9-3


     × × ×     


 それから特に何も起きることなく。夕方。

 僕は仲田さんを近所の喫茶店に誘っていた。


「なんだい。まさか抱きつかれただけでボクを好きになっちゃったのかい?」

「それはないです」


 こちらの返しに彼女は「だろうね」とソファにもたれかかる。

 外に目を向ければ、ガラス張りの向こうに南洋系の低木が並んでいた。全体的に落ち着いた佇まいなので、じっくり本を読む時に便利だったりする。小山内一二三のオススメスポットの一つだ。


「……やっぱり告白したいんじゃないの?」

「しないです」

「だって小山内くんらしからぬオサレスペースだよ? 華の女子大生としては危険を感じずにはいられないよ」


 仲田さんは冗談めかして笑う。

 服装こそモノクロピエロだけど、例のメイクはしていないので変な感じではない。曰くあれはバンドでスタジオを借りる時だけの仕様だそうだ。もっとも大変なので最近は服装だけに留めているとのこと。


「やっぱりおっぱいなのかなー」


 彼女は「いまいちモテないんだよね」とコーヒーをすすった。

 肉体的なコンプレックスには触れないとして。


「仲田さんはモテたいんですか」

「そりゃ女の子になったんだからね」


 彼女は「モテモテウハウハのイケメン逆ハーレムを作ってみたいし、何なら彼氏の家でご飯を作っている時にあすなろ抱きされたいよ」と妄想を語ってくれる。

 これが五郎さんならドン引きなんだけど、仲田さんだと(この程度なら)あんまり気にならない。やはり容姿の力は大きい。

 ちなみにあすなろ抱きとは後ろから肩のあたりを抱きつかれるシチュエーションのことだ。元の『あすなろ白書』はバブル時代の作品なのに言葉だけ生き残っている。ちなみにTSとは何の関わりもない青春マンガ・ドラマである。


「あ、あすなろ抱きってのはね」

「知ってます」

「んもう! 実演してもらおうと思ったのに」


 彼女はわざとらしくそっぽを向いた。

 はたして自分がしたところで喜んでもらえるのかな……ひょっとするとこの人は「男性が好き」というよりシチュエーションそのものを好んでいるのかもしれない。

 仲田さんのスタンスは「男性から愛されたくて、女性を強いられたい」だから、あくまで主体は自分であって相手はどんな人でもありなんだろうか。

 そう考えると、目の前でコーヒーシュガーをガリガリしている彼女が、まるで尻軽な女性のように見えてくる。元男性なのにビッチなんて成人向け作品のようだ。有名な『女性化物語』とか大人になったら読んでみたいな。

 世の中にはTSモノばかり載せている成人誌もあるそうで、健全な高校生としては一歩進めない日々が続いていたりする。


 ともあれ、このままでは彼女に良くないレッテルを貼ってしまいそうなので、一応本人に訊いてみることにした。


「仲田さんには好みの方とかいらっしゃるんですか」

「やっぱり告白したいんだよね?」

「それはないです」

「……うーん。好みとかはわからないかな。そりゃ格好良い人の方がいいけどさ。やっぱり優しい人がいいよね」


 彼女はしばらくコーヒーシュガーを舐めてから、「もしかすると今のボクがブサイクではないからかな」と呟いた。


「たしかに可愛らしいほうですもんね」

「小山内くん。ボクはすぐに落ちるからやめておくれ」

「落とすつもりないですから」


 僕は恥ずかしそうにしている彼女に「昔の写真も知ってますからね」と告げつつ。

 彼女の話から、自分がわりと面食いなのは容姿が劣っているからなのか、と内心で考えさせられる。

 女性になってみたいというのもまた然りなのだろうか。当然ながら、ここでの女性には若くて美しいという条件が付いてくる。ブサイクなおばさんになりたいわけじゃない。そういうのが好きな人もいるんだろうけど。


「もうガマンできない。ティラミスもう一つ! あとコーヒーも!」

「あいよー」


 仲田さんが2つ目のケーキを注文する。

 どうでもいいことかもしれないけど、こうして2人きりでお話している時に新しい注文をしてくれると、妙にありがたい気持ちになる。

 もっと自分と一緒に居てもいいと考えてくれているような気がするんだよね。

 相手を試しているみたいで、我ながら好きな考え方ではないものの、気づいたら頬が緩んでいたりする。


「ふふふ。ちょっと肉を付けたほうがモテるかもしれないからね。マシュマロ女子というのもあるみたいだし」

「あれは病気になりそうですよ」

「今でも細すぎて病気になりそうだから大丈夫さ」


 何が大丈夫なんだろう。

 彼女は「お尻以外の部分を全体的に」と自らの肉体に指示を出していた。言うことを聞いてくれるかどうかは定かではない。ちなみに本人曰く「母の血」で安産型らしい。というか、いつかはこの人も子供を産むつもりなのかな。

