11-1 王女の家来とツノ


     × × ×     


 窓の向こうで東の空が白んでいる。学習机の電灯だけが光源だった寝室が、ぼんやり明るい青に染まっていく。

 夜通しで読み終えたばかりのマンガから、自分好みのシーンを探してみれば、作中のほとんどが「そう」であると改めて気づかされる。


 中村ワダ子『傾城太平記』。

 春の終わりの出会いから3ヶ月かけて、ようやく全巻を堪能させてもらった。

 史実通りに楠木正成が死なず、彼女が南北朝並立後も吉野側の武将として息子の正行たちと共に戦い続ける姿は、歴史改変作品としても見物だったし、密かに生き延びていた護良親王に己の想いを告白してから決別する様子は非常に切なくて胸に来るものがあった。

 伏原くんの話では次回作の『続・傾城太平記』には正成が出てこないそうだけど、息子たちも良いキャラをしていたので読んでみてもいいかもしれない。

 それくらい、自分の中でお気に入りの作品になった。


「兄ちゃん、ずっと起きてたのか」


 弟から野太い声をかけられる。いつのまにやら中学校の制服姿である。さっきまで布団の上に転がっていたはずなのに。

 スマホに目をやると、なぜか7時の表示が出ていた。

 あれ。おかしいな。今日の当番が始まるまで、それなりに眠れるだけの余祐のある予定を立てていたはずなんだけど。もう朝じゃないか。


「まあ、いいや……今日は4日ぶりにサボらせてもらおう」


 僕は弟と入れ違いになる形で布団にダイブする。万年床ゆえに若干打ち身になった気がするけど、ともあれ僕はまどろみの中に溶けていった。

 夢の中なら、自分も正成ちゃんに会えるかな。



     × × ×     



 私立図書館『むらやま』には合わせて7つのエリアがある。

 全て海外の図書館を模した内装なのは今さら説明するまでもないが、その中でもイギリスのベダレス・スクールの図書館をモデルにした『歴史エリア』は、木造のオシャレな内装から密かにお客さんの人気を得ていたりする。

 仲田さんが委員長だった時代に行われたお客さん向けアンケートでは、かの『サイエンスエリア』に次ぐ人気ぶりだったとか。


 エリアの天井から光が入りこんでおり、また吹き抜けの存在もあって、落ち着いた色合いのわりに開放的で明るい印象を受ける。

 立ち並ぶ本棚に目をやれば、フロイスの『日本史』や太田牛一の『信長公記』が収められていた。


「余所見しないで」


 鳥谷部さんに下方向から怒られてしまう。

 彼女にはチリトリを持ってもらっているので、自然と上目遣いになっている。

 この子が家まで迎えに来なければ、今ごろ布団の中でララバイできていただろうに。

 反抗心もあって、わざとらしくあくびをしながらゴミを掃き入れてみると、「マジメに」と怒られた。ごめんなさい。本当は女の子に迎えに来てもらえるなんて夢のようだと内心で喜んでました。


