003

「何かあったの」

「いや、別に」

 館の庭での会話だった。

「嫌な顔してる」

「そりゃ生きていれば嫌なことの一つくらいあるよ」

「それに、に座ってるじゃない――に座ってるときは、大抵あなた、悩んでるときよ。日向子ひなこ

 ――特に何の変哲もない、ベンチだ。私は庭にあるベンチに座りながら、片割かたわれづきを見ていた。

「ただ座ってるだけだよ」

「私には、何か憂鬱そうなものをように見えるわ。木々や草花に向かって」

「………………」

 ミリー養育館の館長、うりもり弦子つるこは、私の癖を当然のように見抜いていた。なかば私の母親代わりでもある彼女は、私と同じように月を見ながら縁側に腰を下ろしていた。

「私、そんな判りやすかったかな」

「まぁ、長年見ていれば、ね」

 見破られていたからといって、だから何が起こるわけでもなかったが、少し恥ずかしかった。

「庭には言うのに、私には言わないのよね」

「いや……まぁ……」

「どうせあれじゃないの、例の病気関係の」

 案外突拍子もない発言であり、図星だった。

「……どうして判るの」

「まあ、あなたが単純に思春期で言わないっていうのもあるにはあるかもしれないけれど、他に理由を探してみれば、気に病んでるのかなって。あのことを」

「………………」

 『あのこと』とは、つまり私が高校入学以前に起こした病気、その治療費について館長その他大勢に迷惑を掛けてしまったことである。

「気にしなくていいのに……とは、何回も言ったからもう今更言わないけれど。でも私達は家族みたいなものなのよ」

 当然、なのよ。

 助けるのが当然。

 私は、自分の腹をさすった。服の上からでも、縦に残る痕がまだ熱かった。

「当然って――館長は言ってくれるけれど、でもそんなわけないよ、私だって高校生になってから――まだ高校生だけれど、でも……」

「いいの。あなたは私の子で、皆の兄弟だから」

「………………」

 なんとも、言えなかった。

 私だって、館長や、館の皆は「家族」だと思ってる。でも、そもそも私には家族の原型はない。館長や館の皆がイコールで「家族」になっている私には、それをもっと掘り下げるための感覚や、その解答こたえはないのだった。

 それに、掌の下で、私の腹の中で未だ鳴動するこの臓器は、人様のものなのだ。「家族」でも、家族でもなんでもない、見ず知らずの他人の助けが、そこに在った。本来あるべき場所から移された、モノが。

「いいのかな……」

「何が?」

「いや、なんでもない……それに、今回はそれについて悩んでいるというより、単に暗い気分になってるだけだし。別に問題があるわけじゃなくって」

「そう……案外、木々草花にも話していなかったのかもしれないわね。ただ、憂鬱にしてるだけで」

「草に話すなんて、どういうことなの」

「え? いつもそんな感じよあなた」

「ないない」

 笑った。

 笑いながら、やっぱり館長は私のことをよく見ているんだなと思った。

 彼女が言う通り、思春期の子供が親に自分の交友関係や趣味を開示したがらない心境と、似ていたのかもしれない。いや私もそりゃ、思春期なんだろうけど。

「まぁ、さっきも言ったけど、それで何かってわけでもないんだ、多分ね……」

 再び夜空に目を向けたとき、煌々と輝いていた月は、雲に飲まれ陰りの裏に消えてしまった。

  夜は更け、風は冷え込んだ。

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