第23話 いざという時には覚悟を決めろ。

「美々、その、お願いだから」

「嫌だ」

 美々は相変わらず、目を合わせてくれない。

 夜の住宅街で、足を止める僕と美々。

 もしかしたら、明日香が現れないだろうか。出てきたら、僕は強運の持ち主、美々といるから、助かる可能性が高まってくる。

「そんなわけないか」

「兄妹喧嘩、ですか?」

 聞き慣れた声に、僕は思わず振り返った。

 見れば、上下紫っぽいジャージという格好をした明日香が立っていた。ついているフードを外し、手ぶらのようだった。

 僕は身構えそうになった。

「間戸宮さん」

「そういうあなたは、川之江美々」

 明日香と美々は、間にいる僕を気にしないかのように、顔を合わせた。

「こんなところで何やってるんですか?」

「お、お兄ちゃんとただ、散歩してただけだから」

「そうですか。見たところ、何かもめてる最中かと思いましたが」

「そんなこと、間戸宮さんには関係ないでしょ?」

「確かに、関係はありません。あくまで、わたしの興味本位です」

「それなら、なおさら関係ないでしょ」

「まあ、わたしとしては、そこにいるお兄さんに死んでほしい気持ちはありますが」

「間戸宮さんにお兄ちゃんのことをそういう風に言うのはやめて」

「この人は姉さんをたぶらかしたんです。わたしにとっては、死んでほしいくらいなんです」

「何で、間戸宮さんのお姉さんを、お兄ちゃんがたぶらかしたくらいで、死ななきゃいけないの?」

 美々は強い語気で言い放つ。

 一方、明日香は引き下がろうとせず、むしろ、距離を縮めてきた。

「今の言葉は聞き捨てならないです」

「あのう、二人とも、喧嘩は」

「お兄ちゃんは黙ってて!」

「あなたは静かにしていてください」

 双方からの声に、僕は、「はい、すみません……」と弱い口調で返すしかなかった。

「お兄ちゃんがたぶらかしたくらいで、寄ってくる間戸宮さんのお姉さんが問題なんじゃない?」

「間戸宮さんは、わたしの姉さんを侮辱する気ですか?」

「侮辱なら、もう、お兄ちゃんが十分受けてるよ。『死んでください』とか、普通、言わないよ、そんなこと」

「それぐらい、あなたのお兄さんは侮辱的なことをわたしの姉さんにしたんです」

「そんなの、妹のあなたが勝手にそう思ってるだけだよ、ねえ、お兄ちゃん」

 急に美々から問いかけられ、僕は「まあ、うん」と口にして、首を縦に振った。明日香の姉、麻耶香がどう思っているか、ちゃんと聞いてない。事故前にファーストフード店で話したとはいえ、明日香が一方的だった気がする。とはいえ、麻耶香が僕にたぶらかされたと思っているように見えなかった。

「わかりました」

 明日香の返事はあっさりとしていた。

「ようやく、わかってくれたんだね」

「今の言葉は、そういう意味じゃない」

 明日香は口にすると、どこからか、とあるものを取り出した。

「えっ?」

「ウソ、でしょ?」

 僕が驚くのも無理はない。

 明日香の手には、再びナイフが握りしめられていたからだ。

「間戸宮さん、やる気なの?」

「じゃなきゃ、こんなのは出さない」

 明日香は刃先を美々の方へ向ける。

 僕はとっさに、美々の前に出た。

「お兄ちゃん」

「美々は逃げて。というより、早く警察を呼んで」

「お兄ちゃんを置いて逃げるなんて」

「大丈夫」

 僕は後ろを向き、美々と目を合わせた。

「今度は大丈夫」

「でも……」

「いいから、早く!」

 僕が叫ぶと、美々は不安げな表情を浮かべつつも、場から逃げてくれた。

「ちょうどよかった」

 見れば、明日香が笑みを浮かべていた。

「何が、『ちょうどよかった』って、言うんだよ」

「邪魔者がいなくなったから」

「邪魔者?」

「そう。これで、姉さんをたぶらかしたあなたを殺すことができる」

「やっぱり、前に僕のことをナイフで刺そうとしたのって」

「思い出したんですね」

「違う。友達からそういうことがあったと聞かされただけだから」

 僕はかぶりを振った。本当はちゃんと覚えているけど。

 明日香はタイミングを伺うかのように、僕の方から視線を逸らそうとしない。

「95%」

「何ですか、それ」

「僕が死ぬ確率」

 僕が言うと、明日香は鼻で笑った。

「おもしろいですね。今から殺されるというのに、そんな死ぬ確率のことを言うんですか。それに、今聞いたところですと、95%って、ほぼ、確実に死ぬってことですね」

「そうだね」

「どう思っているんですか。その確率」

「どう思ってるって、正直高すぎるよね」

 僕は内心、美々を逃がしたことを悔やんでいた。けど、卓球部で、反射神経が優れているとはいえ、ナイフで傷をつけられたくない。兄が妹に助けてもらうだなんて、考えれば、情けないものだ。強運の持ち主、美々と一緒にいれば、大丈夫と思っていた、さっきまでの自分が恥ずかしい。僕は美々の兄だ。年長者として、少しはかっこいいところを見せないと。

「まあ、美々には前に助けてもらったから、今度は僕が助けないと」

「姉さんをたぶらかしたというのに、今さら綺麗事を言っても」

「君の姉さん、間戸宮麻耶香は本当にそう思ってるのかな」

「そう思ってます。絶対に、です」

 明日香は言うなり、ナイフを強く握りしめた。すぐにでも、僕に襲いかかってくる気だ。

 覚悟を決めろ、川之江卓。

 僕はこぶしを作り、明日香とぶつかろうと心に決めた。

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