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イントロダクション カノ×カノ
× × ×
7月の外は明るい地獄だった。
道路が熱を受けて空気を揺らしている。
博識を気取る知人がさっそく陽炎(かげろう)の仕組みを教えてくれるけど、知ったところで汗が収まるわけでもないので、僕は相槌を打つだけに留めておいた。何しろ根っからの文系なので科学の話には弱い。
彼女はそれを察したのか「まあいいや」と話を終える。その上でこちらにハンカチを渡してくれたのは、僕がよほど汗をかいていたからだろう。
「ありがとう、萩やん」
「洗ってから返しなさいよ。きったない」
絵描きの知人こと萩原(はぎわら)と会ったのは半年ぶりだった。
出会いまでさかのぼれば1年前になる。
中学3年生の夏。
彼女が授業中に描いていたマンガがあまりにも上手だったので、ちょうど弟が「○○先生に出したファンレターに返事が来た」と喜んでいたこともあり、自分もイタズラ半分で彼女に応援の手紙を送ってみたのだ。
もちろん変な勘違いをされたくなったので匿名だったけど。
ところが、彼女は手紙の差出人をすぐに当ててみせた。翌日には僕の下駄箱にお返しの手紙が届いていたのだ。
コピックで彩色されたイラストまで付いていてビックリさせられた。
そこからお礼とかで会話するようになり――そんな交流が中学の卒業式まで続くことになった。
いつも絵ばかり描いているせいか、萩原は決して成績が良くなかった。
学校の勉強が致命的にできないだけであって、本人も物知りぶっているように脳みそがダメなわけではないんだけどね。
ともあれ、平均よりも少し上の点数だった僕とは進学先が分かれてしまった。
僕が彼女を「知人」としているのは過去の知り合いだからである。
会えば話すけれど会わなければ何もない。同じ箱に入れられていたから交流を深めていただけの知り合い。現に今日にいたるまで一度も連絡を取り合うことがなかった。お互いに。
そんな彼女に助けを求めたのは、僕たちが「ある問題」を抱えているからだ。
せっかちな同志たちに急かされる形で、藁にもすがるような想いでメールを送ることになった。
「そういえば、あたしに何の用だっけ?」
「萩やんにマンガの描き方を教えてほしいんだ」
「なんでまたそんな」
「とりあえず、これを読んでくれるかな」
僕の右手には同志に託されたスケッチブックがある。
今から乗るわけでもないのに、バス停の待合席に座っている萩原にそれを手渡すと、彼女はギョッと目を丸くした。
「小山内が描いたとはまるで思えないんだけど……たった半年で上手くなるわけないし、まさか写したわけじゃないわよね」
どうやら五郎さんの絵にビックリしているらしい。
「……友人の絵だよ」
「だよねー。あんたにはムリだもん。ナスカの地上絵みたいなのしか描けないもんね」
萩原は安心したように笑いつつ、ペラペラとスケッチブックを読み進めていった。
今彼女が読んでいるのはみんなで作ったネームだ。
ネームとはマンガの設計図のようなものであり、本格的に描き始める前にどんな内容にするかコマとセリフだけで示している。
完成品ではないからキャラの絵はテキトーでいいんだけど(何なら顔の向きだけでもいい)、作画担当の同志はかなり力の入ったものを描いていた。
特に女性化描写については一切の妥協を感じさせない。とても性的だったりするから女性に読まれるのが恥ずかしいくらいだ。
萩原は読み終えると「TSモノなのはわかった」と呟いた。
「でも、マンガではないわね。コマのふり方が下手すぎるから読みづらいし、なんかこだわりがあるのか知らないけどテンポがダメすぎるのよ」
「なるほど……」
「それと吹き出しをどの順序で読めばいいのかわからない。人物の配置にしてもそう。カメラワークもそう。いかにもイラスト畑でマンガには慣れていない感じがするわ。こういう子はあたしの友達にもいるのよね」
彼女は次から次にダメ出しをしてくれる。
さすがにマンガを描く上では先輩なだけあって、彼女の指摘は五郎さんといっしょに取り組んできた自分としても目からウロコだった。
スケッチブックにひとしきりダメ出しをくれた彼女は、
「まあ、ひとつひとつにダメ出ししてたらキリがないけど、少なくとも30ページのマンガにヒロインを6人も出すのは無謀だからやめなさい」
「うっ」
シメにいちばん痛いところを突いてくる。
たしかにギャルゲーでもないのにヒロイン6人はムチャだった。僕だってそんなマンガは今まで読んだことがない。
でも、仕方ないじゃないか。
なにせ6人いないと「変身」「入れ替わり」「脳移植」「半陰陽」「皮モノ」「女装」を網羅できないんだから。
これでも同志と話し合って削ったんだぞ。
女装を入れるか否かで、また五郎さんと伏原くんが揉めたんだぞ。
そんな言い訳を萩原にできるはずもなく。
何も反論せずにダメ出しをメモしていると、彼女はおもむろに「やばっ」と声を上げた。
「どうかしたの?」
「ごめん小山内。これから彼氏と映画なんだった!」
「ええっ、萩やん彼氏いたの!?」
「花の高校生なんだから当然でしょ! ネームまた読んであげるから持ってきてね。あとハンカチ忘れないでよ!」
スケッチブックをこちらに突き返して、萩原は「じゃっ」と走り出す。
うーん。あいつに彼氏なんていたんだな。知らなかった。
僕はべっちゃりとしたハンカチをポケットに入れつつ、何となく彼女を目で追いかける。推定120キロの巨体が地下鉄の入口に吸い込まれていった。
不良っぽい格好だった中学生時代とはうってかわって、今時の女子高生らしくオシャレしていた彼女だが、あの恵まれた体格だけは全く変わっていなかった。
ハンカチだって僕が拭う前からべっちゃりしていたのであって、僕の汗だけでつゆだくになったわけではない。
これをその彼氏さんに売りつけたらお金になるかな。
なんて、しょうもない感想を抱きつつ、僕はいただいたダメ出しの内容を同志に伝えることにした。二人とも少しは妥協してくれるといいんだけど。
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