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 私は孤児だ。孤児だった。孤児になる前は、被虐待児童だった。そういう話を、そういう単語を口に出すと、それを聞いたみんなは一様に気の毒そうな顔をしてくれるけれども、むしろそうしてくれた方が私としては心苦しいものがあった。だから、中学生の中頃から、自己紹介のときにそういう話をすることはやめている。周りがざわざわするのも嫌だった。風に揺られて鳴いてる林の声みたいにざわざわする。台風の叫号じゃあなくて、あくまで微妙な風のざわざわだ。しかしながら私自身に、虐待を受けていたという実感はない。ここまで生きてこられたことを振り返っても、今五体満足で生きているんだからそれ以上には、という風にしか思わない。それでも私が、正直な身の上話をする際に避けて通れぬ「虐待」がなぜ首をもたげているのかと言えば無論、それは他人との比較でしかない。比べてでしか解らない。承認とか軽蔑とかレッテルとか評価とか同情とか配慮とか――そういう、人間が人間を「見るとき」に付随するものたちが、私を形作っているというのも、そこまで間違った話じゃあないと思っていたりもする。一応私は、普通に生きてきたつもりだが、その反面で私が普通じゃない「らしい」ことは私も認知している。他人の目を借りて見ている。私にとってごく当たり前の、親からの扱われ方は、一般人だと自称して疑わない人間にとって見れば極々非人道的なんだそうで。でも別に、私の親が私の世話をしなかったわけじゃない。ただ、私を植木鉢で育てる観葉植物と可愛がってくれていた。私をペットの犬と愛してくれていた。それだけのことだ、平等なだけだった。私は植物と変わらないくらい、犬と変わらないくらいの世話を受けた。およそ一般人の言う、人間的な、健康で文化的な最低限度の生活じゃあなかったことは、のちに知った。身体的に、健康ではあったけれども。それが私の基盤であり、物心ついた頃までは継続されていたことだから、仕方なしに私の中には定着している。四、五歳の頃に役所の大人達が私を連れて行った。私は孤児院――じゃなくて、児童養護施設、「ミリー養育館」というところに入れられて、それで今、高校生まで生きてきた次第である。小さな施設だったけれど、きちんとした庭があって、四季と親しめる自然があった。自分が虐待を受けていたことを知らされたのは、中学校に上がるときだった。驚かれるかもしれないが、これについて特に感慨はなかった。中学時代を「普通の子達」と普通に過ごすことの出来た(幼さ故にか、ないしは深刻化する段階で私が個人情報を公開することについて若干の規制をし始めたからか)私はしかし、高校に進学するかしないかのタイミングでとある難病にかかる。原因は、どうやら私の出自に関わっているかもしれないと、担当医は言っていた。そしてそれは、具体的な病名は伏せるが、他人の臓器をいただく必要のある病気だった。加えて、かなり難しい手術らしかった。医療には、当然お金がかかる。当時のミリー養育館は経済難にあった。到底、払える金額ではなかったんだろう。病院から帰った日の夜の、他の子供達の寝静まった夜半やはん、事務室を陰から覗いたときの館長の隠し切れない渋い顔がまだ忘れられない。見なければ良かったと思った。しかし、その次の日には「心配することないわ、大丈夫」と気丈に言ってくれた――申し訳なさとか感謝とか、簡単な言葉では単に言い表すことの難しい濁った感情が胸の底に沈殿した。臓器提供をして頂けるドナーも見つかり、めでたく治療完了した私は、無事に高校に入学、自立するために勉学に励むようになった。それから一年経ち、生徒会選挙にて会長に立候補した私は、 ややすんなりと、生徒会長になった。

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