第7話 父と息子

「……まあよい。この男がおぬしにいろいろ教えておらんのが悪いのじゃ。そなた、何者か」

「ひ、火神晶ひかみあきらです」

辰巳たつみの息子な」


 晶はおずおずと名乗った。なぎが横から付け加える。


「そうか、タツミの息子か。悪いやつではなさそうじゃが、アキラとやら、こちらにくる時に面倒をかけるなよ」


 美少女に念を押されて、なにがなんだかわからないままに晶はうなずいた。少女はふんっと鼻を一つならして、また地図の中へ消えていった。後には、埃が混じった空気が残っているだけだ。


 我に返った晶はしきりに地図を手でこすったり、裏側を見たりしてみたが、どう見ても人が隠れられそうなスペースはない。


「種も仕掛けもない。本当に、その地図は異世界に続く扉だ。さっきの子供は、異世界の秩序を守る番人だ。こっちで捕まえようとしたって無駄だぜ。どうだ、こんなの他の奴がまねできるか?」


 凪がきっぱりと言う。晶は驚き、次にぞわっと鳥肌がたつのを感じながら、凪に聞いた。


「じゃあ、父さんの三千万は」

「これの購入資金だ」


 ようやく父の金の具体的な使い道がわかったが、あまりのことに晶はぽかんと口をあけた。一体どうして、まじめだった父がこんなものに巡り会ったのだろう。


「辰巳が仕事を首になった話はしたな?」


 凪が晶の顔をのぞき込みながら言う。晶はうなずき、凪の話の続きを待った。


「あいつには珍しく飲み屋でつぶれてるところを俺が見つけてな。ヒマなんだったら、息子には出張だとでも言って、海外で気晴らしするかって誘ったわけよ。その時点では全然商売なんてする気なくて、ふつうの傷心旅行ってやつだった」


 凪の話は続く。


 旅行の日程も大体終わり、さてなにをしようかという話になった時、ふと『呼ばれた』のだという。


「白い鳥が数羽、ずーっと俺たちの前を飛ぶんだ。まるでどこかに案内したいみたいにな。面白いからついていったら、小さな路地に入り込んだ」


 そこで二人は、奇妙な黒猫に会った。猫のくせにどっかりとベンチにおっさんのように腰掛けて、じっとりと人間たちを見つめていた。なんだか居心地が悪くなって帰ろうとした二人に、猫は口の端をつり上げながら不敵に言った。


「よかろう、。見るがよい、我が秘宝」


 その言葉と共に、金色の光に包まれたこの地図が出てきたのだと凪は言った。


「俺もびっくりしたけど、辰巳の入り込みようが尋常じゃなくてな。子供みたいにあちこち見て大喜びだった。何しても寂しそうだったのに、ほんとにそのときは嫌なことを忘れたみたいでな」


 何かに夢中になった時の父の姿が安易に想像できて、晶は笑った。その後すぐに、眼の奥が熱くなってくる。


「帰ってきてから辰巳が猫に、この地図がほしいと言った」


 凪は父の申し出を聞いて、無理な願いだと思ったらしい。が、猫は短い足を振り回しながらうなずいた。驚喜する辰巳に地図を差し出しながら、猫は鋭い目つきになった。


「しかし、お前の『全て』と引き替えだ。この世界を望むならば、今おる世界の全てを捨てるがいい」


 猫に厳かに言われた途端、辰巳の顔から喜びがすっと消え、落ち着いた顔つきになってこう答えたという。


「ならいらない。家で息子が待っています。……良いものを見せていただいて、ありがとうございました」


 迷わなかったぜあいつ、と笑いながら凪が言う。晶も一緒に笑ったが、その声は震えていた。


「けど、辰巳がそう言ったら今度は猫の方が食いついてきてな。『貴様の持ち金全てで勘弁してやる』とか、妥協してるのかしてないのかよくわからん条件出してきた」

「父さんはそれにOKしちゃった、と」

「なんか興奮してたから即決でな。帰国してから預金通帳見たら、引き出した覚えもないのに勝手にほとんどゼロになってて驚いたと言ってたぞ。そこで慌てて金を取り戻そうとして、起業の話になった」


 どういう仕組みなのだと晶もたまげたが、この地図を持っているような相手ならなんでもできるのかもと思い直した。三十円だけ残したのは、猫の食い残しだろうか。


「それにしても、地図が手に入ったあと、ずっと興奮はしてたが……まさか、辰巳の心臓にきちまうとはな」

「まったく……父さんらしいというか」

「俺を恨むか?」


 凪がすっと難しい顔になって聞いてきた。晶は首を横に振る。


「いえ、全く」


 父は父なりに、ほしいものに向かって全力で走った。そして自分のことも忘れていなかった。その確認ができただけで、晶としては十分だった。凪が地図を使って商売することも、構わないと思えた。


「商売するのはいいし、真似できないのもわかりました。ですけど、これと薬局がどう結びつくんです?」


 晶が聞くと、凪はよくぞ聞いてくれましたとばかりに胸を張った。


「これは単に、向こうの人間をのぞき見できるだけの道具じゃない。俺たちがこれを使って、実際に異世界に行くことができる。だから、向こうにしかない珍しいものを持って帰ってきて、こっちで加工して売る」

