第15話 幸運の代償

「今は新しい通行証がないと、ここを通すわけにはいかんのだ」


 兵士はさらにあきらの肩をこづいて歩かせる。女も黙って晶についてきた。二人が押された方に進んでみると、もう一人柄の悪そうな兵士が大きな袋の口を開けて待っていた。


 その中には、ぎっしり金銀銅貨が詰まっている。要は、新しい通行証が欲しければ金を払え、ということだろう。


「おお、なかなかいい身なりの女を連れているな。では、通行料の金貨五枚を払ってもらおうか」


 晶はあわててポケットを探ったが、入っているのは銀貨と銅貨だけだ。常識的に考えれば、金貨の価値は銀銅よりも上だろう。相当高値で通行証を売っていると言うことだ。どう考えても金が足りない。


(困ったな……)


 どうしようか晶が迷っているうちに、目の前の兵士はどんどんきつい口調で言葉を投げかけてくる。それでも金をださないとみるや、兵士は容赦なく晶の胸ぐらをぐいとねじりあげた。晶は殴られることを覚悟して、ぎゅっと目をつむる。


「その辺にしておきなさい、ゲスが」


 女が急にどすのきいた声を出し、兵士を驚かせた。しかし、兵士は負けずに言い返してくる。


売女ばいたごときが偉そうな口をたたくな!」

「……よく言いましたわ。五代にわたって統治に貢献した、モンスミュール一族を売女呼ばわりとは」

「ひっ?」


 貴族らしい名字を出されただけで、兵士の態度があからさまに変わった。背中に定規でも差し込まれたかのようにぴんと背を張り、女の顔をしげしげと見つめる。


「死出の旅路の土産に教えてさしあげましょうか。わたくし、モンスミュール家現当主の姉、クロエ・モンスミュールと申します。弟に此度こたびのこと、必ず申し伝えておきましょう。その汚い首がいつまでつながっているか見物ですわね」


 兵士の顔色が真っ白になったところへ、上官であろう年かさの士官が駆け込んできた。こちらも滑稽こっけいなくらいクロエに向かって頭を下げまくり、晶たちは結局一銭も払わないまま関所を通過した。


「あ、ありがとうございます」


 落ち着いたところで、晶はクロエに向かって頭をさげた。


「ろくなところではないと言った意味、おわかり? あんなのがぞろぞろいますのよ。領主と同じで救いようがありませんわ」


 クロエが領主をくそみそに言う様子を聞いた晶はため息をついた。


「本当に吸血鬼、で貴族、なんですね」

「一族の中で吸血鬼はわたくしだけですし、今の皇帝もそのことは知りませんけれどもね。モンスミュール家は代々、ここの隣の領地を治めているんですの。決して広大な領地とはいえませんけれども、もともと武勇をもって統治に多大な貢献をした一族ということで、皇帝ご一家からは礼をもって扱われていますわ」

「ほおー……」


 貴族と言ったら、フランスの豪華な宮殿とドレスくらいしか思いつかない晶はあいまいにうなずいた。


「まあ、それはいいとして。あなた、行きたいところをお言いなさいな。こうなったら乗りかかった船ですわ、おつきあいしましょ」


 ついっとクロエは、晶の前に出て歩き出した。彼女の大きくカールした長い髪が、風になびく。慌てて晶は後を追いかけた。


 道にいきなり豪奢ごうしゃな着物をまとった美女が出現したため、露天で暇そうにしていた店主たちがぽかんと口を開けている。クロエは全ての店主たちに艶然と笑みを振りまきながら、そのまま石畳の道を進む。


 道の先の狭い坂道を上りきると、高台の広場に出た。ここが市場になっていて、畳一畳くらいのスペースにござをひいて、商人がぽつりぽつりと座っていた。歯抜けのようになっている市場の姿を見て、クロエがため息をつく。


「あんな関所ができる前はもっと活気があったのに。で、あなたは何が必要なの?」

「ラヴェンドラの香油……それもできるだけ高級なやつです」

「あら、それじゃ露店にはないわね」


 精油にもピンからキリまであり、高級品は高級店にしか流通しないのだという。二人はさらに坂を上り、上を目指す。上にいくほど裕福なものたちが住んでいるのだ、とクロエが教えてくれた。確かに、登っていく度に石畳がきちんと整えられ、並ぶ家の装飾も華やかになっていく。


