらくすると、石畳の街道が途切れ、木が多くなっていく。幸い舗装がなくなっても、人が地面を踏みしめた跡はまだ残っており、晶たちはそれをたどって森へたどり着いた。


 それから先は思い出したくもない時間がしばらく続いた。入り口でぐだぐだなやりとりの末、案内人と別れることになり、見張りの兵士に追われた。しかし、物陰にうまく隠れることでなんとかやり過ごす事ができた。


 人の声も足音も聞こえなくなってから、ようやく晶は行動を再開する。徐々に晶が歩く道は細くなり、ついにはなくなった。晶は巨石や大木を目印に、ふかふかした苔を踏みしめ、森の奥へ向かう。


「うおっ」


 森の中に入ってから、白くて丸いものにぶち当たると、大体それは人骨だった。最初は気の毒に思ったり怖くも感じたが、数が多すぎていちいち反応してはいられない。それでも最低限の敬意をこめて、晶は白骨死体の頭蓋骨を踏んで割らないように、そろそろ進む。


「適当に棄てていきおるわ。死者に対する尊敬のない奴め」

「全くもう……バチがあたるよ」


 珍しくカタリナと意見が合った。それから晶はカタリナと時々くだらない話をしながら、うねうねと露出した木の根を踏み越え、ようやく川沿いまで出た。


 ラヴェンドラの自生地へ行くには、どうしてもこの川を越えなければならない。地図上では丸太橋があるのだが、誰も手入れをしないうちに流されてしまったらしく、陰も形もなかった。


「うーん、結構広いなあ」


 川の流れは非常にゆったりしているので、泳げないことはないだろう。が、そろそろ寒くなる季節。濡れた服のままうろうろしていては、低体温症で命が危ない。


「やったことないけど、仕方ないか」


 晶は上から垂れ下がった、丈夫そうなつたを引っ張った。全体重をかけても切れないことを確認すると、晶はターザンの要領でそれにぶら下がった。


「よし」


 勢いをつければ、飛べそうだ。迷っている時間が惜しい。晶は高台に登り、川の向こう岸を見据えて大きく深呼吸をした。息が整ったところで、右足で地面を蹴る。


 ぐうん、と蔦がしなり、晶の体が風をきった。その横を、鮮やかな青色の鳥がすっと追い越していく。晶は色彩に惹かれ、鳥を目で追っていた。


 しかし次の瞬間、晶の観光気分はふっとんだ。


 びしゃり!と派手な音をたてて水中から管が伸びてきた。ホースのような長い管の先から、もりのような細いかぎ裂きが延びている。その銛はさっき晶を追い越していった大きな鳥を、瞬く間に押さえ込んでいた。


 鳥はまだ管から逃れようともがいていたが、銛は抜ける気配がない。しばらくすると、薬でも盛られたように、鳥がぐったりと首を垂れたまま動かなくなった。


「うわわ……」


 どう考えても、次に狙われるのは自分だ。晶は慌てて体の向きを変え、元いた方向に向かって飛ぶ。みっともなく顔面から土に埋まったものの、五体満足で戻ってこられて晶は胸を撫で下ろした。


 安全が確保できてようやく、晶は川の中に目をこらした。水の中から、銛とはまた違う、巨大な管が浮き上がっている。銛にかかった鳥はズルズルとその管の方へ引き寄せられ、ぽいと放り込まれた。おそらくあそこが口なのだろう。


 鳥の頭が消え、腹が消え、そして最後に尾が消えていった。森に静寂が戻ってきたところで、カタリナがつぶやく。


「運のいいやつじゃの」

「あ、あれはなんなんだ?」

「教えてやる義理はないわ。勉強不足の若造め」

「ヒントちょうだい」

「なんじゃ、世界の異物のくせに尊大な」

「人助けだよ」


 相変わらず、口の悪いカタリナに向かって晶はぷっと頬を膨らませた。しばらくにらみ合った末、ようやくカタリナが口を開く。


「……仕方ないの。お主は、あれはなんだと思う」

「何って……蛇かな?」


 大きな口、筒のような体。さっき見たこの二つから、晶は思いつく生物をあげた。


「違うな。川の下が肝要じゃ。もうすぐ、次の獲物がくる。しっかり目を開いて敵の正体を確かめよ」


 カタリナはそれだけ言うと、口をつぐんでしまった。本当にヒントだけで、答えを教えてくれるつもりはないようだ。それでも助言はありがたい。晶は顔の泥をぬぐうのも忘れて、彼女の言うとおりじっと機会を待った。


 程なくして、今度は細長い鰻のような魚がずりずりと川を下り始めた。ちょうど晶がさっきぶら下がっていた蔦の真下のところで、変化は起こった。水中から再び鋭い銛が飛び出し、獲物を狙う。


 しかし、今度はさっきほどうまくはいかなかった。魚はぐいと頭を下げて、器用に水中に潜り込んで銛の直撃を避ける。そのまま相手をバカにしたように背を向けてゆうゆうと泳ぎだした。


「あーあ……」


 晶が声を漏らしたとき、水中から再び銛が出てきた。今度は、魚の無防備な背中に容赦なく銛が突き刺さった。


「あの銛、連続でうてるのか!」


 晶が驚いている間に、のたうつ魚にさらにもう一発銛が入る。人間が弓を使っているような正確さと早さだった。


 今度こそ、魚が屈服して全身の力を抜く。獲物をとらえようと、銛の持ち主が水面近くにその姿を現した。


「なんだ、あの大きさは……」


 晶は小さくつぶやく。水面の下に現れたのは、巨大な貝だった。淡いオレンジに輝く貝殻だけなら、美しいと言えたかもしれない。が、そこからはみ出たぬるぬるとした足は、ぞっとするほど大きくてグロテスクだった。晶が瞬きも忘れて見入っている間に、長さ数メートルはある魚は、あっと言う間に貝の腹の中に消えた。


 再び水面が静かになったところで、晶はごくりと唾をのんだ。今の狩りを見て、いくつかわかったことがある。銛が複数あるということは、一回かわせたとしても安心はできない。さらに、頑丈な貝殻で体を覆っているということは、管以外のところを攻撃しても効果は薄いということだ。


「どうじゃ若いの。なんとかなりそうか?」

「………」


 カタリナが冷やかしてくる。晶はしばらく目を閉じて考えてみた。そして、一つ方法を思いつく。試してみるしかない。晶はカタリナに背を向けてすたすたと歩き出した。


「おい、どこへ行く」


 カタリナが声をかけてきたが、晶はこれからすることへの罪悪感でいっぱいだったので返事もしなかった。


「ああ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい呪わないで」

「一体何に謝っておるんじゃ、こいつは……」


 呆れるカタリナをよそに、晶はうろ覚えの念仏を唱えながら、落ちていた白骨死体を広い集める。できるだけ骨太でしっかりしたものを選んで寄せ集め、丈夫な植物性のロープでつなぎあわせていく。


 骨格に対する専門知識のかけらもないため、ひどく左側が垂れ下がってはいたものの、なんとか人の上半身にも見えるサイズのものができあがった。


 それに恐らく皮鎧のなれの果てであろうぼろ切れをくっつけ、肉を作る。ここまでくると、カタリナも晶のやりたいことを察したのか、なにも言わなくなった。

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