002

 今月の投書、見ときました――ひとつ、気になるものがあったんですけど」

 毎週行われる生徒会定例会議で、一年総務のらんはらが、目安箱の投書について議題に挙げた。ショートヘアの女子だ。

「北校舎裏の[記念樹]が病気のようなのでなんとかしてあげてください。二年二組、橘萌たちばなもえ

 蘭原は文面をそのまま読み上げた。

「[記念樹]とは、何でしょうか」

 投書内容に疑問を呈したのは副会長の菫野だった。姫カットで黒髪ロング。生真面目で、悪く言えば堅物……育ちの良いお嬢さまと言った感じ。実際に家はお金持ちらしい。それについて言及すると怒るけれど。

「あのほら、北校舎裏にある大きい広葉樹あるじゃないですか」

 蘭原が答えた。あぁ、あれか。

「? ……あまり印象ありませんね」

 菫野は知らなかったようだ。蘭原は知っているらしいとして、他の生徒会本部役員の面々――もう一人の一年総務、椰子やしや、二年書記の橙ヶ崎とうがさき、二年会計の大葉おおばの顔色を順繰りに見てみたが、知っていそうなのはいなかった。唯一、一年副会長の布袋ほていだけは普段と表情を変えずに書類に目を通していた。いつも無表情に近いのであまり正確なことは言えないけれど、彼もまた知らないだろう。

「まぁ私も、その樹があること自体は知ってたよ」

 まだ高校に入学して間もない頃、私は学校の敷地にいる動植物に挨拶して回っていたことがある(今では人間関係や生徒会の職務で忙しくて行けていない、行きたい)。人間については、入学式のときに見ていたから抜きにして。そのときにその、[記念樹]については見つけていた。

「[樹]って、書かれてますけど――でも会長と蘭原しか知らなさそうですよ。俺も聞いたことありませんし……」

 椰子根が口を開く。

「[記念樹]――でも私も、知ってると言ってもじゃあそれが、なんの記念なのかとか、よく知らないんだけれどもね」

 [記念樹]という呼称自体は今初めて知ったのだ。どの樹だということか思い当たるだけで。とりあえずは、その判りやすい呼称を使うことにする。

「でも前に見たときは確か、樹の前に看板があったはず」

「じゃなきゃ、記念樹って解りませんもんね。あ、でも、もし看板があったのなら、何の記念なのか位は判ったんじゃないですか?」

 椰子根の質問はごもっとだったけれど、しかしながら、

「いやそうなんだけれど、でも、凄く古くて文字が掠れちゃってたんだよね……文字らしきものが書かれていたってことしか判らないくらい」

「そうですか……」

 一年以上前の話だから、私の記憶も曖昧かもしれないけれども、今知らないということは多分、そういうことだ。

「昔学校でなんかあったんかな」と、大葉。髪型をオールバックにしていて、生徒会の面子の中では一番制服を着崩していて見た目はなんかこう、チャラい感じ。

「そういえば! 北校舎って、怪談が絶えない場所だよね〜」

 先程まで大して興味もなさげに話を聞いていた橙ヶ崎が突如、目を輝かせてにやにやしながらそんな話題を持ちかけた。

「ほら今年の始め……まだ一年の皆がネクタイきちっと締めてた頃にさ、あったじゃん。北校舎一階男子トイレで叫びながら首吊ってる霊を見たとかいう話……」

「ちょ、やめてくださいよ」

「おいおい、俺が言ったのはそういうニュアンスじゃなくて」

「記念樹じゃなくて、慰霊樹だったり〜」

「もうっ……」

 橙ヶ崎が茶化し、椰子根と大葉が振り回されていた。

「それは確か、トイレの換気扇の整備に来た業務員の方が脚立を踏み外して天井に引っかかっているのを、夕方に通りかかった生徒が誤認したという話でまとまったはずですよ」

 先程まで書類をまとめていた布袋が口を挟んだ。話が脱線しているのが気に入らなかったのか、心なしかいらついているみたいだった。彼の角刈が真面目さを際立たせる。

「えー、なにそれ、つまんなっ」

「話を進めましょう」

 食い下がる橙ヶ崎を布袋は食い気味に遮った。別に、ちょっと雑談するくらいいいと思うけれども。同じ真面目系統の菫野とはまたなんと言うか、堅物の方向が違う。ちらりと彼女のことも見てみたが、さほど気にしている様子でもなく、自前の紅茶を淹れていた。

「え、えっと、じゃあ」

 話をまとめるのは苦手だ……

「まず、僕達で見に行けば良いのでは」

 答えかねてる私を見兼ねるでもなく、布袋は先んじて言った。

「蘭原と会長以外は知らないことですし、学校パンフレットや資料にも残ってませんでした、僕の見た限りですが。生徒会として判断をするに当たっては、とりあえず全員その[記念樹]とやらを確認するべきだと思います」

「そ、そうだねっ」

 な、ナイス後輩。こりゃあうかうかしてられないなあ……

 これに誰も異論はないようで(というか出しにくいんだろうなあ)、結局、顧問の先生を呼んで北校舎裏へ赴くことになった。

 何が[記念樹]だ、何を記念したんだよ、誰も知らねえのに。創立記念じゃない? 馬鹿言え、ウチの高校はまだそんな歴史長くねえよ。そうだったら判るだろ。……。やっぱり非科学的な何かが。先輩しつこいっすよ。そういえば、蘭原さんはなんでその樹のことを知っていたのですか。あ、あの投書見つけたときに気になって、一人で見に行きました。結構アクティブなんですね、あなた。あ、先生呼ぶの忘れてた~……。僕が呼んできます。いやでもやっぱり首吊りと業務員間違えるなんておかしいよ! お前また蒸し返すのかよ! 先輩に向かってお前とはなんだ!? いやいや今の違いますって、大葉先輩ですよ!

