2.

 中央添斜坑を下り始める。2時間ほどで、第36片の坑道に至るだろう。深い場所ほど死体が多い。

 いたる所で大岩が道をふさいでいる。そして人間だったものが潰されている。

 途中怪我をして動けず呻いている者があった。とっくに鎮痛のための電力は切れているだろう。何か助けを求める声を出した。

 私は〈ケアマシン〉を強く意識する。右手で左肩の辺りの衣服をぐっと掴む。推奨されている行為だ。そうすることでケアマシンに深く〈帰依〉することができる。機構が働き、私は彼をやり過ごせた。帰りもすれ違わなくてはならないけれど、帰りは恐らく死んでいるだろう。

 第36片の特に東側の坑区は、ここ数か月の間に新たに掘削された区画だ。


 地下9200メートル。新幌内炭鉱にここより深いところは、ない。


 事故が起こったとき、多くの人間は本能的に上へ向かう。一方で最深部には区画拡大用の、他の鉱区にはない設備がある。

 ここからはLGTライトがない暗い坑道。闇の真空状態。

 右手で左わき腹をポンと叩く。ゴーグルの編集モードが起動する。瞬きで操作も可能だが、私はそれが上手くない。ゴーグルの側面を指で操作し、暗視モードに切り替える。すぐに暗視モードで電力消費をこのまま継続した場合の残り時間を表示する。9時間13分。ゴーグルのアプリケーションで最下層の空間があらわになる。暗闇の中を逍遙する。〈ケアマシン〉は作用させたまま。

 暗闇の中で足音だけが坑道に反響し、こだましている。この自分の足音というものは、人間に不安をもたらす要素であるとの研究がある。そのため〈ケアマシン〉の修正処理の項目の一つになっていて、足音がしているのは解るけれど、足音はしていない。暗黒の第36片を30分ほど歩いて、ようやく見えてきた掘削坑道の一つに入る。

 やがて暗闇の向こうに、ぼんやりとした大きな影が見え始める。先端には鋭利な刃が密集して付属する。葡萄を思わせる巨大な掘削機の刃。これを用いた際は、さぞかし轟音が響いたことだろう。

 私はカネビシ直雇だから、新規鉱区から離れた上層の切羽を掘削していた。だから掘削音は聴かない。轟音の直下で働く下請けたちは、ゴーグルに直結した耳栓デバイスを装備して音を認知しないようにしている。だから誰も轟音は聞いていない。今は静かだ。


 掘削機には送電ケーブルの受け口がある。解りやすいデザインで「ここだ」と示された直径45センチほどの受け口は、闇の中でさらなる闇にうずまっている。ケーブルは事故の直前まで接続されていたようだが、落盤によってケーブルに岩かなにかが当たり、その拍子に外れてしまったと見受けられる。受け口の斜め上方に運転席がある。受け口の向こうにある梯子に足をかけて運転席に上る。

 掘進、特に初期掘削は地盤や掘削環境によって不慮の状況が起こることが多い。具体的に言うと、ケーブルが外れることが頻繁にあるのだ。ケーブルが外れてすぐに機械が止まると危険があるから、ある程度掘削機は連続して動作するよう設計されている。だから掘削機にはそれ自体に電力が蓄えられている。

 運転席を〈暗視モード〉で眺める。特に〈機器モード〉という運転時に用いる枝モードを起動する。私は炭層から掘り出す採炭一筋だから機械は解らない。だが〈機器モード〉で見れば、ボタンやレバーの意味や役割や手順がゴーグルに示される。機械に疎い私でも、自分の作業服に電力を供給する端子がどこにあるかくらいは解るだろう。

 運転席作業盤の端子に作業服から伸ばした端子を接続する。作業服と連動したゴーグルの表示を確認する。2分かからず、電力のバーが108%になった。

 初期の掘進は下請けたちの花形業務だ。掘る作業は単純な労働だと思われがちだが、下請けの男たちは「そうではない」という。岩盤次第で機械の動作に微妙な機微が必要なのだそうだ。彼らのそうした作業に敬意を払い、そのプライドを否定しなければ、彼らと酒の席が一緒になったとしても愉しく打ち解け色んな話を聴ける。


