第3話 頭は大丈夫ですか?

「だって、そうでもなきゃ大金を一気に引き出すなんておかしいですよ。父さん、いったんハマると極めるまで満足しない人だったから」


 新興宗教はだいたいお布施を要求してくるし、怪しげな霊感商品を買ってしまい全財産をすった人間もたくさんいるだろう。妙に素直で人の良かった父が、あきらの知らないところでひっかかっても不思議ではない。


 晶の頭の中は、怒りで煮えくりかえった。しかし、高橋たかはしはひたすら晶をなだめた。


「決めつけてはいかん。そういう宗教なら、最初は少額のお布施から始めさせて、徐々に深みにはめるものだよ。はじめからうん千万を要求して、はい出しますと言う人間はいないからね」


 晶は言い返せずに口をつぐんだ。


「もちろん、きちんとした証拠が出てくれば警察に行くよ。しかし、まずは情報を集めよう。後は私に任せて、君はもう帰りたまえ」


 高橋にそう言われてしまうと、晶にはどうすることもできない。荷物をかかえて、とぼとぼと事務所を後にした。


 行きと違って、通学用の鞄がやけに重く感じる。冷たい風が自分のところだけ、多めに吹き付けているような気さえした。そして、きゃあきゃあ言いながら横を通り過ぎていく女子中学生の集団に、無性に腹が立つ。


「いいよな、あいつら」


 誰に聞かせるわけでもなく、晶はつぶやく。拳を握り、苛立ちを発散させるように、暗くなった通りを駆け抜けた。



☆☆☆



 晶が明細を見てからさらに数日がたった。高橋も動いてはくれているが、まだ三千万が消えた理由はわかっていない。


「はあ……」


 じりじりしていると、普段より疲れやすくなる。学校から帰ってきた晶は、家の玄関に座りこんだ。そのまま廊下に倒れこむ。


 一応、晶も何もしていないわけではない。数少ない知り合いを全て当たってみたが、父が大きな買い物をしたという話は聞かない。宗教にはまりこんでいた様子もなく、投資話もしていない。みんな、どうして晶がそんなことを聞くのかと不思議がっていた。


「あと知ってそうなのは、叔父さんだけか」


 晶はつぶやく。父の実弟、叔父ならば金の使い道について何か知っているかもしれない。しかし、晶は聞きに行きたくなかった。


 叔父はひたすら明るく、押し出しが強い。かなり物静かで、ひきこもりがちな性格だった父とは正反対だ。それだけでも晶は落ち着かないのに、叔父の前で少しでも浮かない顔をしていると、


「どうした! 暗い言葉や顔は、運気が逃げるぞ」


と勝手に寄ってきて、向こうの気に入る顔をするまで離れようとしない。


 晶と同じようにうんざりしていた父がよく、叔父のことを『ポジティブの押し売り』とぼやいていた。しかし今は、叔父に聞いてみるしか方法はない。


 晶はしぶしぶ電話の子機を目の前にもってきたものの、恨めしそうに見つめるばかりでなかなか触らなかった。他に選択肢がなくても、嫌なものは嫌なのだ。


「!」


 晶がぐずぐずしていると、突然目の前の子機が鳴った。晶は反射的に電話に出る。


「はい、火神(ひかみ)です」

「……君、誰?」


 電話の向こうから、思い切りこちらを怪しんでいるような若い男の声がした。名乗りもしないのに嫌なやつだと晶は腹をたてる。


「そちらこそどなたですか? 切りますよ」


 晶の声に力がこもる。なめられてたまるかと、背筋をのばした。そのかいあってか、相手は対応を改めた。


「お? 辰巳たつみに似てるけど、声がやたら若いな……あっ、もしかして息子さん?」

「そうですけど」

「おお、ほとんど奴が電話に出てたから、君が居ることを忘れてた。ごめんな、辰巳にかわってくれるか」

「……父は二週間前に死にました。心臓で」


 ひどくうきうきした声をした電話口の相手に殺意を覚えながら、晶は言葉をしぼりだした。


 最初はそのうち慣れるだろうと思った。が、父の死を一度口にするたびに、全身をやすりでこすられているような、何とも言えない腹立たしさがある。なかったことにしてしまいたいのに、忘れてしまいたいのに、話すたびに悲劇は胸の内に蘇ってくる。