 田村と三人がかりで『歴史エリア』の床から全てのゴミを取り除いて、机という机からケシカスを回収する。

 終わった頃には、バスツアーのお客さんたちがエリアの中を歩き回るようになっていた。

 もうすぐ正午だ。学食で食べてから同志のところに向かうとしよう。せっかくだから伏原くんたちと食べに行くのもありだな。五郎さんとかすごいたくさん食べるんだよね。


「小山内くん」


 例のロッカーに掃除道具を入れたタイミングで、鳥谷部さんに呼び止められる。

 その右手には切符くらいの紙片があった。学食のチケットだな。


「これはラーメンのチケット」

「え、まさか僕にくれるの?」

「あげない。初めて行くから付いてきてほしいだけ」

「初めてなのにどうしてチケット持ってるのさ」

「さっき田村にもらった」


 彼女は中二階の吹き抜けから身を乗り出して、ちょうど中央ホールへと去っていく田村の背中を指さした。

 だったら田村と行けばいいんじゃ――なんて言ってしまうほど、僕は朴念仁ではない。

 むしろ他人の好意には敏感なくらいであって、


「お友達なんだからチャレンジに付き合うべき」


 と、言い訳する彼女を、ともすれば自らの手で抱きしめそうになる。

 いけない。こんな目立つところでそんなことしたら敬老会の人たちに拍手されてしまう。なおかつ河尻さんからどんな扱いを受けてしまうのやら。


 今は彼女の手を取らせてもらうくらいでカンベンしてもらおう。

 そう考えて、恐る恐る右手を彼女に伸ばしてみると――なぜかバシッと叩かれた。


「え?」

「ドロボウはダメ」


 彼女は続けて「まだ手癖が治ってないの」と哀れみたっぷりの目を向けてくる。ラーメンのチケットは財布に戻された。

 いたたまれなくなった僕は「手をつなぎたかっただけだよ」と正直に答える。

 そこからの彼女の赤面ぶりは、なかなか見物だった。



     × × ×     



 学食のラーメンは値段以上に美味しい。専門店のようにスープを一から作っているわけではなさそうだが、その分めちゃくちゃ安いからありがたい。

 人生を麻雀とパチンコで浪費してそうな大学生たちに交じって、僕は鳥谷部さんとずるずるとラーメンをすすらせてもらった。


 彼女曰く「いつもはお弁当」らしい。

 あのお母さんが作るなら美味しいだろうな。

 鳥谷部さん本人も「自信がある」と胸を張っていたので、カイゼルヒゲのお父さんはきっと毎日が楽しくて仕方ないはずだ。

 美人の嫁と娘に手料理を食べさせてもらうなんて前世でどれだけ善行を積んだのやら。少なくとも我が父よりは善人だったに違いない。


 そんなこんなで昼食を終えて、彼女と共に『第2保管室』までやってくる。


「……え、なんでついてきたの」

「別件」

「別件って何なのさ」


 こちらの問いかけに、彼女は「忘れ物班に用があるの」と答える。

 その話となると、もしかすると一昨日の件の続きだろうか。あれから上級生たちの処分に進展でもあったのかな。

 ともあれ、中に入らないことには何も始まらないので、僕はいつものようにドアを開いた。途端に中からむわっとした空気が流れてくる。やはり今日もエアコンが効いていない。


「小山内だな! 待ってたぞ!」


 一呼吸おいて、ぬうっと汗たっぷりの巨体が立ち上がってきた。もちろん筋肉もたっぷり。大きいほうの同志だ。

 小さいほうの同志は……あれ。いないぞ。


「今日は五郎さんだけ?」

「伏原は用事で休むらしい。それよりオレの話を訊いてくれねえか!」


 五郎さんはテンションMAXで「昨日面白いところに行ってきたんだよ!」とスケッチブックをめくる。彼の説明には絵がつきものなので楽しみだ。


 ただ、見物人が同志だけの普段とは異なり、今日は後ろに別件で来ている人もいたりするんだよね。

 残念ながら、こういう時の五郎さんは誰にも止められないので、彼女にも同席してもらうしかない。


「小山内くん。何が始まるの」

「紙芝居だよ」

「面白そう」


 少し興味を持ったらしい鳥谷部さん。

 当の五郎さんは、彼女の存在に気づかぬまま話を始めた。


「――実は昨日、オレ独りでTSF好きのオフ会に参加してきたんだよ」

「ええっ」


 突飛な話に、僕は思わず声が出た。

 オフ会って……オンラインの知り合いと会うことだよね。僕なんて同志に好きな作品を晒すのも恥ずかしいのに、赤の他人とTSについて語ってきたのだろうか。すごい根性だ。


 そんな反応は想定内だったのか、五郎さんはニヤリと笑って、数人の男性が仮面をかぶっているイラストを見せてくる。

 みんな安そうなソファに座っており、中央にはローテーブルがある。背後にタンバリンがあるあたりカラオケボックスだろう。

 いずれにせよ、絵面は完全に怪しい団体の会合だ。同志というより教徒と呼んだほうがいいかもしれない。


 五郎さんは続けて、


「この人たちには以前から誘われていてな。ずっと当番があるから行けなかったんだが、昨日から休みが取れるようになったから連絡してみたんだ」

「そしたら当日に集まってくれたの?」

「ああ。みんな学生らしいぞ」


 彼はスケッチブックをめくる。

 次のイラストには仮面の教徒たちが己の好きなジャンルを語り合っている様子が描かれていた。中にはケンカになりかけている人もいたようだ。

 ヒョットコとダース・ベーダーが争っている絵面は若干シュールである。


「彼ら『恩納(おんな)の講』には色んなマニアがいてな」

「体格からして、とても女の子には見えないんだけど」

「恩納は沖縄の地名だ。ひとり大正区の人がいるらしい。結局は当て字なんだけどな」


 五郎さんは「とにかく4人ともTSF好きではあるんだが、各々にこだわりがありすぎるんだよ」とスケッチブックをめくった。

 そこに記されていたのは、そのこだわりとやらについて。

 わざわざ一人一人の名前に加えて、彼らの好きなジャンルと「ジャンルの萌えシチュエーション」を表現したイラストまで付けられており、あまりの力作ぶりに唖然とさせられた。


 もしかして五郎さんって、休みの日にも何かしていないと死んでしまうタイプの人なんだろうか。


「まずは谷中さんからだ」

「あ、実名なんだね」

「別にいいだろ。この人はTSFの中でも百合を好んでいたな」


 五郎さんはイラストに手を添わせる。

 元男である女性と生粋の女性が百合の花を咲かせていた。なぜか絵柄がコバルト系なのが面白い。

 彼女たちは肉体的にはガールズラブなのだが、精神的にはれっきとした男女の組み合わせだったりする。

 ジャンル的にはこの「ねじくれ」を楽しめるのがポイントだ。

 元男のほうは男性らしく女の子をリードしてもいいし、あえて心まで女性化された上で百合の世界に身を投じてもいい。百合が好きだから自分も百合したいなんて男性にはたまらない設定かもしれない。


