第35話 最低最悪な話

 着いた先は、木々に囲まれた人気のない神社の境内だった。住宅街に囲まれたところで、広さとしては、一軒家が建つぐらいしかない。

 明日香は鳥居をくぐるなり、足を止め、僕の方へ正面を移した。

「とりあえず、わたしからは色々と聞きたいことがあります」

 彼女は冷たい瞳で、鳥居を挟んで立つ僕の方をじっと捉えた。

「あなたは、わたしと一度も会ったことないですよね? 何で、学校の前で待ってて、わたしのことがわかったんですか?」

「それはまあ、色々……」

「変に濁しますね。何か卑しいことでもあるんですか?」

「別に卑しいとかじゃなくて、多分、説明しても、わかってもらえないと思うから」

「わたしをバカにしてるんですか?」

「そういうわけじゃないけど……」

「なら、言ってください。でも、それで、変な冗談でも言ったら、あなたを殺します」

 明日香は物騒なことを言うなり、僕の方を睨みつけた。さすが、夜に僕を殺そうとする人物だ。「死んでください」は口にしなくとも、似たような言葉を聞くとは思わなかった。

「じゃあ、話すよ。けど、一応言っとくけど、今から言うのは本当のことだから」

「前振りはいいですから」

 明日香は苛立ったような調子で声をこぼす。怒らせると、夜を待たずして、僕は殺されてしまうかもしれない。

「僕は一回、今日を既に体験してる」

「殺します」

「ちょ、ちょっと待って!」

 僕は左右の手を振り、慌てて、詰め寄ろうとする明日香の動きを止めた。見れば、学校の鞄から、何かを取り出そうとするところだ。おそらくというより、間違いなく、夜に襲うはずのナイフが入っているような。どうなのかはともかく、あっさりと死にたくない。

「というより、君は初対面の相手に対して、『殺します』とか、物騒なことを言い過ぎな気がするんだけど」

「素直にそう思っただけです」

「ひどい……」

「殺されるのが嫌なら、自分で死んでください」

 明日香は当然といったような語気で言った。

 僕はため息をつくと、頭を掻き、さて、どうしようかと頭を悩ませる。

 続けて話をして、明日香は黙って聞いてくれるだろうか。また今みたいに、僕を襲おうとするのではないか。

「話は終わりですか?」

「終わりじゃないって」

「なら、続きを話してください。冗談は抜きです」

「いや、その、さっきのは冗談じゃなくて、本当のことなんだけど……」

「やっぱり、わたしをバカにしてるんですね」

 明日香は再び、学校の鞄から、何かを取り出そうとする動きをする。

「わかった、わかったから、その、僕を襲うのだけはやめてください」

「その言い方はまるで、わたしがいずれ襲うことを知ってるかのような口振りです」

「き、気のせいだって」

「怪しいです」

 明日香は学校の鞄に手を入れつつ、僕に近づいてくる。

「まさかですけど、さっき言ったことも本当のことなんですか?」

「だから、本当のことだって」

 僕は何回もうなずき、目を合わせてくる明日香がどうしてくるのか、待った。不安と恐怖で、首筋からは変な汗が伝ってくる感触。別に暑いわけではない。むしろ、西に傾き始めた日の光を木々が覆ってくれて、境内は涼しいくらいだ。

「わかりました」

 明日香は学校の鞄から手を離し、僕から距離を置いた。

「ここで細かく突っ込んでも、しょうがありません。ウソなら、いずればれた時に何とかするまでです」

「何とかするって?」

「あなたを殺します」

「殺すんだ……」

 僕は肩を落とすも、すぐに気を持ち直した。だいたい、僕はウソをついていない。

「タイム・スリップって、わかる?」

「わかります。何回も言いますけど、わたしをバカにしてるんですか?」

「してないって」

「だったら、その、タイム・スリップが何だと言うんですか?」

「その、僕は一回、タイムスリップしたというわけで……」

「そうですか」

 明日香は淡々と声をこぼした。意外に、あっさりと僕の話を受け入れてくれたのだろうか。

「県立菅野高校一年B組の川之江卓ですよね?」

「そう、だけど」

「あれを見てください」

「あれ?」

 僕は言いつつ、明日香が指差す先を見た。奥に祠があり、鈴を鳴らす麻縄と賽銭箱がある。

「僕に、何か神様に祈ってくださいってこと?」

「そうです。神様に、『どうか、早く死ぬことができますように』と願うんです」

「ちょっと待って! それって、僕に死んでくださいと言ってるのと同じだよね?」

「そうです」

 明日香は躊躇せずに、首を縦に振った。ダメだ。僕のことを信じてくれなかったようだ。

「なら、別の話をするしかないか……」

「別の話?」

 明日香は僕と目を合わせた。

「それは、わたしにとって、いい話ですか? 悪い話ですか?」

「それはその、聞いてから、判断してもらえればと」

「わかりました。そうします」

 明日香の返事に、僕は間を置き、深呼吸をする。

 まあ、いずれ伝えなくてはいけないことだ。

「僕は」

 もしかしたら、この場で、明日香に殺されるかもしれない。

「君の姉さん、間戸宮麻耶香さんと付き合うことになりました」

 気のせいだろうか。僕が言い終えた後の一瞬、そよ風や木々にある葉の触れ合う音が何も聞こえなくなった。

 それぐらい、明日香の反応に対して、敏感になっていたのかもしれない。

 で、当の本人は。

「そう、なんですね」

「うん……」

「今の話は」

 明日香は無表情だった。

「いい話どころか、最低最悪な話です」

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