第2話 ママチャリさま

 僕には神様と話せてしまう。本当に、本当なんだって。


 今日は少し家に帰る途中、いつもの道から外れて、少し寂れた並木道を歩いている。まだ夕方には早いけど、生い茂る木々のせいで思ったより薄暗く、日差しは少ない。


 この並木道、僕が小学生の時にはよく歩いていたけど、道沿いに大きな工場が出来てからは、風に乗ってくる油の匂いに耐えられなくて、次第に使わなくなっていったことを思い出す。

 こうして体も大きくなって、改めて通ってみると、それほど大した匂いでもなかったことがわかった。


「少し匂いにも鈍感になったのかな」


 大人になるにつれて、色々な香り、臭さ、様々なものを経験することになる。もう子供とは違うな、そんな思いに耽っていると、どこからか声が聞こえる。


『あのう・・・もし』


 元気のない声が聞こえた。

 こういう時、ちゃんと返事をするべきかどうか、いつも迷う。

 会話する、会話ができる神様は大体が元気だ。そして元気のない神様は、何か問題を抱えている。そしてそのほとんどがなんとかなるような簡単な問題ではないのだ。


『あのう・・・引き上げてもらえませんか』


僕が立ち止まったことがわかったのだろうか、少し声が大きくなった。


「・・・ええっと・・・どこですか?」


 気になってしまったから、しょうがない。僕は相手にすることにした。降りかかるかもしれない難題は、出来ないときは出来ない、と正直に言おう。


『たぶん、ちょっと下です。ミツマタの木の裏側の用水です』


 ミツマタの木、ミツマタのの木・・・あ、あそこか。僕は少しぬかるんだ坂をゆっくりと降りていった。

 そこにはもう水が流れなくなって久しい用水に、半ば落ちたようにはまっている自転車があった。


「これはまた、思ったより大変ですね」


 僕はその自転車に向かって話しかけた。

 いわゆるママチャリと呼ばれる形をしたその自転車は、かなり放置されているようで、スポークは錆びて、カゴは歪み、サドルのビニールも破れていた。当然、タイヤもパンクしているのだろうことは想像にたやすい。


『すみません。朽ち果てるまでこのままでいるのかと思うと、どうにもならない気持ちになりまして。誰か通るたびに、声をかけておりました。やっと、あなたが気がついてくれて』


 僕はその言葉を聞きながら、その自転車を持ち上げる。


「え、と。ママチャリ様、いつからここに?」


 自転車が勝手にこんな所にくるわけがない。捨てられ方から大方予想はついてしまう。少しデリカシーのない質問だったかも。しかし自転車はそんな言葉を気にすることもなく、返事を返した。


『もう、半年は経ったでしょうね。一時期は雪に埋もれて、何も見えませんでしたから』


 自転車が苦笑いをしているように感じる。

 ここまできて、僕は少し驚いていた。


 僕が知っている付喪神、特に会話が成立するような神様・・・・・・・・・・・・は、人気者だったり、肌身離さず持たれていたり、歴史的に価値があるものだったりすることが多い。