「次は面出さん。この人は幼女になりたいらしい」

「なったことのある五郎さんはどんな話をしたんだい」

「あんな話、できるわけねえだろ。ただ面白い人だったぞ。幼女になってチヤホヤされたいから、恋人とは赤ちゃんプレイならぬ幼女プレイをするらしい」


 スケッチブックには大人たちに愛想を振りまきながら、内心では腹黒い笑みを浮かべている幼女の絵が描かれていた。

 それより面出さんの恋人の話にビックリさせられたけど。よほどのイケメンなのか、彼女の心が太平洋より広いのか。


「3人目は三東さん。この人はTS娘と男体化ヒロインをくっつけるのが好きだ」

「入れ替わりも好きそうだね」

「いや、たくさんの相手とあれするのが好きだから、入れ替わりだと相手の肉体を大切にしないといけないのがネックだとか言ってたな」


 3枚目には女性化した男性と男性化した女性の絵があった。

 お互いに本来の性のことを教えあっており、何やらよからぬことが起きそうな感じになっている。TSにおけるスタンダード・ナンバーの一つだ。

 ちなみに「たくさんの相手とあれする」作品はエロマンガに多いそうで、僕のスタンスからは外れるものの人気があるらしい。

 色んな人に愛される女性になることで己の価値を高める効果があるのか、あるいは単にエロいから好まれているのか……隣の人に変な目で見られそうなので、そのあたりを詰めるような発言は控えておく。


「ラストは伊代野さん。彼はTSFというよりコスプレ好きだったな」

「女装好きってこと?」

「肉体変化を伴った女装が好きなんだと力説してたぞ。つまりウェディングドレスとか、スク水とか、女性専用の格好を女性の姿で強いられるのが好みらしい」


 五郎さんはスケッチブックをめくった。

 冴えない男性が様々なコスプレを強いられており、恥ずかしそうにしていながらも少し悦んでいたりする。女性化を踏まえた上で社会的な立場を強制されるのが好きとなると、なかなか性的な業を感じる方だ。


「同じTSなのに色んなこだわりがあるものなんだね」

「むしろお前や伏原が好きな『正統派』とやらを、谷中さんはやおいの一部だって言っていたくらいだぞ。元男と男が恋をするのはホモなんだとさ」

「たしかにBL系レーベルにもTS作品はあるもんね」


 自分は女性向けのTS作品も好きだったりする。

 ラストシーンで元の姿に戻らなければなお良し。仮に戻ったとしてもそういう要素があるだけで満足できる。現にBL作品『端からニセモノ』は見どころのある作品だった。女性向けギャグマンガなら可逆系の『さーくる☆チェンジ』も面白かった。

 あとは女装モノの『少女王子』も続きが気になる作品だ。


 4人の紹介を終えて、スケッチブックを閉じた五郎さんは、「オレたちはわりと雑食だからな」と笑いながらパイプ椅子に腰かけた。

 それに合わせて、僕と鳥谷部さんも座らせてもらう。


「自分のこだわりを追及するのも楽しそうだけどね」

「その分、みんな自分の好みにピンポイントで食い込んでくる作品が少ないとか、なんか悲しそうにしてたぞ……って、なんで鳥谷部がいるんだよ!」

「今さらすぎ」


 彼女は冷たい目を彼に向ける。

 2人はクラスメイトなので交流があるらしく、たまに出会うと妙にトゲトゲしい会話をしていたりする。まさか元彼だったりしないよね。ちなみに元彼という文字を変に解釈してしまいがちなのも同志のお約束である。


「何の用で来てんだ、つーか小山内も知ってたなら教えろ!」


 五郎さんに怒られてしまう。

 まあ同志の話を女の子に聞かれてしまったわけだから、気持ちはわからないでもない。自分なら恥ずかしさのあまり天満の銀橋から飛び降りているかもしれないし。

 僕は虎ににらまれたウサギのような気分で「部活の件で来たみたいだよ」と説明させてもらった。


「部活って……当番の件か」

「当たり。お休みを取れているか、あなたに訊きに来た」


 彼女はほんのり笑って「私のおかげ」とつぶやいた。姫カットの下で両目が楽しそうにしているのは五郎さんに貸しを作れたからか。

 当の五郎さんは腕を組むばかりで何も言わない。

 彼女が指先で暗に促すと、彼はようやく「ありがとよ」と答えた。


 何だか以心伝心でモヤモヤするけど……とにかく五郎さんたちに休みができて良かった。どうして伏原くんは反対したんだろ。

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