第8話 初めての客はアフロ

「なんだ?」


 悪意を感じ取り、背中がすうっと冷えてくる。


(落ち着け)


 剣道の試合と一緒だ。取り乱したら、何もできなくなる。あきらはもう一度深呼吸して、早くなった鼓動を落ち着ける。


「おい、帰るぞ」


 背後からなぎに肩をつかまれ、晶は顔をあげる。眼の前では、農民たちが屈強な兵士に何やらごそごそとささやいている。農民たちの話が終わると、剣を構えた鎧兜姿の兵士たちが、うろうろと辺りを探り始めた。


 確かにシャツとジーンズ姿は、この世界では不審者だ。見つかったら何をされるかわからない。晶は慌てて凪についていった。


 二人が立っていた場所から数歩歩いた石壁の陰に、さっきくぐってきたのと同じ魔方陣がある。凪に続いて、晶はそこに飛び込んだ。


 またまばゆい光の中をくぐり、気がつくと晶は凪と一緒に店のテーブルの上にいた。


「納得したか?」


 凪に問われて、晶は今度こそ首を縦に振った。悔しいが、あの場所はまぎれもない別世界だ。


「それはもう。でも、あんなところへ行くなんて危険でしょ」

「そりゃ危険な野生動物もいる。その上向こうはこちらほど人権意識なんかないから、為政者の機嫌を損ねればいきなり牢獄行きもありうる。が、そこはおいおい慣れていくさ」


 リスクの話をしているのに、凪はなぜかとても楽しそうだった。美形で隙がなさそうなのに、ぱっと子供のような顔になる。そのまま、凪はとうとうとこれからの予定を話し続けた。晶はへいへい言いながら聞き流す。


「……秘密を守るために、人数も少なめで回したい。しかし、一人でやるのも問題がある。そこでだ。晶、ここでバイトしないか?」


 それまで他人事のように聞いていた晶は、凪の一言で飛び上がった。


「無理に決まってます!」


 扇風機のように首を振って拒否する晶を見ながら、凪がため息をついた。


「ばか、あっちに行けなんて言わねえよ。なんの知識も経験もないお前が行ったら、すぐ囚人か無縁仏だぞ。ここで地図の見張りと、俺がいない間の客の応対。後は簡単な経理ができりゃ申し分なし」

「地図の見張り?」

「……あのな、俺があっちの世界に入ってるうちに、誰かがこの地図持ってったらどうすんだよ」

「あ」


 凪に言われて晶ははっとした。確かに、異世界との交流はこの地図がなければ不可能だ。勝手に持ち去られるだけならまだいいが、破かれたり燃やされたりしたら、中の凪がどうなってしまうのか予想もつかない。


「だから最低一人は従業員がいる。しかも、異世界のことを口外しない、信用できるやつがな。お前ならよさそうだ。とりあえず時給千円。テスト前とか、事情のある時は来なくていいぞ」

「まあ、その程度でいいなら」


 コンビニやファーストフードでバイトするよりは、ここで働いた方が楽だし時給もいい。それに、凪に少しは恩返しもしたい。晶はしばらく考えてから、うなずいた。


「よし、そうとなったら開店準備の続きだ」


 凪はにんまりと笑って、机の引き出しからノートパソコンを持ち出し、インターネットを開いた。


「まず、鏡……できるだけ俺が美しくうつるやつ……」

「商売に必要なものから買ってくださいっ」


 しかられて子供のように口を尖らせる凪を見ながら、晶は肩をすくめた。



☆☆☆



 それから、二人で店名を『天香国色てんこうこくしょく』と決めた。ホームページもなんとかさまになるように作った。


 凪は何度か異世界に赴き、そのたびに泥だらけになって帰ってきた。最初は生傷も多かったが、慣れてくるとしだいに「もらった」と言って動物の毛皮を見せびらかしてくるようになった。なにやら真面目に書き付けているときもあるから、一応仕事はしているようだ。


 晶は凪からぽつぽつ異世界の言語を習ったり、実践的な剣術を習ったりしながら、学校の課題と経理の勉強をこなした。大変だったが、まじめにやると凪は少しずつ時給を上げてくれた。


