006
菫野と言い合い(?)をしてから数十分後、帰り道。
後ろから差す
夕陽に伸びる自分の影を見る。縦に伸ばされて、枯れ木のように見えた。
小一時間経っても、まだ心臓はいつもより拍動が速い――私の中にあったらしいしこりが、菫野との会話で浮き彫りになってしまった。
丁度、
私の病気のときは、私はそんなこと思わなかったけれど(私のだって、癌に
あぁ……
あんまり考えたくない。
逃避したい。
考えるにしたって、気分を入れ替えなきゃ。ダメージを、消さないと。
夕陽に向かって走るじゃないけど、私は鬱陶しいそれに向き直ってみた。虹彩がきゅっと絞まる、眩しい。いきなり目を向けたから網膜が焼けた――まだ動転してるな、私。と思いながら、反射的に目を逸らした。
視界には、アイスクリームの有名チェーン店が在った。
最近、食べてない。
店頭に置いてあるアイスクリームの拡大模型を眺めながら、気分転換がてら、一人で入ってしまおうかなどと考えていた――と、道路側にガラス張りの、カウンターのような形の一人席に、見知った顔があった。
布袋だった。
「え」
その手にはコーンに乗った、『ポッピングシャワー』が握られている。
「「あっ……」」
彼と、目が合った……
*
「へえ〜」
「………………」
「甘いの好きなんだね〜」
「………………」
彼に気づいた私は、即座に店内に入り、レジで『オレンジソルベ』の会計を済ませ、
「……だ、だめですか、甘味が好きで」
「いいや、別に」
ニヤニヤが止まらない。
物凄く決まりの悪い顔を逸らす布袋。
「じゃあなんでそんなにニヤついてるんですか……」
「ギャップだよ、ギャップ」
私の中の布袋のキャラクターは先述の通り、ベタだけれどそれこそ、アイスクリームショップに行っても抹茶やほうじ茶系を頼むような、っていうかむしろそもそも行かないような人間だった。
それが、『ポッピングシャワー』とは!
しかも、一人で入店するほどの嗜好の深さと推せる……
「………………」
「なんか、学校と雰囲気違うね」
今の彼は、学校で感じられるような張り詰めた雰囲気や機敏さを欠いているように見える。
「公私を分けているだけですよ」
「なるほど? ……でも、それにしたって分けすぎじゃあないかな」
ほぼ、キャラクター性に原型が見受けられない。二重人格の手前か。
「真面目にやるべきものは、真面目にやりたいだけですよ」
口の中で弾けているだろうポップロックキャンディの感触に舌鼓を打ちつつ、しかしむしろ普段の布袋らしい台詞が聞けた。
納得。原型はこっちなのかも。
「でもさあ、生徒会活動中は気を張ってるのは、まあ解るんだけど、解散後とか、学校で会ったときとかもそんな感じだよね、布袋くん。いつもキリッと張り詰めてる」
「学校内ですからね」
「疲れない?」
「慣れました。むしろ、会長は脱力し過ぎなんじゃないかと思ってますけど」
「あ、あはは……」
ジト目だった。
「……そういえば前から気になってたんですけど、どうやって選挙に――菫野先輩に勝ったんですか」
「ま、まぁ……そのときは結構、真剣に政治活動してたし」
実は、今回の生徒会発足に伴う生徒会選挙では、会長役一つに対して二人の立候補があった。一人はもちろん、現職の私――もう一人は、菫野麗貴だった。
生徒会活動に必ずしも学力が必要とは思わないけれど、まぁ判りやすい目安として参考にされることは多々あるので明示しておくと、私と菫野の成績は良くてイーブン、ダメなときは私が負ける、くらいだった。
私は、まあ友好関係が広かった(のかな?)ことを武器にしてみたけれど、彼女は彼女で、もう見た目から何から学校組織のナントカ長務めています、みたいな感じのキャラクターで、加えて容姿端麗だったから、半ば人気投票になりがちに思われる生徒会選挙では、勝ち目がないと思っていた。
ところが、結果は私の得票数の方が多かった。
「今の会長とあの時期の会長で、何か変わっているようには見えないですよ」