 しばらくして、机の上にティラミスが運ばれてきた。


「ふふふ。ここのケーキはイケるねえ」

「気に入っていただけで何よりです」

「うんうん……ところで、結局何の用だったんだい?」


 仲田さんは楽しそうに訊ねてくる。

 何の用。あれからドアの向こうにいた伏原くんに祐子ちゃんが「明佳くん!」とオクターブの上がった声をぶつけていたり、女性に免疫のない伏原くんが彼女を苦手そうにしていたり、他には何もなかったのだが――僕には以前から少し思うところがあった。

 それは五郎さんのスタンスを耳にすることでより深まった「謎」となっていた。


「……仲田さん」

「ん?」

「どうして僕たちはあの力を使わないんですかね」


 あの力とはあの力のことだ。

 こちらの問いかけに、彼女は「ほほう」とティラミスを食べ終えた。



     × × ×     



 これは一つのたとえ話です。

 あるところに「東京に行きたい」という話ばかりしている三人組がいたとしましょう。

 ある日、彼らの前にどこでもドアが出てきました。どこでも行けるドアですから、もちろん東京に行くこともできます。浅草寺にだって、渋谷にだって、すぐに行けてしまえる。テレビで有名なスカイツリーのてっぺんに立つことすら不可能ではないはずです。

 なのに、彼らはドアを使わずに「もし自分たちが東京に行ったら」という内容のマンガを作るばかりでした。


「……オチはないのかい?」

「ありませんよ。ただのたとえ話ですから」

「そっか。まー世の中にはパリが大好きだったのに、いざ行ってみたら失望したみたいな人たちもいるからねえ」


 仲田さんは「おっと。この部屋には失望させないよ」とドアノブを引いた。


 君に見せたいものがあるんだ。

 そう言われて彼女に連れてこられたのは、中央区にある学生向けのマンションだった。表札には『仲田』の文字が貼られており、彼女の家であることが自分の心を戸惑わせる。今あえてたとえ話をしたのもお互いに初心を忘れさせないためだ。

 仮にも女子大生の住処なのである。それも夜に訪れることになるなんて。


「はいはい。上がってね」

「……おじゃまします」


 玄関で革靴をそろえて、キッチン付の室内に入らせてもらう。

 仲田さんの住まいは、いかにも女子大生の部屋じみていた。バンド用品の他には「それ」っぽいものしか見当たらない。机のコルクボードには写真が貼られていて、バンドメンバーとみられる人たちとバーベキューをしているものもあった。

 ベッドにはクロブタのぬいぐるみまで配されている。


「このぬいぐるみは子供の頃から持っている設定だよ。名前はサイズ=ガ」

「ずいぶんこだわりますね……」

「こういうのを自分でやりたいから、こうなったわけだし」


 彼女は「たまに生まれつき女性だったということになる作品があるでしょ。ボクはあれを目指したんだ」とベッドの上でぬいぐるみを抱きしめてみせる。

 今の仲田さんだから許されるけど、これを元の仲田さんがやっていたら絵面だけで犯罪になりそうだ。


「もしも生まれつき女性だったら……か」


 自分も多少なりとも妄想したことのあるシチュエーションだった。小山内一二三子(仮)はどんな感じなのかな。今と変わらないならキツいな。


「この姿だって、ボクが女性として生まれた場合を再現したものなんだよ」

「そういえば、さっき母の血とか仰ってましたね」

「うん。だから理想的な姿ではないけど、代わりに自分なんだって思いやすくて」


 仲田さんは「だからこそ可愛らしいとか言ってもらえると、すんごい来るものがあってさ」とぬいぐるみに顔を埋める。

 その上で、


「……でも自分自身には萌えられないんだよ」


 彼女はどこか諦めたような口ぶりで、ぬいぐるみに吐息をもらした。

 ここは男として慰めるべきなのかな。でも相手も本当は男だからなあ。

 なんて迷っていると「哀れみは不要だよ」と先手を打たれた。


「ボクが言いたいのはデメリットもあるということ。君たちがためらうのもわかるんだ。なにせTS作品だって昔ほどは楽しめないわけだからね」

「え、仲田さん、今も十分に楽しんでませんか」

「まさか。良弘だった頃にはもっと心に迫るものがあったよ。今も好きだし楽しみ方もわかるけど、あれほどにグッとくることはないんだ。きっと妄想の土台が変わったからだろうね。本来の仲田良子はTSがそんなに好きじゃないのかもしれないよ」


 彼女は「昔は『吉里吉里人』の後半だけでご飯が三杯いけたんだから」と胸を張る。

 今の拗らせっぷりでも五郎さんに匹敵するくらいなのに、昔の仲田さんはいったいどれだけのTSオバケだったんだろう。

 逆に考えればそれほど強烈なリビドーがなければ「石室」を見出して「あの力」を使い始めるだけの荒行は成し遂げられなかったのかもしれない。


 ひょっとして僕たちがTSしないのは、彼女ほど拗らせていないから?


