第4話 かくして英雄は路端で出会う
次の日曜日、
叔父の家は高級住宅街にある。その名にふさわしく、街中には歩道がきちんとついた幅の広い道路が通っていた。街路樹や花壇もまめに手入れされており、ゴミが落ちているのも見かけない。
道路の両側には、家族向けの大きな建て売り住宅やモダンなタイル張りのデザイナーズマンションが建ち並び、店はあまり見当たらない。
嫌なことは早く終わらせたいと、約束の三十分も前に来てしまった晶は、仕方なくコンビニで雑誌を立ち読みして時間をつぶした。
腕時計のアラームが鳴った。晶はのそのそと叔父の家へ向かう。コンビニから五分ほど歩くと、白壁のまぶしい叔父の家にたどり着いた。明るい茶色の煉瓦塀の向こうから、最近三才になったばかりの従姉妹のはしゃぎ声が聞こえてきた。
それをたしなめるのは、二十代後半の叔母である。叔父が遅くに結婚したため、晶にとっては『おばさん』と呼ぶのがひどくためらわれた。加えて、この叔母は人を小馬鹿にしたようなところがあるため、晶は嫌いだった。
晶が入っていくタイミングをうかがい、家の中の話に耳を傾けていると、叔母が話し出した。
「あなた、そろそろ来るわよ。お兄さんとこの子」
「ああ、そうか。全く、兄貴も面倒くさい死に方をしてくれたもんだ」
叔父も庭にいたらしい。特大のため息が聞こえる。塀の外側にいた晶は、手のひらに自分の爪が食い込むのを感じた。
「あの子を引き取るなんて言わないわよね」
「バカ言えよ、兄貴の遺産があるならまだしも、弁護士が言うとおりならすっからかんなんだろ。
「わかってるならいいけど」
ひどく冷たい大人たちの会話の合間に、従姉妹が歓声をあげた。よしよしいい子だ、と叔父が猫なで声を出す。
「でも、何かしとかないと外野がうるさいかしら」
「世間はそんなに暇じゃない。晶には家があるんだ。中学は出てるんだから、工事現場ででも働けばいいんだよ。いつも秀才だ博士だと持ち上げられてた兄貴の息子が土方働きなんて、おかしくて涙が出てくるぜ」
「そうね」
叔父と叔母が同時に笑い出した。大人たちの残酷な声が晶の耳にこだまする。とうとう、晶のなかで何かが切れた。
約束の時間になると、晶はずかずかと玄関に回り込み、わざとらしくチャイムを連打する。
すぐに叔父がうさんくさい笑顔を張りつけて出てきた。
「よう晶! 大変だったなあ」
「ええ、ものすごく」
「叔父さんにできることがあれば言ってくれよ。でも、うちは今、絵夢がいるからなあ。晶なら、一人暮らしもすぐ慣れるさ。人生、何事もチャレンジだ」
かなりあからさまに、叔父は晶を厄介払いしようとしている。部屋に入れることすら嫌なようで、玄関先で済まそうとしているのが見え見えだった。晶は叔父の腹に包丁を突き刺す妄想をしながら言葉を続けた。
「そんなこと言われても、僕一人じゃどうしていいかわからないし」
「大丈夫だよ。困ったらいつでも相談にくるといい」
「相談、ですか。じゃあさっそく一つ良いですか?」
「え?」
晶がそう言うと、叔父が肩を強ばらせた。
「僕大学に行きたいんです。奨学金はもちろん借りますけど、とりあえず高校の学費、いくらか貸してもらえませんか」
晶が金の話をすると、叔父の顔があからさまにひきつった。
「いやあ、それは急に言われてもなあ」
「もちろん今日でなくて結構です。でも、僕は中卒で働く気はないですからね」
叔父の目を見ながら、晶は笑う。さっき聞いた心ない言葉の断片を、わざと会話に混ぜてぶつけてみた。
「いやあ、どうだろうな。それも悪くないと思うが……」
叔父は晶の言葉の意味に気づいたのだろう。暑くもないのに汗をぬぐいながら言った。晶は意地悪く笑いながら、くるっと背中を向ける。