 ようやく立派な黒い看板のある店の前まで来た。入ろうとした晶を、クロエが止める。


「この店は身なりにも厳しいですから、今のあなたの服じゃ入れないわ」

「うう……」

「そんな捨てられた羊みたいな眼をしないでちょうだい。わたくしが聞いてきますから」

「お願いします!」


 願ってもない申し出に、直角に近い角度で晶は頭をさげた。クロエがどっしりした木の扉を開けて入っていくのを見守る。


「ほう、ここまではうまいことやったな」


 クロエがいなくなったのを見計らって、カタリナが声をかけてきた。少し気持ちに余裕の出てきた晶は、会話に応じる。


「うん、クロエさんのおかげで……でも、領主が販売を制限してたり、精油がこんな高級店で売ってることは知らなかったよ。これはなぎや僕じゃ無理だね」

「安心するのはまだ早いぞ。私はそういう意味で言ったのではないからな」

「そ、それってどういう」


 晶がぎょっとしたところへ、クロエが出てきた。カタリナがすっと姿を消す。


「どうでしたか?」

「取り扱いがないようですわ」

「じゃあ、別の店へ……」

「残念だけど、どこへ行っても一緒ですわね。領主が全て買い占めているみたいですから」

「え?」


 晶はどういうことかと説明を求めた。


「領主が変わった話はしましたわね? 反乱の準備をしていたとかいろいろ理屈をつけてはいるようですが、実際は領主の椅子がほしかった腹心の部下が、不意をついて力ずくで奪い取ったというのが本当のところ。だからずいぶんと敵も多くて、現領主は支配基盤の確保を急いでいる。それにはまず、お金が必要。ここまでわかる?」


 晶はうなずいた。クロエが続ける。


「そのために、利益率の大きい特産品である銀器や精油は、領主直轄の部下しか取り扱い不可能になってしまって、在庫も店から無理矢理持って行かれてしまったそうですわ。しばらくは国外、それも大貴族中の大貴族にしか売らないだろうと、店主はののしっていました」


 カタリナの言わんとしていたことの意味がわかって、晶は絶望した。地方貴族のクロエでさえ無理なのだ。今、晶が既製品を購入するのは不可能だ。


「じゃあ、生えてる花から作るしか……」

「町中の薬草園も全部領主の管轄になっていますわよ? 衛兵たちがさっきと同じように取り囲んでいますわ」


 そこもぬかりはなかった。晶はうなり声をあげ、最後の手段を口にした。


「僕が、森や山の中に入るしかないですね」


 薬草園と違って、森や山なら複数の侵入ルートがある。うまくいけば、自生しているかもしれない。晶がそう言い出すと、クロエは額を押さえた。


「確かに、ラヴェンドラなら自生していますわよ。でも、今、この近くの森に入ろうと言い出すとは……。なにも知らないんですのね」


 晶は苦笑いしながら、その通りですと答えた。見栄を張っても仕方ない。


「今の領主は前の領主に反旗を翻して軍を起こした。当然、殺し合いになりますわ」

「ええまあ……わかります」

「そうなると死体が大量に出ますわね。今の領主はそれをどうしたと思う?」

「土に埋めた?」

「そのまま近くの森に捨てましたわ」

「げっ」


 薄暗い森の中に、白骨が浮かび上がるホラー映画のような光景を想像してしまい、晶はのけぞった。


「穴を掘るにも労力がかかるし、土に埋めるというのは多少なりとも死者を弔う気持ちを表すものですからね。アルトワは絶対に前の領主を重んじる気はなかったようで、完全なる野ざらしです」


 クロエが腕を組んだ。その目にははっきりと怒りが浮かんでいる。


「死者にそんな扱いをしたのですもの、前領主と息子が化けて出るという噂が流れるまであっという間でしたわ。領主の兵は時々見回りに行っていますが、祟りを怖れて地元の人たちは近づかない。地図くらいはもらえても、道案内は無理でしょうね。……あなた一人で森に入るなんて無謀ですわ。今回は諦めたらいかが?」


 晶はしばらく考えた。が、出てきた答えに変わりはなかった。


「ラヴェンドラの自生地に行きます。入るのは無理でも、森の中の様子を教えてくれる人を見つけてもらえませんか」


 クロエが驚いて形の良い眼を丸くしたが、すぐに穏やかな顔に戻った。


「……わかりました、探してあげます。でも、条件がありますの。装備だけは私に整えさせてちょうだい。そんな軽装で森に入らせたら、寝覚めが悪いわ」


 そう言いながら、弟にでもするようにクロエがぽんぽんと晶の頭を撫でた。


「おやおや、ずいぶん格好つけるの。土壇場になってひいひい泣いても知らぬぞ」


 カタリナが茶化してきたが、晶は気にしない。


 悠里ゆうりは、自分だ。理不尽な事件にあい、子供だからとバカにされ、それでもつかんだものを失うまいとあがく少し前の自分とそっくりだ。


 自分には高橋たかはしがいた。凪が来てくれた。今の悠里に頼れる人がいないのなら、自分が支えになってやる。それが、思いもかけない幸運をつかんだ人間の義務だと思った。

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