 電話口の相手は、晶のその苛立ちを理解したようだ。うってかわって、静かな声で話しかけてくる。


「……無神経で悪かった。今からそちらに行ってもいいか。せめて線香だけでもあげさせてほしい」

「お気持ちはありがたいんですが、今ちょっとごたごたしてて……」

「ごたごたね。もしかして、遺産のことか。すっからかんだっただろ」


 電話の向こうの男からぶしつけに言われて晶はどきっとした。晶の動揺は沈黙にかわり、相手に伝わる。


「すまんな、こんなことを言って。でもはっきり言わないのも、それはそれで嫌だろ」


 自分の状態が相手に筒抜け、というのは気持ちのいいものではない。


「関係ないでしょ」


 晶は震える声でこう言うのが精一杯だった。電話を持った手が震えてくる。もうやめたいと晶は思っているのに、電話の向こうの男はさらに爆弾を放り込んできた。


「関係はある。俺は、辰巳が三千万使った理由を知っている」


 今度こそ、晶の唇が凍りついた。聞かせて、と言いたいのに口が動かない。幸い、相手が勝手にしゃべりだした。


「俺たちは職をなくしたもの同士、商売を始めようとしていた」

「職をなくした? 父さんが?」

「……聞いてないのか。まあ、辰巳も言いにくかっただろうなあ。研究職だったが、三年続けてたいした成果が出なかったから首切りってな。二ヶ月前の話。嘘だと思うなら調べてみろ」


 晶は明細を見返してみた。確かに、今まできちんとあった給料の振り込みが突然なくなっている。この電話の男、嘘ばかり言っているわけでもなさそうだ。


「そこで俺が前々から暖めていた計画を話して、二人で商売を始めたってわけだ。あ、社長は俺な」

「なんの商売で?」

「異世界に通じる扉があるんだ。そこを通って、珍しい品をこっちに持って帰る」


 ここまでまじめに男の話を聞いていた晶は、相手のこの言葉で一気に冷めた。


 結局この男はリストラされた父にうまいことすり寄って、金を巻き上げただけじゃないか。そう思うと、晶の中にむくむくとどす黒い怒りがわき上がってきた。


「世界が違うと、まあなかなか苦労も多くてだな」

「うるさい詐欺師! 今すぐ捕まえてやるからな!」


 晶は電話の向こうの相手に向かってまくしたて、そのまま電話をたたき切った。

やっと、父が散財した理由がわかった。詐欺師め、絶対に許すものか。鼻息荒く晶は、そのまま高橋の事務所に電話をかけた。


「晶くん? 大丈夫かね?」


 相当切羽詰まった声をしていたのか、いきなり高橋に心配される。それでも構わず、晶は話し出した。


「先生、わかりました。親父が三千万も使った理由。騙されたんです」

「なんだって。詐欺、それとも宗教か」


 興味を持ったのか、高橋の声が堅くなる。それに自信を得て、晶は口を開いた。


「悪い奴に、商売をしないかと言われたみたいです。しかも、さっき父をだましたそいつから電話がかかってきました」


 話の展開の早さに、高橋がうなり声を漏らした。


「き、君も恐喝されたのかね。もしくは勧誘とか」

「今回はまだおとなしかったですけど、これからやるつもりなんでしょう。で、そいつの名前は……あ」


 晶はここにきて、ようやく自分の致命的なミスに気づいた。あの男が名乗る前に、怒りのあまり電話をたたき切ってしまったのだ。名前も録音もなしでは、いくら高橋が有能でも探してもらえない。


「どうしたんだね」

「えっ、いや、あの」


 さっきの勢いはどこへやら、晶はひたすらうろたえた。高橋は呆れていただろうが、それを言葉には出さなかった。


「……疲れているのはわかるがね。気をしっかりもちなさい」

「すみません」

「あの三千万は返ってくるかどうかわからない。これからのことを、叔父さんとよく話し合っておきなさい」

「…………」


 電話が切れた。晶は深い脱力感に襲われる。


 自分はなんてバカだったんだ、と髪をかきむしって怒ったがもうどうにもならない。念のため着信履歴も調べたが、謎の男からの電話は非通知だった。


 今度こそ本当に打つ手がなくなった。晶は唇をかみ、しぶしぶ電話で叔父と会う約束をとりつけた。

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