第3話 トイレの石鹸水さま
今日は大学が試験休みなので1人で映画館に来ている。
ええ、確かに1人ですけど、なにか?
今日はずっと前から気になっていた恋愛映画「タコのように抱きしめて」を観るためだ。
主人公の男はうだつの上がらない大学生。そんな男が一目惚れしたヒロインには実は他に3人のライバルが、という話。
クライマックスにヒロインが4人の恋人を相手に「どんと来いや!全部一緒に抱きしめてあげる!」というシーンには、僕もただただ泣くばかり。彼女を抱きしめる8本の腕が絡み合う。
僕もいつか、あの逞しい腕を持つ3番目のような男性になりたい。
しかし、どうしてこの映画の観客席があと他に2つしか埋まっていないのか、この面白さがわからない世の中の人々を思うと理解に苦しむ。
で、時間も忘れて見入ってたせいもあり、スタッフロールが始まったあたりから、僕はトイレに行きたくてしょうがなかった。
すぐ終わるだろう、という期待に反してスタッフロールが長い。
僕は歯を食いしばって観続ける。映画はスタッフロールを最後まで観て、「映画を観た」と言えるもの。
あ、同じ状況なのか、他に座っていた人も、しばらくして他の最後の1人のあの人も、途中で出て行ってしまった。そして僕もかなり際どい状況だったけど、無事観終わり、なんとかトイレに駆け込んだ。
そして用を終えて洗面台に立つ。トイレの中は僕1人だけだ。
すると、声をかけてくるやつがいた。
あ、そうそう、僕は神様と話せるんです。
え?もう少し驚いて欲しいな。
『ちょっと、ねえ、ちょっとアンタ』
「はい?」
『ちょっとどこ見てんのよ、蛇口じゃないわよ、となり、と、な、り!」
蛇口の隣は・・・あの緑の石鹸水の入った容器だ。
「石鹸様、ですか?」
『まーそれに近いといえば近いけど、ま、おんなじようなものね!!細かく言うと、容器は私の衣装、ってとこかしら。それはそうとアンタ、ちゃんと私を使いなさいよ!』
「あ、ええ、はい」
シュゴ、シュゴ、シュゴ。
ボタンを押して石鹸水を手に取る。
『最近の若い人はこういう細か〜いこと、全然気にしないんだから。そんなね、ちょっとくらい、なんて思ってるとね、あっという間におじいちゃんになって、手についた雑菌からポックリなんてこともあるのよ!』
このオバサン的なキャラはなんだろうか。
「ははは。そんな、大げさな」
石鹸の容器が、プルプルっと震えた気がした。
『大袈裟?!アンタ、私を誰だと思ってるんだい?』
「石鹸・・・様、ですよね?」
『そうなんだけど、そういう意味じゃないの!私はね、かれこれ半世紀はあんた達を守ろうとして来たんだからね!』
「確かに。そういえば、小学校にも中学校にもありましたね」
『そうよ。本当、今時の人間たら、まだまだ小さい時は先生の言うことちゃーんと聞いて、手のひらも裏もゴシゴシ洗ってんのに、あんたくらい体が大きくなると、全然使いもしない!』
また容器がプルプルし始めた。
『それをなんだかんだと・・・やれ貧乏くさいとか、匂いが嫌だとか、ずっと入ってるみたいで汚いとか、散々言ってくれて!私の気持ちなんて、これっぽっちもわかろうともしない!』
「はあ、すいません・・・」
『別にね、アンタに怒ってるわけじゃないの。でもね、じゃ、アンタに言わなきゃ、一体全体誰が聞いてくれるというのさ?!私はね、もうずーっと物申したかったんです!』
うーん、面倒な神様に当たってしまった。
トイレの神様なんて美談でもない、オバサン属性のトイレの石鹸様とか、誰が喜ぶんだよ、これ。
「ええ、ま、あの、僕もそろそろ次の予定があるんで。え、ま、そういうことで」
そう言いながら、洗面台から離れることにした。
『ちょっと、まだ私の話は全然終わってないわよ!ちょっと、待ちなさいよ!』
いや本当に勘弁。
せっかくの恋愛映画の感動が、あのオバサンの声で上書きされちゃったよ。もう。
仕方がないので映画館の近くにあるファミレスでサンドイッチを食べることにした。
あのヒロインが好物で、ラストでは8方向からくるサンドイッチを一気に頬張るシーンで締めくくられている。気を取り直して、僕は感動の名シーンを回想しながら、ゆっくりとサンドイッチを加えた。
◇◇◇
そのサンドイッチが当たったらしい。
僕は父親に連れられて、近くの病院にある救急外来に来ている。恐らくは、というか、ほぼ十中八九、食あたり。
「何を食べたんだ?お前、夜食べてないだろ?」
「うん、昼のサンドイッチ、かな」
「何が挟まってたんだ?」
「特に珍しいものは・・・うっ・・・ごめん、トイレ」
僕は足早にトイレに向かう。
今日は、なんだかついてない。洗面台に立ち、手を洗おうとすると、あの声が聞こえるような気がする。
『ちょっと、ねえちょっと!アンタ、ちゃんと手、洗った?!最近の若いもんはねえ・・・』
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