 いや、それだけでは説明がつかないぞ。

 この人のようにずっと女性でいるつもりなら、そりゃ覚悟がいるだろうけど、自分たちはその日だけのお楽しみ的な女性化にさえ手を出していないのだ。

 一時とはいえ女性になったことのある僕や五郎さんならともかく、伏原くんなんて率先してやりたがりそうなのに。


 何より解せないのが――僕たちが「あれ」から何だかんだで「石室」の存在を黙殺しながらTSの話をしていることだ。

 今日の五郎さんだって「なれたらいいね」「可能性があれば」じゃないんだよ。

 そんなのすぐそこにあるのに、まるで見ないふりをしている。

 それでTS好きと呼べるのか。いったい自分たちは何がしたいのか。


「……小山内くんはマジメだねえ」


 彼女はふっと柔らかな笑みを浮かべた。

 それからベッドの空いているスペースに手をやると「おいで」と言ってくる。

 おいで……これはなんだかダメな気がする。

 入ってからずっと立ちっぱなしなのを気にかけてくださったんだろうけど、女子大生の近くに座るなんてマズい。ただでさえ匂いとか気になるのに。


 ああもう、女性扱いしてしまうのは止めよう。自分はノンケなんだから。

 意を決してベッドに座らせてもらうと、正面の額縁に写真が飾ってあるのが見えた。


「あれは?」

「あれは発見当時の石室だよ。君に見せたかったのはあれなんだ」


 彼女は「ひざまくらしてあげようか」と冗談を飛ばしつつ、ベッドの脇からホコリっぽいファイルを取り出してくる。

 ファイルには「石室」というタイトルが付けられていた。マジックペンの鮮やかさがどこか生々しい。


「これは何のファイルなんです?」

「そのまんまだよ。あそこについてまとめたんだ。そもそもどうして地下にあんなものがあるのか気になるでしょ。なぜあんな力があるのかも」

「たしかに……」

「これでも大学では日本の古代史をやってるから、マジメに作ったつもりだよ」


 仲田さんはファイルをめくりながら「石室」のことを話し始める。


 あれは元々ある偉い人を納めるための石室だったと思うんだ。

 このあたりの族長とかじゃなくて、もっと上の人だよ。

 百舌鳥に大きな陵がたくさんあるけど、あの流れで作られたんじゃないかな。

 もちろん古墳だから山になってるはずだよね。でもあの石室はずいぶんと地下にある。この近くには丘もない。

 だからボクはもっと大きく広げることにして……大阪の土台である上町台地を古墳に見立てることにしたんだ。元々存在する地形をお墓に利用することはよくあるからね。

 あの石室は台地の中央にはないけど、それは古代からの地形の変化を考えれば十分に言い訳できるし、そもそも上町台地は海からの砂で作られたんだから形くらい変わる。秀吉時代以降の都市形成で削られているはずだしね。

 ところが、この発見を大学の先生は認めてくれないんだ。あの学校は石室くらい自前で作りかねないって。あと電波なオカルトの話には興味がないって。おかしくない? せっかくの大発見なのに――。


「あの、すみません仲田さん」

「なんだい。まだ生國魂神社との関係を話してないよ。王仁博士の死体を埋めることで日本を当時の文明国にしようとしたんじゃないかとか」

「さすがにめちゃくちゃな話すぎてわけわからないです」


 いくらなんでもオカルトすぎる。

 あと話している仲田さんがやたらと生き生きしていて、ちょっと怖かった。

 こちらの指摘に、彼女はハッと我に返り、「あー変に熱が入っちゃったね」と恥ずかしそうに苦笑いしてみせた。


 もっとも、そのオカルトが彼女を今の姿にしたのだから、あながちめちゃくちゃと一笑に伏すことはできないかもしれない。


 というか、本当に今のガバガバな理屈で「石室」から「あの力」を得たのかな。

 以前、仲田さんは「石室」の力で図書館から「不思議」のピースをまとめたと言っていたけど……うーん。わけがわからなすぎて頭が痛くなってきた。

 もし本来の姿の仲田さんが今の話を語っていたら、僕は心の病を疑っていただろう。


「なんか本線からズレちゃったねえ」

「そうですね……」

「とにかくあれだよ。変に悩まずに今までみたく作品を愛してやればいいさ。萌えてやればいいさ。そんでもって力を使いたくなれば存分に使うといい。他の子たちも今が楽しいからあの力を使わないのかもしれないよ」


 仲田さんは「ちなみにこの部屋に男の子を呼んだのは初めてです」と親指を立てる。

 なんだか初めて仲田さんが年上に見えた気がした。


「僕も女性の部屋に入ったのはひと月ぶりです」

「ええっ! この前遊びに来た明佳は初めてだって言ってたのに」


 彼女は「君のほうがモテるなんて。なんだかダマされた気分だよ」と目を丸くする。

 そっちこそ初めてじゃないじゃないですか。嘘つき。

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