「ま、まあまあ、無事就けたんだしさ」
「まあ、いいです――来年は、僕が譲り受けるので」
「おっ、やる気だねえ」
似合わない(私が見慣れていないだけで、失礼だけど)笑顔で、布袋は言った。
「……今気づいたけど布袋くん、めっちゃ喋るね」
「普段はこんな感じですよ」
モード切り替え、みたいなもんです、と言う。
「いつもこんな感じにして欲しいな〜……」
「それは無理です――ていうか、そもそも本当は例え校外でも会長にはこんな雰囲気で接したくはないんですけど」
「なにそれ、酷くない?」
割と心外な台詞だった。
「いえ――やっぱり、馴れると仕事に影響が出そうですし。他の生徒会や、委員会長の方々なども同じです。仕事を間に挟む間柄の人たちとは、あまりプライベートで馴れ合わないように……」
全然他人を信用していない見方だ。
「私がそんな公私混同するように見える!?」
「まぁ、はい」
「………………」
「ノリで、割と、しそうです」
ちょっと痛いところを疲れてしまった……話題にしたのは自分だけれど。
「えー……マジかー……」
「まぁ、アイス食べてるときに突撃されたら、作り直すのは無理ですし、もういいんですけどね」
ショックで
「……垂れますよ、アイス」
相変わらずジト目な布袋が私の手元を見つつ言う。私の『オレンジソルベ』がいつの間にか融点を超えていた――
「おおっ、と!」
なんとか、セーフ。ただし、舌で舐めとるという、過分にお下劣な方法で……
「え、へへへ……」
今度は私が照れる番だった。
「そういえば風邪は――どうしたんですか」
布袋は『普段モード』とやらで話し続けていたが、しかし唐突に、普段の切れ味を載せたような言い方で話を変えた。
「ん、風邪? ああ、お薬飲んだら治まったけど」
「そうですか、アイス食べて身体冷やしたらもっと悪化するんじゃないかと思いまして」
「あ、ああ、心配どうもぉ」
「若干薬効くの早すぎると思いますけどね……いえ、さっきの会議では結構、会長キツそうな顔でしたから」
やっぱ判りやすかったか……
「それに、思うところがあるような顔もしてましたし」
一呼吸置いて、
「どう思います、あれ」
「どう思いますって……まあ……」
心中で先ほどの菫野の台詞が響く。そして、布袋の印象も――
「結果を見るしか、ないんじゃない?」
「アンケートですか」
「うん」
「個人的には?」
「………………」
「……別に、会長一人の意向は、言ってしまえばそれだけでは大した力にはなりませんし、大丈夫ですよ」
「……個人的には、あの樹――[記念樹]の病気は治してあげたいよ」
私とデジャヴだから、とは言えない。
「勿論、自習棟に反対ってわけじゃあ、ないけど」
「僕は実のところ、どっちでもいいんですけどね」
意外だった。菫野と同じく真面目系だから、自習棟を推すのかと思ったけれど。
「そもそも、自習するなら放課後の教室なり、自宅なり、学校の図書館なりありますし」
「なるほど」
彼女とはまた、違う視点。
「建てて、本当に有効活用されるかという
でもそれは自習棟の是非だ。唇に手を当てる。
「[記念樹]については、どう思う?」
「えっと……」
考慮してなかったみたいに、多少間を空けた。
「なんていうか――多少なりとも学校生活の楽しみの一つとして、機能しているならば――それを維持していくことが悪にはならないですし、出自が僕らの預かり知らぬところにあったとしても、それを無闇に退かすのは違うんじゃないですか?」
「じゃあそれは、やっぱり、『設備』として――?」
「……気になります? 先週もそんな感じ、ありましたけど」
「まあ……ね」
「例えるならば、何でしょう。廊下の電球が切れてしまっていたら取り替えなきゃいけない、みたいな感覚ですかね。使わない教室があるからといって、そこで遊んでいいわけでもないですし。違います?」
「いや……違わないけれど、でも、私の中では――[記念樹]……っていうか、樹に対してそういう風に扱うのは、なんか違うかなぁって思うの」
