004

「北校舎裏が空いているのなら、そこに自習棟を建てれば良いと思います。二年三組、胡桃くるみ幹人みきと

 それが、次の週の投書だった

 生徒会活動は、基本的に毎週発行する『生徒会だより』なる誌に明記される約束になっている。これは、生徒の、生徒会活動への理解や興味喚起を目的とした仕事の透明化の一環で――実情、普段は誰も読んでいないようなところなんだけれども。とにかく、要は先週の[記念樹]の調査と、その後に伝えられた「あー、あの樹の話ね。そのうち業者さんが来てくれて、色々やってくれるらしいから」も漏れなく掲載したわけだ(もちろんこんな適当な文言じゃない)。

 そうしたら、こんな投書が。一般生徒からの反応って、生徒会をやっていてもなかなか来なくて、ああこの組織でさえ形骸化は免れないのかなぁなんて思うこともあったので、本来これはかなり喜ぶべきことだとは思うのだけれども。

 北校舎裏に自習棟を建てる。

 自習棟とは、読んで字の如く、生徒の自己学習のための建物だ。実は去年、自習棟が欲しいという要請が生徒側からあった。生徒会に対して、である。

 建造物単位で生徒会に申し立てを行うことについて疑問があるかもしれないが、どうしたことか我が高校はそれがまかり通るのである。極端な放任主義というか、生徒主体の学校というか。勿論、それ故に決めごとの制度はシビアに作られていて、それこそ政治的活動レベルでの行動を起こさなければそう上手くはいかない、という反面もあったけれど。

 では去年の申し立ての際にどうしていたのかと言えば、それは誠に恥ずかしいことに「生徒会が渋った」のである。まぁ私がいたわけじゃないから恥ずかしがる義理は本来ないが。渋ったことによって先送りにされ、そのまま月日が過ぎ季節は巡りまだ同じ場所に戻ってきたということだ。

「さて、どうしよう」

「ずずっ……」

「面倒臭そうな内容だな……」

「ずずっ……」

「面倒でも仕事ですから、やるしかないでしょう」

「ずずっ……」

「去年これ流されちゃってるから、きちんと処理したいんだけれども」

「ずずっ……」

「この学校、マジすか……」

「ずずっ……」

「やっしー生徒会なのに知らなかったの? まー、あたし個人的には反対だけどねー」

「ずずっ……」

「……あの……いや、本当にこれ、通る可能性はあるんですか」

 などなど、やはり会議は荒れました。

「荒れてるのはお前の鼻だ!」

「えっ? ずずっ」

「ずずっ、じゃねえ鼻をかめ鼻を!」

「ごめんね今日風邪気味でさ」

「風邪気味じゃなくて風邪だろ……議録に載せてやろうか?」

 ちーん。鼻をかみました。風邪気味の日は嫌な予感がする。意外と、的中するのだ。怖い。

 さて……気を取り直して。

「しかしながら会長、これを議決に通す通さないの前に、先週の件があるでしょう」と布袋。

 そう、そうなのだ。そもそも何故この投書が来たかと言えば、それは北校舎裏の土地について『生徒会だより』で言及した(してしまった)ことがトリガーとなっている。元の発案者が誰かは知らないが、去年の時点で自習棟問題はかなり話題になっていた(『生徒会だより』には投書内容を載せたのに、処理はしなかったという酷いミスにる)。だからそれを見ていた賛同者もしくは本人が、また投書したと考えて間違いないだろう。もっとも、本人だったら怒りのメッセージになっていると思うけれど。

 そして、この話を議論の俎上そじょうに上げるには、まず先週の話――謎の[記念樹]についても考えなければならないのだった。

「一応、訊いてきたぜ。橘萌に。隣のクラスだったから」

 大葉が話し始めた。

「まず、[記念樹]っていう呼称についてだが、これは橘の部活の先輩がそう呼んでいたらしい。橘と同じ部活の奴らもこれを知っていて、割と狭い範囲だけに呼ばれているっぽい」

