007

 館に帰り、そのまま着替えもせずに自分の寝床に入った。

 私のところからは、星空が見える。

「はぁ………………」

 ――現実的に。

 それも――本当は、解っていた。かなり昔から気づいていたはずだ。

 私の中にある生命の平等観に揺らぎは、ない。

 でも、それを通しては生きていけるわけもない。

 小学校時代の『あれ』以降、今まで衝突がなかったのは――多分私が無意識の内に抑圧していたからだ。

 『道徳』という殻に倫理観を潜ませて。武器にした。ほぼ、先天的に刻まれた価値観を。

 でも、それを道徳として、よすがに生きて来た、来てしまった私に、他の生き方は出来なかった。それを自分の価値に、矜持きょうじにしなければ、ただの孤児で、倫理観がしているだから――マイナスしか残らないじゃあないか。

 いや違う、そんなことも改めて考えたことはなかった。こんな理屈合わせしたことなかった――総て、無意識のうちにしてきてしまったことだ。

 過ごしてしまったことだ。

 あやまちだったのかもしれない。


 一つ思い出したことがある。

 館長が昔、話してくれた例え話というか。

 私が何かしら、粗相を起こしたときのことだったように思う。

「人っていうのはね、樹みたいなものなのよ」

「樹?」

「ほら、そこにも大きな樹がいるでしょう――あなたの何倍も大きいけれど、あの樹だって、最初は小さかったのよ」

「私よりも?」

「そう。あなたよりも小さかった。あの樹は私や、あなたよりも長生きしているけれど、昔は子供だったのよ。今日は風が強いけれど、あの樹が丁度風を遮ってくれているから、こっちに強い風は来ないわよね」

「うん」

「でも、あの樹だって、子供の頃はこの風に吹かれたら折れちゃうような樹――苗木って言うんだけれど、そんなに弱かった頃もあったわ。きっと。でもこの樹はこうしてとても大きくなっている。雨や風、色々なことを乗り越えて、強く太く葉を広げているのよ――私もそう。あの樹と違って強くも太くもないけれど……いえ、太くないわ、断じて。昔はとても嫌なこととか、出来ないこととかが色々あったけれど、それを乗り越えて生きてきたの。乗り越えられれば、前の自分よりも強くなれるのよ――樹は風に吹かれて幹を太らせて、雨に打たれて根を拡げて、陽に焼かれて葉をしげらすのよ――皆、樹が大きくなるためになっているのよ」

「ふぅん……」

「皆の心の中には、そう、樹がいるの」

「心って、胸?」

「そう、ここに樹が――私のは多分、そこそこ大きな樹が、あなたには……まだ苗木かしらね、さっきの感じだと……樹が生えているのよ。まだ、枝や葉っぱはついていないかもしれないけれど。何かを感じたり考えたり、皆と関わる度に枝や葉っぱが増えてくの――愛とか……お勉強とか、健康とか、天秤とか、道徳とか、仲間とか、ね」

「てんびんって何?」

「えっと……二つのものを比べる道具……よく見て比べてみるってことね」

「へえ……どうとく、は?」

「それはね、とても難しいことよ――」

 みたいな、感じ。

 どういう流れでこんな話に発展したのかは全然覚えてないんだけれども、この部分だけはたまに思い返していたりする。

 私の胸の内の樹は、あれからどれくらい育ったんだろうか。

 一度腐り枯れかけた樹は――今では、私だけのものじゃあない樹は、どれくらい。

 どういう成長が理想なのかも、判らない。

 新月を迎える暗黒のとばりには、おあつらえ向きにも満天に星が散らばっていた。

 私の心のうっそうさには皮肉すぎるほどにそれははっきりと澄んで見える。

 星がにじんだ。

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