さっきも言ったけど。
「生命に対して」
それを聞いて布袋は少し眉を
瞬間、さっきの菫野がフラッシュバックする。ちょっと、怖い。
「……それも、間違ってないと思います。道徳的に」
道徳的に。
「個人的には」
「個人的には」
「学校的には、やっぱり主体となる生徒側に合わせるべきなのかもしれませんけれど」
主権は、生徒ですし。
「やっぱそう思うよね……」
理屈では解ってる、もう解ってる。『私』としてじゃなくて、生徒会長としての判断ならば、やはり学校への利益の有無を本筋に考えるべきなのは解る。でもな。
「……生徒も生きてるし、樹も生きてる。勿論他の動植物も。でも皆あんまり、そうは思ってない気がしてさ」
不意に布袋は目を側めた。アイスを食べているから、だろうか。変に横顔が青白んで見えたのは気のせいかもしれない。
「……確かに、それを常に念頭に置いて過ごしている人間は、会長が思っているほどにはいないかもしれないですね」
向かい合わせに座っているわけではないから、布袋がどんな表情をしているかは判らない。
「それを持ち合わせている会長は、素晴らしいと思いますよ」
「いえいえ……」
内心、安心した。
が、
「でも、気にし過ぎるのは、疲れますからね」
「気にし過ぎる?」
いや、私の中では気にする、気にしないの話ではないけれど。
ましてや、疲れる疲れないも、ない。
どういうこと? という意味を込めて首を
「例えば……えっと、じゃあ、僕らが裏に行くとき、舗装されていない道を通らなきゃならなかったですよね。あのときに、あそこに生えていた草一つ、会長は踏みませんでしたか?」
「………………」
「他に……水道水って河川から
「………………」
「命っていう
「………………」
返す言葉は、なかった。
私はいつも気持ち良く地面を歩けるし、今日も私が飲んでいる水は綺麗で美味しかった。
「そういう問題は、僕もたまに考えますけど――偽善にならない範囲で守らなきゃなって、思い当たるんです」
「………………」
別に布袋は私に言ってるわけじゃあないだろうけれど。でも、私が言われているも同然だった。
「この場合の偽善は必ずしも
――でも無差別にっていうのも、それは、それです。
「バランスが大事だと思うんですよね、結局。現実的に考えて」
現実的。
個人的、学校的――現実的。
「会長?」
「……え?」
「いや、黙っちゃったんで」
「あぁ、ごめんごめん……風邪、治ってないかもね。ボーっとしちゃった」
「大丈夫ですか、本当に……さっき会長は『治してあげたい』って言いましたけど、それは命としてってことですよね?」
「うんまぁ、そうだよ――転んで怪我して泣いている子がいたら、声をかけてあげるのと一緒だよ」
「樹は樹、人間は人間」と言った菫野に、的はずれな反抗心を込めて。 そして、試すために。
「……」
『普段の』布袋だったら確実にない、言うか言わぬか迷うような、注視していなければ気づかないほどの、ほんの少しの間があった。
「それって、それだけの理由ですか?」
「う、うん」
いや、違う。それだけじゃない。慌てて、布袋の方を向いた。
しかし布袋は目を逸らした。気まずそうな――少し遅れてから「そうですか」と頷いた。
「やっぱ――人間と同列に扱うのはおかしい、よね」
それは多分、無差別と同義だ。
「……おかしいかどうかは、判らないですけれども――僕には少なくとも、解りかねる感覚です」
明らかに気遣った台詞だった。
*
それから、私は一人で店を出た。布袋は席を変えて勉強をする(元々、窓際じゃなくて奥の席に座りたかったが、空いてなかったらしい)と言うので、そのまま別れた。
人間は見た目に拠らないな――と、若干ズレた感想を抱きつつ。
もう太陽は完璧に沈んでいた。
「……ずずっ」
どうやら、風邪は治ってなかったみたいだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます