第9話 後継者は誰だ

 あれこれ考えながらも、ほどよく抽出が終わった茶を盆にのせ、あきらなぎたちの待つ部屋に戻った。さっきまで暗い顔をしていた女の子が、にこにこしながら凪の話を聞いている。これなら「帰る」とは言わなさそうだ、と晶は安心した。


「どうぞ。底に沈んでるフルーツも食べられますので」

「あ、ありがとうございます」


 晶が茶を出すと、女の子はぺこりと頭を下げて飲み始めた。味が気に入ったのか、彼女の表情が柔らかくなる。それを見計らって、凪が本題を切り出した。


「では、依頼について詳しく聞こうか。晶も座って」


 凪にうながされ、晶は近くの椅子に腰かけた。そのまま、女の子が話し出すのをじっと待つ。


 女の子はぎゅっと拳を握ってから、大きく息を吸った。それから、一気に話し出しした。


源悠里みなもと ゆうりといいます。私の実家は代々小さな洋菓子店を経営してきました。父が海外のコンテストにも出場して、雑誌にもとりあげていただけるようになりました。ありがたいことに常連さんもたくさんいらっしゃいます。が、最近困ったことになりまして……」

「源……もしかして、マリナーレの源和也みなもと かずやさんの娘さんか」

「よ、よくご存じですね」


 凪の言葉を聞いて、悠里の顔に赤みがさした。


「この前雑誌で見たもので。お父さんはコンテスト出場だけでなく、そこで優勝なさっている。素晴らしい職人さんだ」

「へー、一度食べてみたいな……」


 晶がぽつりとつぶやくと、凪が目を見開いた。


「晶、お前がこの前うまいうまいと言って、お茶うけに採用したチョコレートはマリナーレのだよ」

「え、そうだったんですか」

「無知だねえ」

「凪が買ってくるなり、包装紙を豪快に破り捨てるからわかんなくなったんだ!」


 晶と凪がきゃんきゃんと言い合う横で、悠里はおっとりと頭を下げる。


「お口に合ったようで何よりです」


 お世辞で言ったと思われるのがいやだったので、晶は凪との喧嘩を中断して、悠里に向き合った。


「いや、ほんとにおいしかったんですよ、あの丸いチョコレート。なんていったかなあ、外は甘いんだけど、中に入ってるジャムとの相性が抜群で」

「俺も賛成。しかし、そこで疑問がある。そんな繁盛店の娘さんが、何を困ることがあるのかな」


 凪に聞かれた悠里は、きゅっと一度口をへの時に結んでから、再び話し出した。


「実は……来月から他のシェフがチョコを作ることになったんです。母はもう他界していますし、父に転移が進んだ癌が見つかってしまって」

「なんとまあ……」


 晶も凪も言葉を失った。悠里の父であれば、癌さえなければまだまだ働けるはずの年齢だ。世界的に認められてますます活躍が期待されていた時の病気――本人のみならず、家族にとっても衝撃だろう。


 しかし、晶はここで癌まで治せるとは思っていない。凪も命に関わる病気は管轄外だと言っていた。癌を治してくれと言われたら、どんなにののしられようがきっぱり断るしかないなと晶は思った。


「あいにくここは……」


 凪も話の流れを予想して先手を打った。悠里はそれを見て、首を横に振る。


「ああ、癌の治療は病院の先生にお任せしていますから大丈夫です。悲しいですが、そこはもう私の中で整理がついているんです」


 思ったよりも冷静な悠里の様子を見て、凪と晶はほっと胸をなで下ろした。


「来月からは、父と一緒のチームで活躍された職人さんたちが製菓を担当してくださいますので、すぐに店の味が落ちるということもないと思います。なんとか職人さんたちにつないでもらって、私が専門学校を卒業したら、正式に父の後を継げるはずだったのですが……」


 悠里が言葉をつまらせた。凪が先をうながす。


「七つ上の従姉妹が立候補してきて、跡継ぎの候補者が二人になってしまったんです」

「なんでまた? その方は前からお店の手伝いでもされてたんでしょうか」

「うちではしてませんでした。専門学校はどうにか卒業して、叔父に店をたててもらってました。味はよくないですが、叔父のコネでよく雑誌に出てて、最近まではやっていけてたみたいです。でも、そこが隣にできた巨大チェーン店に押されてるみたいで」

「……で、損害の小さいうちに利益の出てる店に乗り換えようと? よくお父さんにたたき出されませんでしたね。図々しい」


 凪が呆れた。晶も同感だった。凪と色々お茶うけを探していてわかったのだが、この街には洋菓子店など掃いて捨てるほどある。いくら今が良くても、そんなぼんくらが経営者になったらあっという間に倒産までまっしぐらだ。


「叔父がいろいろ押しの強い人で……実は、父は開店するときに叔父からかなりお金を借りてるんです。今の成功があるのは誰のおかげだ、と言われてしまうと弱くて」

「しかし、強制的に従姉妹さんをねじこんだところで、従業員が納得しないわな。雇われとはいえ、世界大会で優勝したチームのパティシェなら就職先はある。最悪全員退職されたらしゃれにならないね。そこはどうやって折り合いをつけようと?」

「そうなんです。それで、どちらが後継者にふさわしいか、ケーキ作りの対戦をしようという話になってしまって。もちろんお店の職人さんは手出し無用で」

「お、やっと話が見えてきましたよ。対戦相手に下剤でも?」


 凪がいきなりとんでもないことを言い出した。悠里が露骨に引いている。晶は慌てて凪をたしなめた。


「犯罪ですよ」

「兵法といえ」

「ダメです、冗談にしてももっとソフトに」

「わかったわかった」


 凪は冗談だよ、と言いながら悠里に向き直ったが、晶は確信していた。あれは絶対に本気だった。


「……まあ、話を聞いていると、悠里さんがちゃんと修行しているのなら、従姉妹さんに負ける要素がないと思うが。一手間増えたのは面倒だけど、存分に戦って叩きつぶせばいいことでは?」


 凪が言うと、悠里は顔をしかめて首を横に振った。


「それが、勝負は味だけじゃ決まらないんです。雑誌やテレビの取材も入って、どれだけ人を驚かせる斬新なケーキが作れたかも評価するって。しかも、その外観の評価がかなり大きいらしいんです。これからはわかりやすく外にアピールできるものがないと生き残っていけないって従姉妹が言い出して……」


 その従姉妹が言うことは真理ではある。が、この場合料理だけではどうやっても勝てないから、ゴリ押しで新たな評価枠をねじこんだようにしか思えない。晶の中に、ふつふつと怒りがこみあげてきた。


「……私、人が怖いんです。数人ならなんとかなるんですが、当日は数百人、知らない人が集まるらしくて」


 よっぽど恐いのだろう、悠里の目にうっすら涙が浮かんでいる。


「あがらないようにしたいの?」

「はい。正確に言うと、コンプレックスの原因のこの髪型をなんとかしてほしいんです。これ、なんか笑えるでしょう? 正直に言ってもらって構いません」


 悠里が晶を見つめてくる。嘘を言っても彼女には見抜かれそうな気がした。


「趣味でやってるわけじゃなかったんですね……いや、笑いはしませんがちょっと服装には合わないなと思ってたんです」

「天然パーマっていうんでしょうか。小さい頃からメチャクチャくせが強くて、ストレートパーマもダメだったんです。私が人を怖がるようになったのも、いつもみんなにこの髪が笑われるからだと思います。なので、この髪がストレートになったら人前に出ても大丈夫になるかなと思って……」


 依頼がようやく具体的になった。凪が大きくうなずく。

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