「あ、わたしもその橘先輩とは多分、違う部活の同級生なんですけど、その生徒たちに聞いたら知ってました。どこで知ったかは覚えてないって言ってましたけど」

 蘭原が続いた。

 他、役員に聞いてもちらほら、同じような感じだった。そこそこの人数の間で呼ばれているらしい。

「あの樹の前で告白すると必ず成功するとか、樹に願掛けすると大学受かるとか、そんな話も聞きました」と、椰子根。

「でも、やっぱりなんで[記念樹]と呼ばれているかは、皆知りませんでした」

「まぁ、俺のもそんな感じだ」

 意外と皆真面目に調べてくれていたようで安心した。

「……そういえば、先生はどうしたんだろう」

「それについては僕が先に聞いておきました」

 一年副会長が答えた。

「『看板は生徒のいたずらなんかじゃなくて、れっきとした学校のもので、何人かの先生は、あぁ[記念樹]ね、というくらいは認知していたけれど、それ以上はよく知らなかったんだよな。でも実際、その看板も本当に樹を指しているのかは判らないし。看板は学校のものでも、樹は……まぁそりゃ確かに敷地内の樹だから、学校のものではあるんだけどなあ。資料も探してみたけれど特に記されてはいなかったよ』、だそうです」

「なるほど……教員の認識も生徒並みかなあ」

 さて、どうするべきか。[記念樹]の治療のための業者はまだ呼んでいないとのことだったが、しかし自習棟を建てるとなれば、無論あの校舎裏は全面的に人の手が加わる。

 あの[記念樹]は多分、退かされてしまう。

「割と、ああでもこれはあくまでこんな感じって印象ですけど、[記念樹]を知っている人は皆、思い入れがあるような口ぶりでしたよ」

「……確かに、あたしのところもそんな感じだった気がする」

 ある一部からは支持のある[記念樹]、ただし正体は不明……か。

 私が目を伏していると、菫野が話し出した。

「順当に考えて、自習棟の件をメインに検討するべきだと思いますが」

「………………」

 内臓が浮いたような感覚に襲われた。顔は動かさない。

「朽ちかけていますし、人の噂程度の知名度――本当に[記念樹]なのかどうかも怪しいですし。片や勉学奨励ですから」

 口を開きかけて、やめた。

 確かに、間違ってない。

 でも、私は――少なくとも私は引っかかるのだ。

 薄汚れたワイシャツの左袖ばかりが目に入る。

「ま、まぁそりゃそうだけどさ、自習棟の件だって去年全く手ェつけてないってだけで、そもそも生徒皆が思ってるかも怪しいよな」

「それは、そうですが……」

「少なくともあたしは反対してまーす」

 会話は耳を通り抜ける。後景にぎゅんとぼやかされて、繰り返されるのはいつかさびた、気分。

 その樹を踏み潰してまで――いや、樹だけじゃあなくて、あの校舎裏にいた草花たちも含めて、それを潰してまでやるようなことなのだろうか、と。

「大葉先輩の言う通り、去年意見が出されたというだけで優先すべきかどうかはわからないところだと思います。それも含めて、調査しては如何いかがかと思いますが、会長」

 生命、道徳。

 小学生の頃、同級生のあの子にも――

「会長?」

「えっ、あっ、あっ、はい、えっ?」

 話を振られたのに、私は気づいてなかったみたいだった。

「大丈夫ですか……つまり、実行に直結する議決をする前に、まずは各々に対する生徒の総意を把握しておかなければならないのではないか、ということです」

「……あー、うん、そだね、うんうん」

「なんか適当っすね」

 うっ。まずいまずい。

「いやちょっと今、お薬何個飲めばいいか考えてたんだ、あはは……ずずっ」

 風邪気味なのをいいことに誤魔化ごまかしてみたりした。皆の目線が集まってしまって、私はつま先を丸めるしかなかった。

 とりあえず、各クラスにいる学級委員を通して、簡単なアンケートを実施することで話は落ち着いた。

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