 次は携帯小型バッテリーだ。しこたま必要だ。初期の掘進に従事する鉱夫は、とかく計算外の事態に遭いがちだ。軽微な落盤やガス突出など。作業服の電力が不足することがある。最初から供給するとサボるしずるをするという観点から、下請け業者の親方がバッテリーを管理している。直雇の鉱夫は坑道を這う送電板から安定して電力を賄えるからバッテリーは不必要だ。だからバッテリーは深層にしかない。斜坑を上りきるために、深層にやって来た。

 充電した掘削機のある坑道の管理棟に向かう。掘進の下請け業者はそれなりの頻度で入れ替わる。だから鍵は簡便なものしかない。古い差し込み式の鍵で出入りする。鍵は掛かっていなかった。部屋に入る。暗視モードの感圧を高める。電気なんて坑道ではありふれたものだった。だが今となっては地上へ至るのに絶対に必要で、暗い中、細かに捜索せねばならない。

 砂の積もったテーブルや棚を検める。25分ほど探したが、見当たらない。最近は下請けも装備環境が整ってきているという。新聞や広報誌を見る限り、色々と国がうるさいのだ。電力のゲージが86%になったところで、他の管理棟に向かうことにした。途中にある先程の葡萄の刃の掘削機にまたよじ登って、電力を108%に。


 5番目の掘進鉱区に入る。バッテリーはいまだない。

 予想違いだ。

 数ある下請け企業の一つであるニチマル興業の連中とは馴染みの飲み屋が一緒でよく盛り上がるのだが、バッテリーがなくなったなどという話は聴いたことがない。だからまだこの深層には予備バッテリーが必ずあるはずだ。

 不安はあまりない。〈ケアマシン〉が機能しているから。一般に「胃が締め付けられるような緊張感」などと呼ばれるものは、かなり軽減されてわかりにくくなっている。不安が増大しないことに不安を覚えるほどだ。不自然な感覚であるとは充分自覚ある。ただ〈ケアマシン〉を切ったところでバッテリーが見つかるわけではない。掘削機(に備蓄された電力)は深層ここにたくさんあるのだから、電力を無駄にしているわけではない。〈ケアマシン〉に〈帰依〉しない理由はない。

 同じような管理棟に入る。入った坑道を忘れない様に、次から目印を付けることを考えていた。同じ立てつけ、同じテーブルや棚。検める。棚の下の収納スペースに箱型の容れ物がある。観音開きの扉が付いている。開けると、臨時の電気ケーブルや簡易変電機に混じって、10数個ばかりの円筒型の品物が目に入った。

 これだ。

 規格を調べる。17年ほど前に製造された製品。作業服の左脇をたたいてゴーグル表示を起動し互換性を調べる。問題なし。安堵する。

 安堵した際、ケアマシンがしっかり計算してくれる。従来の抱えていた不安から安堵した場合の、不安から安堵への振れ幅をしっかり調整して反映してくれるのだ。従来抱えていた不安。不安を感じている間はそれをは隠してくれて、それが解決したときだけ、隠していた不安から計算して安堵させてもらえる。どっと安堵の感情と、その原因になっていた不安の感情が流れ込んでくる。

 電力を多く消費したことだろう。あとで掘削機から充電せねばなるまい。


 振り返った瞬間、鉱夫の女が立っているのに気が付いた。


 胸が締め付けられ身体が恐縮する。〈ケアマシン〉の作動はここからだ。〈ケアマシン〉はストレスを関知してそれを緩和する。だから初めのストレスは防げない。はじめに大きなストレスを感じた時は全く役に立たない。

 恐らく間抜けな声を出してしまったことだろう。棚に身体があたり、ガタリという音がする。無意識に右手が左手の肩口をつかんでいた。〈暗視モード〉で見る女の影はまるで、家族とよく出かける慰安のB級映画に出てくるゴーストやゾンビを想わせた。三笠市の映画館は炭鉱があるおかげで、2週間ばかりほかより早く封切られる。いつも映画館は満員。皆、アクションやゾンビが大好きなので、特によく配給される。

 だからどこかこの女は仮想的ヴァーチャルで、すぐに心を落ち着かせることが可能だった。〈ケアマシン〉が作用し始めていた。

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