 例えば、小さな乾電池一つだって、大切に使われていたりすると、神様は宿る事もある。例えば充電式のような、何回も使われている乾電池なんかは、その傾向が強い。

 そして逆に言えば、壊れて用を為さなくなったり、捨てられたり、忘れられたりしてしまった神様たちは、何も話さなくなってしまう。

 まあ、どの付喪神も必ずおしゃべりというわけではなく、大体は静かにしているものだが、話しかけてきて、かつ返事をしてくれる神様は話好きなことも加えて、結構元気だ。


 しかし、この自転車は、半年も放置されていたにもかかわらず、これだけ話している。これは誰かにとって特別だった事を表している。


「どうして、こんな所に?」


 僕は聞いてみた。


『いや、ご主人が駅前でカギをかけ忘れた日がありましてね、それを見たのか、見つけたのか、どこかの酔っ払いの目に留まりまして』

「盗まれちゃった、と」

『そういうことですな。困っただろうなぁ、ご主人。膝が悪くて』

「まあ、盗むほうはそんなこと気にしてませんからね。ましてや酔ってたとなると・・・もう、目も当てられないですね」


 窃盗と飲酒運転。軽い気持ちなのかもしれないけど、後先考えてやる人は少ないだろう。


『できましたら、お願いがありまして』


やっぱりきたか。


「・・・一応、お聞かせください。ただ、あまり期待に添えないかもしれません」


 付喪神とはいえ、その本質は道具である。この場合は、直してくれ、持ち主を探してくれ、代わりに使ってくれ、のどれかになることが多い。

 それを全部聞いていれば、僕だって限界があるし、身がもたないし、きりがないのだ。


『今、ご主人がどうなっているのか、知りたいのです』

「・・・ここから遠いのですか?」


 僕は簡単に住所と位置関係を説明した。


『思ったより近くに捨てられていたんですね、私。この工場を挟んで、反対側の家です』


 すごく遠いとなると、断りやすかったんだけど・・・しょうがない。


「わかりましたよ、連れて行きましょう」


 ◇◇◇


 その家は簡単に見つかった。

 そして丁度、年配の男性が少し新しい自転車に乗って出かけるところだった。


「あの方がご主人?」


 僕の質問にはただ、この自転車は頷いたような感じだった。そして本当に安堵したかのように自転車は話し始めた。


『ああ、よかったご主人。私の時も無理して買った、奮発して買ったって、よく乗りながら聞かされていたので。もしかしたら代わりがなくて、痛い膝を我慢してたらどうしようって。それが心配で。私はもう助けられないから』

「・・・よかったですね」


 心情的にいえば、よくはない。ハッピーエンドじゃない。だけど、予想はしてた。たぶん、この自転車も。

 一昔前と違って、自転車の相場はかなり低くなっている。電動アシスト自転車とかというほどの付加価値の高いものでない限り、1万円もあれば買えてしまう。

 使い捨てのビニール傘、というほどではないにしても、"代わりのききやすい"物だ。


 僕は自転車に正直に聞くことにする。

 ここからは善意だけで応えきれないから。


「どうしますか?私もママチャリ様を連れて帰るわけには・・・」

『ええ、わかっています。ご主人がどうしてるか心配なだけで、こんな使えなくなった私をどうにかしてほしいというわけには。ただすみませんが、元の場所まで戻していただければ・・・』

「・・・いえ、それだと僕が不法投棄していることになります」

『そうですか・・・そうですね、これ以上ご迷惑はかけられません。しかし粗大ゴミとして処分していただけませんか。こればかりは私だけではどうにも』

「わかりました・・・なんだかすみません」


実際、話ができる相手を、捨てるというのは心が痛む。ほら、なんだっけ、姥捨山のお話のようで。


『いえ、ここまでしていただいただけで、本当に感謝しています』

「・・・では、行きますか」


 僕が自分の家の方向に向かおうとした時、後ろから声をかけられた。


「あのう・・・もし」


 その声が、あの声・・・にそっくりだった。


 ◇◇◇

 盗まれた自転車は結局元の持ち主に引き取られたけど、再び使われることはなかった。


 あの後2、3日して、こっそり覗いてみたら、少し洗われて綺麗になったあの自転車が玄関先の端にいた。

 こっそり近づいてみると、あの自転車は僕に気がついたみたいで、ここ2日ほどの出来事を話してくれた。


 もうしばらくしかいられないこと。

 でも、よく戻ってきたと洗ってくれたこと。

 盗まれた日、やっぱりご主人が大変だったこと。

 すごく自分の事を探してくれた事。


 そんなことを笑いながら、幸せそうに僕に話してくれた。


 そして僕にありがとう、と一言言うと、もう、その自転車は話さなくなった。

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