「また来ます」
「晶、もしかして聞いてたか?さっきのあれ」
この期に及んでもしかしてとは。もはや怒りを通り越して哀れみすら感じる。叔父の問いに晶は沈黙で答えた。
「ごめんな、
「……………」
とってつけたような謝罪の言葉。謝ったからそれでいいだろうという傲慢、相手が許すに決まっていると思っている侮蔑。叔父の言葉の底にある感情を読み取った晶は舌打ちをした。
「な、男はごめんと言われたら許すもんだ、ほら、握手」
叔父が汚い手を差し出してきた。本当はもっと真っ正面から罵声をあびせてやりたいのだが、今のところ身内として頼れるのは叔父しかいない。自分の身の上を嘆きながら、晶は叔父の差し出した生ぬるい手を握った。
☆☆☆
晶は叔父の家が見えなくなるなり、コンビニに駆け込んでしつこいくらい手を洗った。ようやく気が済んだところで、とぼとぼと肩を落として道を歩く。風に吹かれて飛んできた銀杏の葉が、晶の頬をかすめて飛んでいった。
小学生たちが、賑やかな声をあげながら晶の横を通り過ぎていく。幸せそうな他人の顔を見るのがつらくて、晶は下を向いて歩き出した。
「
いきなり横から名を呼ばれて、晶は顔をあげた。秋の青く、高い空が目に飛び込んでくる。その空を背にして、白衣を身につけた短髪の男が立っている。
男は同性の晶でも、ほれぼれするほど整った顔立ちをしていた。少し日焼けした肌にはしわ一つなく、大きな茶色の瞳には自信がみなぎっている。長めの前髪をかきあげる仕草など、映画のワンシーンを見るようだ。
こんなモデルのような人が、自分を知っているわけがない。それに、こんなところにぼんやりつっ立っている男なんて、なんだか危険な気がする。自分に関係があるとは思えない。
きっとさっきのは空耳だろう。晶は首を横に振って、男を置いてきぼりにした。
「無視ひどい」
しかし次の瞬間、白衣の男が横歩きで無理やり晶の視界のフレームに入り込んできた。相手の思わぬ敏捷な動きに、晶はたじろぐ。
「触っちゃダメな人だと思ったので」
晶の口から本音が漏れた。それを聞いた男が顔をしかめる。
「お前、意外とはっきりもの言うな」
「誰ですかあんた」
叔父に言いたいことが言えなかった八つ当たりだと頭では分かっていても、口が止まらない。晶は白衣の男に無遠慮な言葉をぶつけた。
「ひどいな、この前話したばかりなのに」
男が頬を膨らませて言い返してくる。はて、こんな変人と接触する機会があったろうかと晶は首をかしげる。そう言われてみれば、なんだか男の声には聞き覚えがあった。
「ん、この前話した……ってああっ!」
晶はようやくこの男が誰かわかった。
「電話の詐欺師!」
「お前は『オブラートにくるむ』という素敵な日本語を知らんのか」
男は苦笑いしながら言い返してくる。晶は男のつるりとした顔をにらみ続けた。整った顔立ちは少し歪んでいても十分見られたが、そんなものにだまされてたまるか。
「まあ、確かに俺の言い方が悪かった。いきなり異世界とか言われてもわからんよな。金を
「謝ったって許しませんから!」
晶は腕組みをしながら叫んだ。男は怒鳴り返すか、それとも笑みを浮かべて威圧してくるか。どちらにしても反撃してやろうと身構える。
「ああ、いいぞそれで。でも、もう一度時間をくれないか。前に話しきれなかったことが山ほどあるんだ。俺じゃなくて、死ぬ前の辰巳が考えていたことだけでも伝えておきたい」
しかし、男はのんびりした口調で言った。あまりに余裕に満ちた態度に、晶は毒気を抜かれてぽかんとした。
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