第6話 美少女の冷たい視線

 なぎあきらは、連れだって狭い路地を歩いていく。誰が書いたのかわからないスプレー書きのパンダの前を通りすぎ、小さな飲食店の排気口が立ち並ぶやたら暑い道を通る。


 凪は勝手知ったるというように、全く迷いなく複雑な道をすいすいと進んでいった。ここではぐれたらもう二度と会えない気がして、晶は必死で凪にくらいつく。


「着いたぞ」


 ようやく、凪が足を止めた。晶の目の前に、赤茶の煉瓦塀に囲まれた小さな家がある。生成りの土壁に、年期の入った玄関の木製ドアがよく合っていた。二階に一つだけ出窓があり、そこに植物の鉢が所狭しと並んでいる。


 石の階段を登り、凪が玄関のドアをあける。くすんだガラスがはまった木製のドアが、わずかにきしみながら開いた。凪に続いて、晶は店のなかに足を踏み入れた。

思っていたより室内は広い。縦長の店内は、少し古びた白い壁と、茶色のフローリングの落ち着いた空間になっていた。


 客に応対するためだろうか、どっしりしたカウンターとソファーが置かれている。カウンターの中には、色とりどりのキャンディーが詰まったガラス瓶が並んでいた。


 晶はソファーに腰かけてみた。心地よい弾力があり、しっとりした皮の感覚が全身を包み込んでくる。大事に使われていたことがわかる、良い家具だと思った。凪はちゃらんぽらんに見えるが、内装のセンスは悪くない。


「いい雰囲気ですね。カフェでもやるんですか」


 晶が聞くと、凪は首を横に振った。


「いや、俺にはあんな難しい商売は無理だ。見せてやるからついてきな」


 そう言うと、凪は足を動かしてさっさと階段を登っていく。足が常人より遥かに長いものだから、あっという間に凪の姿が消えた。晶は慌てて後を追いかける。


 急な階段を登りきると、ここにも晶の見たことがない光景が広がっていた。二階には大きな棚が壁全面に備え付けられており、その中にびっしりと何やら植物の入ったガラス瓶が並んでいる。


 植物は全て生ではなく、乾燥した状態で無造作に瓶に詰め込まれていた。瓶のなかに木の匙が入っているから、これですくって売るのだろうか。なんとなく映画でよく見る古い魔女の家のようで心が踊った。


「ま、かけて」


 ボウルのような白い陶器が大量に並んでいるのを雑に押し退け、凪は机の上にスペースを作った。背もたれのついた高い椅子を勧められ、晶は四苦八苦しながら腰かける。


 凪がこれまた雑に入れた薄い茶をすすりながら、晶は話に耳を傾けた。


「飲食店じゃないならなんなんです?」

「美容問題専門の薬局。今や老いも若きも美しくなろうと必死だからな。伸びるぞ」

「そりゃそうですけど、世の中にはもうあると思いますよ、そういうとこ」

「俺がやろうとしてるのは、他の連中には絶対にまねできないことだ」

「……薬と偽って小麦粉でも売る気ですか?」

「バカ言うな、そういう不正はやらないぞ」


 凪は晶が散々苦労して座った高椅子に難なく腰かけ、頬杖をつく。


「ますます嘘くさ。納得できません」


 晶は派手に顔をしかめた。凪はそれを見てにやにや笑う。


「まー今時の子はシビアだねえ」

「しっかりしてると言ってください」

「じゃあ何で俺がこんなに余裕なのか、その根拠を教えてあげよう。ついてきな」


 男が立ち上がり、奥にあった小さな扉の中へ消えていく。晶も茶を飲み干して、扉の奥へ進んだ。室内に入ると、今までとはうってかわって薄暗い。ぼんやりとしたランプしかついていなかった。


 さっと影が眼の前を横切る。晶は反射的に、壁際のモップを取って正眼に構えた。


「俺だよ、俺」


 影がゆらりと動いて、凪の声がした。晶はほっと息をついてモップを下ろす。


「お前ちょっと過剰じゃないのか」

「なにかあってからじゃ遅いんで」

「なかなかマジな構えだったな」

「剣道やってます。段持ちです」

「ふーん。頼もしいこった。辰巳たつみはそういうの全然だめだったがな」


 晶が剣道有段者というのがそんなに意外だったのか。凪は目を見開いてじろじろと晶を見てきた。


「とりあえずモップ置いてこっち来い」


 凪は立ち上がり、棚の上に一つだけあった鍵付きの引き出しに、鍵を突っ込んだ。そこから凪が取り出してきたのは、古びた羊皮紙に書かれた大きな地図だった。


 晶は凪に言われた通りモップを置き、その巨大な地図に見いった。見たところ、四つの大きな大陸と、無数の小島が書かれたなかなか凝った逸品だった。単に大陸や海が書かれているだけではなく、小さな城や村まで細かく書かれていてなんともほほえましい。


「すごいですね」

「もっと細かく見たいか?」

「え? まあ、はい」


 晶は一応うなずく。凪が虫眼鏡でも出してくるのだろうかと思ったが、まるで違った。


 凪が指ですっと地図をなぞると、一つの村の様子が、いきなり鮮やかに空中へ写し出された。石壁に紺の屋根で統一された町並みに、夕日が落ちていく。金色の光の中、人々は皆石畳の道を通って家路を急いでいた。


 まるでカメラのレンズがいきなり寄ったような光景に、晶は目をむく。


「デルス、ヴェントナタルア」

「ニェット、テアナルキ」


 農民らしき、大きな収穫用の篭を手にした女たちがうつった。晶にはさっぱりわからない言葉で会話していたが、最後には二人ともあはは、と笑いながら通りの向こうへ消えていく。


 顔まではっきり見える距離で観察しているのに、彼女たちは晶たちには全く気づいていないようだ。晶があっけにとられているうちに、今度はのしのしと大きな牛が画面を横切っていく。


「ど、どうなってるんですかこれ」


 晶が聞いても、凪はにやにや笑うだけだ。むっとしながら再び地図を覗きこむと、今度は冷たい紫の二つの目が、じーっと晶を見つめている。それは目もくらむほどの美少女だった。


「わっ」


 晶はあわてて飛びすさった。その間にも紫の目の少女はどんどん画面から飛びだし、あっという間に全身が地図から浮き出てきた。少女の腰まである長い銀髪が、ふわりと広がり優美な曲線を描く。


 見れば見るほど、少女の顔は完璧なバランスだった。鼻も口も小さく上品にまとまっていて、肌が抜けるように白い。きつくつり上がった大きな目が笑いさえすれば、冗談抜きで国が傾きそうだ。


 少女の全身をくるむゆったりしたローブには、金糸を惜しみなく使って時計の文字盤が刺繍されていた。まるで知識のない晶が見ても一目で高級品と知れる。


 晶がすっかり見とれていると、少女は右手に持った大きな宝石がついた杖をぶんと振った。


「無闇に見るでない、と言っておいたはずじゃがな」


 無粋な視線が気にくわなかったのか、少女がじろりとこちらをにらんできた。晶は反射的にごめんなさいと頭を下げる。しかし凪は、しゃあしゃあと「久しぶり」と少女に向かってほざいた。


「そそのかしたのは貴様か」

「いやー、悪い悪い」


 大して悪いと思っていない様子で凪は右手をあげた。少女の杖が、一瞬ばちっと攻撃的な光を帯びたのを晶は見逃さない。


「す、すみません」


 凪にかわって頭を下げる晶に、少女が憐れみのこもった視線を投げてきた。

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