 などなど、喋りながら北校舎裏まで来たわけです。

「布袋くんは先生呼びに行ってくれたよ」

 先生とは、胡麻ごま先生――生徒会顧問だ。小太りな中年男性だった。

 案外広いんだね~、と一人奥の方まで行ってしまう橙ヶ崎の背中を追って大葉も着いて行った。なんだかんだであそこは仲がいい。微笑ましいなぁと思っていたら横から蘭原が、

「羨ましいですか?」と訊いてきた。背の小さい彼女は、どう足掻いても上目遣いにならざるを得なく、そのせいかいじらしく、かつ意地悪く見えた。その質問がなんの意図かは知らないけれど。

「まぁそれは、羨ましいとは思うけど? あんなに仲の良い友達がいるってことはさ」と、当たり障りなさそうな答えに留めておいた。何、別に嘘ではないし。

 そういうことではないといった感じの目を、蘭原は私に向けてきたような気がしたけれど、それは無視することに決めた。

 橙ヶ崎の言う通り、北校舎裏は広い――特に、庭として整備されているわけでもなく、ただ野放しに草木が繁茂しているだけだけれど、獣道らしきもの(らしきもの、じゃなかったら困るよね。校内だ)はあるので、まぁたまに通る人間もいるのだろうといった印象だった。

「それで、その樹はどこにあるんでしょうか」

「あ、もうちょっと行った奥です」

「うわっ、結構草うざったいな……」

 菫野、蘭原、椰子根も先に行ってしまった。ふと、一人になり、久しぶりに来た校舎裏を見渡す。生徒会役員達の足音が遠のいてゆくと、自然に草の風に揺れる音やら、虫が鳴く声やらが耳に入ってくるようになった。少しの間目を瞑ってから、

「こんにちは、久し振り」

 草花達に挨拶を済ませ、なるべく踏まないように私は彼らの後を追った。

 それは、かなり背の高い広葉樹だった。幹は、植樹されたにしてはかなりひん曲がっていて、あまり見たことのない樹皮。[記念樹]の病状は、素人目に見ても、かなり深刻なようで、

「中、腐ってますね」

 椰子根はそこら辺で拾った小枝で、樹の、丁度腹のように膨れた部分にぽっかりといたうろの隙間から感触を確認している。どうやらそこが、病の中心らしかった。

「……あんまりやりすぎないでよ、悪化したら困るし」

 私は高校入学以前のことを思い出していた。

 手術室を。

 お腹の中を探られる気分――椰子根の持つ小枝の動きは、私に一年と余ヶ月前の手術医の手つきを連想させた。

「けど、ほんとにこれじゃ何も判んねえな……」

 大葉が[記念樹]の前に建てられた看板を見て呟く。やはり記憶通り、それには文字の痕跡しかなく、ほぼ木の板だった。

「この木目、人の顔みたい!」

「また言ってる……」

 懲りない橙ヶ崎だった。

「遅れてごめんね」

 不意に後ろから声がしたので振り返ると、荏胡麻先生と布袋がいた。多少急いで来たのか、鼻に脂汗を浮かべながらの登場だ。布袋は涼しい顔をしていたが……

「あ、どうも。あの、内容ってもうご存知ですか」

「あー、大体のことは布袋くんに聞いたよ」

「ありがとう布袋くん」

「いいえ」

「で、この樹なんですけど……」

 樹木は幹の外側の部分で水分や栄養のやり取りをすると聞く。中が腐ってもこの樹が立っていた所以はそこだったのかもしれない。いずれにせよ、危なげではあるが。

「なるほど、確かに腐ってるね」

「どうしますか」

 荏胡麻先生は、多少の時間樹の状態を真面目な顔で検分した後、ややあって、

「いやまあ、ぼくにはちょっと判りかねるから、詳しい先生か誰かに訊く、ないしは業者さんに電話して調べて、これに対策があればやってみるさ」

「わかりました」

 とりあえず、生徒会を中継ぎとしてこの問題は、学校側がやってくれるそうだった。

「荏胡麻先生」

 菫野が先生を呼び止めた。

「ん?」

「この樹、投書では[記念樹]って呼ばれていましたけれど、結局は何の記念なのですか」

「あー……うん、それね。それはぼくも知らないんだよな」

「えっ、先生でもわかんないのっ」

「もしかしたら、長くいる先生だったら知ってるかもしれない。それも一緒に訊いてみるよ」

「教員でも知らないのに、どうして[記念樹]なんて呼ばれ方をされているのでしょう……」

「どちらにせよ、敷地内の設備の不調だからね、[記念樹]だろうとなかろうと対処はしなきゃいけない」

「え、って……!」

 そこに私は、会話に割って入るように、強めに声を出してしまった。

「ん? どうしたの小鉢さん」

 周りとはトーンの違った私の声に、先生だけでなく他の役員面子もこちらを見た。

「……いや、なんでもないです」

 と答えるのが精一杯だった。

 やってしまったと思った。

 しばらく片眉を上げて頭の上に疑問符を浮かべていたが、特に気にも留めなっかったのか。

「……まぁ、ならいいよ。とりあえず何か決まったらまた連絡するよ。皆お疲れ様。会室の鍵、返し忘れないようにね」

 それだけ残して先生は先に帰ってしまった。さほど気にする様子もなく、それは回りの生徒達も同じだった。

 その日私達は、生徒会室に戻り、事務作業などを済ませてから解散した。

「似てるなぁ、きみ。私と」

 帰りにもう一度寄ってみた。

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