第12話 円環の魔女、怒る
「えらくほっとしておるの」
カタリナが眉一つ動かさずに言う。
「そりゃそうですよ。あのまま牢屋行きもありえたんですから。間に合わなくなったら、依頼人の子がかわいそうです」
「ほおん。妙な依頼でもうけとるのか」
晶はカタリナにかいつまんで説明する。
「期限はいつじゃ」
「確か二週間……でも、領主の信頼を得て、薬草に近づくには短いですね」
「なんじゃ、猶予があるではないか。奴なら三日もあれば、口八丁手八丁でなんとかするじゃろ」
自信たっぷりにカタリナがいい放つ。晶はそうかなと首をひねりながら、再び異世界の映像に目をやった。悠々と引き上げようとするアルトワに向かって、伝令らしきくたびれた兵士が一直線に駆けてくるところだった。
「も、申しあげます。バルバロッサ伯が、オットーさまを旗印にして反乱を起こしました。すでに反乱軍はゴルディア付近の街道まで迫っております」
「なんだと! ちぃ、反逆者の従兄弟を旗印にしおったか」
報告を聞いたアルトワの全身から殺気がたちこめる。さっきまで
「すぐに迎え撃て。幸い、わが館はこの近辺で一番の高所にあり、敵の動きは丸見えになっておる。奴らの上に陣取れば不覚はとらぬはずじゃ」
「直ちに!」
アルトワの支持を受けて、兵たちが散開していく。しかし、ようやく起き上がってきたガストンだけは、意地の悪い笑みを浮かべながらアルトワに近づいていった。
「……領主さま、まさかこの男、反乱軍の間者では」
「違う!」
凪が叫んだが、悪くなったその場の雰囲気は立て直しようがなかった。次々と残っていた兵たちが、ガストンに追従しはじめる。
「前の領主の銀札まで持っておりましたぞ」
「いきなり現れたのも怪しい」
「隊長にしかけたあの卑劣な手、流石に間者の戦いかたであったわ」
こうなってしまっては、もはや凪が何を言っても救いようがない。アルトワがわなわなと震えだし、凪を怒鳴り付けた。
「こやつを牢にぶちこめ!」
どうしようもなくなった凪が仕方なく頭を下げたまま、連行されていく。晶はことの次第を、ぽかんとしながら見守るしかなかった。
「運の悪い男じゃのう。領主も手駒がほしいじゃろうから、ひどい拷問まではされまいが、これではいつ出てこられるか分かったものではないな」
カタリナが冷静につぶやく。こうなってしまえば凪も無力だ。晶は青くなって彼女に頼み込んだ。
「……カタリナさんは凪が気に入ってるんですよね? 魔法の力で助けに行ってくれませんか?」
「少し面白い人間だとは思っておる。が、断じて助けなどせぬ」
悪びれた様子もなく、カタリナはじっと晶を見つめてくる。晶は声を荒げた。
「番人なんでしょう? 無実の人間を助けるのも嫌なんですか?」
「……ちょっと甘い顔をしてみればこれか。勘違いするでないぞ、小僧」
今までじっと同じ表情をしていたカタリナの眉間に皺がよる。びり、と室内の空気が震えた。
「私が守るのはあくまで世界そのものの均衡。異世界から異物が入り込み、人心を荒らすことがないか、不要な物を持ち込まぬか見守るのが役目。自世界の民草がやることまで一から十までいちいち干渉などせん。どんなに理不尽であったとしても、その道を人間たちが選んだのであれば、見守ることしかできぬ」
怒っているはずのカタリナの顔が、一瞬泣きそうに歪んだのが見えた。
「こちらで貴様ら異邦人に多少気まぐれで恵んでやることはできるが、私があちらの世界で使える力は一つ。侵入者の命を即刻奪う死魔法のみよ。手助けだと? 何かを求めて来るのは勝手じゃが、危険にあおうが死のうがそれは賭けに負けただけだと心得よ」
晶は反論もできずに、ぐっと拳を握った。凪と悠里が心配でならなかったが、カタリナもまた何か重いものを背負っているように思えてならなかったからだ。
彼女も、きっと人間たちの行いを正したいと思ったことが一度や二度はあったはずだ。しかし、与えられた力は決してその目的に使えないという。カタリナがどれだけ、『理不尽』を見守ることしかできなかったのか、それを考えるとただ悲しかった。
二人とも喋らないまま、室内に沈黙が流れた。かちかちと秒針が時を刻む音だけが響く。結局その日、晶は何もできないまま帰宅した。
次の日、晶が地図を開くとまたカタリナが出てきた。彼女なりに、晶に言いたいことがあるのかもしれない。晶から話しかけようとした時、玄関の呼び鈴が鳴った。
カタリナのことは気になるが、客が来ているならそちらが優先だ。晶が一階に降りていくと、悠里が立っていた。
「こんにちは」
花が咲いたように笑う悠里を見ると、晶の心が痛む。精一杯笑顔を作って、晶は返事をした。
「あ、ああ……凪、いや店主はいないんですけど、何かご用ですか」
「この前、うちからお茶うけを定期購入したいとおっしゃっていたので、私が焼いた焼き菓子をいくつかお持ちしました。選んでいただこうかと思ったんですが」
「店主がいないとちょっと……」
「ですよね。置いておきますので、また決まったら連絡もらえますか?」
「わかりました」
悠里は四角い白い箱をカウンターに置くが、なかなか帰ろうとしない。晶をちらっと見て、小さな声でささやいた。
「なにか、手はありそうですか」
やはり、彼女がここに来たのは依頼の進展が気になっているからだった。
「いや、まだ具体的には……」
「そうですか。実は、雑誌社の締め切りの関係で、勝負の日程が急に早まってしまったんです。あと一週間しかない状況なのですが、それでも大丈夫でしょうか?」
申し訳なさそうにしている悠里の一言を聞いて、晶は頭をかきむしりたくなった。まさか凪が牢屋にぶちこまれ、いつ出てこられるかも分かりませんなどと言えるはずもない。
「店主に……聞いてみないと」
「そうですよね、すみません。私もケーキの試作の合間に、いろいろいい手がないか探してみているのですが、あまりうまくいっていなくて」
菓子をつまんでもいいと悠里に言われたので、晶は遠慮なく焼き菓子に手を伸ばす。口に含むと、濃厚なバターの薫りとどっしりした甘味がふわりと広がる。そして消えてしまったあとに、妙な甘ったるさが残らない。
ひとつ食べたはずなのに、またもうひとつと手が伸びた。これだけの腕の持ち主が、正当な後継者の地位を脅かされているというのも皮肉な話だ。
「宣伝って、そんなに大事なんですか?」
晶はぽつりと悠里に聞いた。今からでも、料理の味だけを競うコンテストに変更はきかないのだろうかと申し出る。悠里は首を横に振った。
「無理でしょう。それに、私も今は外観部門も競うことに賛成なんですよ。これから生き残るのに、味だけでは……」
「でも、こんなにおいしいですよ」
「確かに、食べていただければ絶対に負けない自信はあります。でもね、この市内だけでも洋菓子屋さんがどれだけあると思います?」
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