「いやいやいやそれはさすがに」


 晶は扇風機のように首を横に振った。地図は何回見ても平面だ。そこに生身の人間が入り込めるはずがない。


「さっき番人はそこに消えてったろ」

「あの子は見た目からして特別な感じだったじゃないですか。僕は普通の人間です」

「……どーしても納得しないか。仕方ないな」


 凪は絵になる仕草で前髪をかきあげると、いきなり地図の一地点を指差し、「ゴルディア」と唱えた。凪の声に応えるように、地図の上にぱっと円形の魔方陣が出現する。凪はなんの迷いもなく机の上に立って、魔方陣に足を踏み入れた。


「ちょっと来てみろ」

「……わかりましたよ」


 何が起こるかわからないところに行くのでは、という恐怖がこみあげてきたが、晶はぐっとこらえた。一度体験してみれば、凪の言うことが嘘か本当かはっきりするだろう。晶も手を貸してもらってどうにか机の上に上がり、魔方陣に足を踏み入れた。


 晶の両足が魔方陣にきっちり入った次の瞬間、足元から黄金の光が立ちあがり、晶の視界は真っ白になった。



 ☆☆☆




「…………」


 眩しさが抜け、目の前がまともに見えるようになっても、晶はまだ目をパチパチさせ続けていた。口から言葉が出てこない。それほど、眼の前の光景は魅力的だった。


 晶の目の前には、石造りの建物が山にへばりつくようにして建っている。石壁の色が統一されているので、街全体がまとまった一つの家にも見える。今の日本ではまず見られない光景だ。


 晶が立っているのは高台で、広場になっている。そこから見下ろすと、建物の間には緑の木々が繁り、まるで村全体が空中に浮いているようだ。


 上を見ると、高所に行くほど大きな家が建っているのがわかった。一番高いところには、ひときわ大きな屋敷がある。


「あれがこの地方を治める領主様の館だな。特産品も多くて、なかなか豊かなところだぞ」


 晶の後ろに立っていた凪が解説する。


「それにしちゃ、みんなの顔が暗いですね」


 晶たちの横を、狭い路地から出てきた農民たちがひっきりなしに行き交うが、皆の顔に笑いはない。時々立ち止まって、みんなで肩を落としている姿も見られた。


「作物が不作みたいだな。かごの中の収穫物が少ない」


 凪はよく周りの様子が見えている。晶が感心していると、凪に手招きされた。いつの間にか、凪は石塀の陰に移動している。


「よし、初異世界ということでご褒美だ。なんかおごってやろう」

「いいの?」

「ははは、大人をなめるなよ」


 凪は懐から、銀貨と銅貨……に見える小銭を出した。無銭飲食する気はないと分かって、晶もほっとする。


「じゃあ、あれがいいな」


 広場の隅に、ソーセージ売りがいる。起こした火でじゅうじゅうと香ばしく焼けるその匂いは、晶の鼻を心地よくくすぐっていた。


「よし、行くか」


 意外にもしっかりした店だった。元は飲食店だったのだろう、大きな竈や炉がついている。しかし、現在使われているのは網焼き用のスペースだけだった。売り場にも、男ひとりしかいない。


「ふたつくれ」

「はい」


 店員は串に刺したままのソーセージを差し出す。紙皿なんて気の利いたものはなく、うっすら油が浮いたままの代物だ。今にもはち切れそうな姿に誘われて、晶はかぶりついた。


「おいし……い……」


 ぷりっとした皮が弾けると同時に、肉汁があふれ出す。そこまでは良かったのだが、圧倒的に味がしない。肉そのもの、ではあるが、そのもの過ぎて大変味気なかった。


(し、塩だ……)


 塩分やスパイスが全然入っていないソーセージ。始めて食べたが、その微妙さは想像以上だ。


「晶、こっち」


 凪が手招きしてくる。二人は物陰に姿を隠した。


「ほら」


 凪はこれ以上ないほどのドヤ顔をして、白い粉末を出してきた。いけない物質……ではなく、ミックスソルトである。それを断面につけて食べると、今度こそ絶品のソーセージができあがった。


「すごいなあ、こんなにちょっとで変わるなんて」


 大航海時代はスパイスを求めるための旅だった、と授業で聞いたことがある。その時はもの珍しかったからかな、と漠然と思っていたが──今は間違いだったとはっきりわかる。この革命を体験したら、もうなかった頃には戻れない。


「……でも、凪。そんなもの持ち込んで、番人に怒られないの?」

「ははは。俺がそんなヘマをすると思うかね」


 今までの経験からすると、大いにありうる……と思ったが、晶は黙っていた。


「塩やスパイス程度なら、この世界にも存在してるんだよ。ただし、めちゃくちゃ高価な上に使い道が限られてる。あそこの店は塩が高くて買えないから、けちってるんだな」

「なるほどね。もともとあったものなら、持ち込んでも文句は言われないのか」


 カタリナが無言で晶たちの上空に浮かび、うなずいた。


「もちろん、世界のバランスを崩すレベルで売り買いしたら……」


 カタリナの拳が握り締められた。言葉を発していないのに、意図が明確に伝わるって素晴らしいなあと晶は思う。


「そうかあ。それができるなら、こっちから塩やスパイスを買って持ち込むよね」

「ボロ儲けは間違いないが……そういうことだ」


 理由がわかった晶は、納得しながらソーセージを平らげた。しかし、新鮮だからか実においしい。もう数本買って、ストックしておきたくなった。


「ねえ、追加で買おうよ。僕の給料から引いてくれていいから」

「やけに積極的だなあ。いいけどよ」


 晶は凪の袖を引き、物陰から飛び出す。しかしその途端、周囲から注がれる冷たい視線に気付いた。


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