 そんなこんなで、従業員と社長は充実した暮らしをしていたのだが、数ヶ月経つとさすがに二人とも険しい顔になってきた。


 理由は簡単、客が来ないのだ。それも、一人も来ない。


「まあ、あんまりバカスカ客が来るとも思ってなかったが……こりゃえらく暇だなあ」


 十二月に入ったある日、凪がぼやいた。店には閑古鳥が鳴き、晶がぴかぴかに磨きあげた玄関のドアはかたりとも動いていない。暖かいときはなんとなく気持ちも大きくなるが、刺すような寒気が吹き付けるようになると、不景気がいっそうつらくなる。


「ホームページの訪問数も、未だに一日あたり一桁ですからね」

「俺が顔まで出してるのに」

「モデルのスカウトは来たじゃないですか」


 晶はメールボックスを確認しながら言った。どこのプロダクションか知らないが、かなり熱心なメールが届いている。星の数ほどホームページはあるのに、変わった人が居るものだと晶は思った。


 どうせ暇だし受ければと晶が聞いてみる。てっきり凪は飛び付くと思っていたが、彼の反応は辛辣なものだった。


「嫌だよ」

「なんでですか」

「だってモデルは服をよく見せるのが仕事だろ。俺が一番目立たないなんてありえない」

「あーはいはい」


 めんどくさいナルシストを適当にかわして、晶は無表情のまま新着メールをチェックした。今日もめぼしいものはなく、来ていたスパムメールを削除してしまうと、晶のやる仕事はなくなってしまった。


「学校の課題やっててもいいですか」


 晶が聞くと、凪はあくび混じりにいいぞ、と答えた。晶がかがみこみ、鞄の中身をごそごそ探っていると、入り口のドアについているベルがちりんと鳴った。


「!」

「おい……」


 晶は身を起こし、凪と二人で顔を見合わせる。玄関を見ると、数センチだけ扉があいていた。客の不安を示すかのように、そこで止まっている。ここで下手に声をかけると逃げられるかもしれない。晶は祈り、凪は白衣についていた埃をはらって客の決断を待った。


 結果は吉と出た。


 からん、と音をたてて扉が大きく開く。この怪しげな店ができてから、初めての来客だった。


 入ってきたのは、晶と同い年くらいの女の子だった。飛び抜けた美形ではないものの、卵形の顔に人の良さそうな大きな目をした、かわいい顔立ちだ。服装は清楚なピンクのワンピース。肩にかけていた白いバッグもそれに雰囲気を合わせた上品なものを使っている。


 しかし、彼女の頭部を見た晶は素直に首をかしげた。ヘアスタイルが壊滅的に顔から下の雰囲気と合っていない。わざとアンバランスにするという上級者用のおしゃれなのかと晶は悩み、最初の歓迎の挨拶が出てこなかった。


「いらっしゃい。そこにかけて」


 さすがに凪は違和感に飲み込まれることはなく、一片の曇りもない営業スマイルで客を出迎える。絶世の美男子の笑顔の威力はすさまじく、おどおどしていた女の子の顔がぱっと明るくなった。


「寒い中ありがとう。暖かいものを用意するね。コーヒーと紅茶と、あとは茶葉まで食べられるフルーツティーがあるよ。なにがいい?」

「……あ、は、はい。えっと……」


 女の子はしばらく考えた後、フルーツティーを、と消えそうな声で言った。凪から目配せされた晶は課題をバッグにねじこみ、お茶を入れにカウンター奥のスタッフルームへ入る。


 初めて使う来客用の茶器を用意し、湯を沸かす。ドライフルーツがたっぷり入ったハーブ茶にお湯を注ぎしばらく待っていると、次第に果実がふやけ、鮮やかなピンク色が出てきた。 

  

 晶はさっきの客の風貌を思い出してため息をついた。人の趣味をどうこう言えるほどファッションに詳しくない。しかし、女の子がアフロヘアにしているのはあまり一般的とはいえないことくらいわかっている。しかも、あんな清楚な服装に合わせる髪型でもないだろう。今のところ礼儀正しくしているが、なんだかよくわからない人だ。


 ……それでも、ありがたいお客には違いないが。

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