ネト充のホマレ


     × × ×     


 ガラスのコップにメロンソーダを注いでいく。

 次はアイスコーヒー。シロップとフレッシュを忘れずに。

 コーラには何も入れない。コーラにフレッシュを入れるなんてウチの学校の大学生がやりそうなことだ。あの人たちを見習ってもまともな大人にはなれない。


 いつもアマゾンの注文を行っている、いわば小山内行きつけのネットカフェにて、僕は3人分のジュースを入れていた。

 なぜ3人分なのかはさておいて、僕以外の2人をカップルシートで2人きりにさせたくない自分としては、早々にジュースを持っていきたいところだった。自然と足が速まる。

 その勢いのまま、右足でオレンジ色のブースのドアを開ければ、だんだんとパソコンのディスプレイに釘付けになっている女の子の横顔が見えてきた。

 彼女に少し詰めてもらおうと声をかけてみると、お尻がちょっとだけ奥にズレた。

 おかげで奥にいた伏原くんが「あわわ」と赤くなっている。


 ペア席ですが、2人から3人までご利用いただけます――なんて宣伝文句を鵜呑みにしたせいで、僕たちは仕切りで囲まれた狭い空間にギュウギュウ詰めを強いられていた。

 まるでイタリア軍のCV33の車内のよう。

 自分がジュース係を任じられたのも、決して仲間内での立場が弱いからではない。いちばんドアに近かっただけの話だ。


「はい。ジュースだよ」

「センパイに取りに行かせてすみません」

「別にそんなの気にしないでいいよ」


 どうせ本心から言ってないだろうし。この少年はそういう子だ。


 少年少女、それぞれにジュースを渡して、シートに座らせてもらって。

 僕はようやくブースのドアを閉じることができた。

 むせそうなくらい狭い。


「さてと。どうだい鳥谷部さん。書庫の作品は楽しい?」

「小説なら何でも好き」


 彼女はメロンソーダを吸いながら、ネット上の小説作品をむさぼるように読み続ける。

 ブースが狭いせいでお互いの肉体がくっつく箇所も多いんだけど、本人はまったく意に介していないみたいだ。


 半月前の入れ替わりで慣れたはずの彼女の匂いに、僕は少しドキドキさせられている。

 彼女の奥にいる中学生の少年については、もはや言うまでもない。彼に女の子に対する免疫がないのは知っていたけど、あそこまで赤くなるなんてなあ。モジモジしていて面白い。


 カップル用のソファに女の子を囲む形で座る。

 人数や立ち位置は「昔のドリカム」形式になっていた。なぜこんなことになったかといえば、話は少し前にさかのぼる。


 2時間前。

 授業を終えて『第2保管室』にやってきた僕は、伏原くんと「書庫」の作品について熱く語り合っていた。


 ここでの「書庫」とは『むらやま』の施設ではない。

 正式には青年男女書庫――前世紀から続いているネット上の小説投稿サイトである。

 その名のとおり男性から女性に変わる作品に特化しているのが特長だ。

 有志により制作された、あらゆるジャンルのTSおよび女装作品が収められており、その中には複数の作者が同じ作品を手掛ける「シェアワールド」化した作品まで存在する。往時の活発なやりとりを窺わせ、なおかつ名作ぞろいだ。

 まさしくTS好きにはたまらないサイトなので、僕も伏原くんも中学時代に今読める分はほぼ読み切ってしまっていた。


「あれ良いですよね」

「本当にね。アルコールを抑えれば治るかもしれなかったのに、酒好きゆえにちょいちょい呑んでしまうから元に戻れなくて」

「終盤あたり自分から呑もうとして相手に怒られてたりしますもんね!」

「あのシーンに主人公の心の変化が……」


 ゆえに、2人ともどの作品の話にも対応できる。

 ほとんど思い出話みたいなものだから、僕も彼も楽しくないわけがなく、会話が弾むにつれて声も大きくなってしまっていた。

 それをたまたま近くにいたらしい彼女に立ち聞きされてしまったのだ。

 そして「書庫」とは何なのか、ウチの新しい施設なのか、卑猥なサイトではないのかと訊ねられて……すったもんだの末に今に至る。


 やはり同志以外に同志の話を聞かれるとロクなことにならない。

 当の鳥谷部さんは先ほどから延々と「書庫」の小説を読み続けており、すでに僕と伏原くんのオススメ作品は読破されてしまっている。


「奇妙な気分。作品の質はバラバラなのに読めちゃう。小山内くんたちが特別好きな理由はいまいち伝わらないけど、作り手の情熱はすごく感じる」


 マウスのホイールを指先で転がしながら、彼女は呟いた。

 その内容に伏原くんが口を開く。


「好きな人が好きな作品を作ってますからね。技巧や中身に差はあれど、好きという気持ちと己の好きな女性化シチュエーションはハンパなく詰まってますよ。そこが書庫の作品の素晴らしい点です」

「ジャンルに対する愛が溢れてる。その愛はきっと不偏的だから、私みたいな畑違いの人間にも伝わってくるの」


 珍しく熱弁を振るう彼女の姿に、僕は自然と笑んでしまった。

 すでに僕からTSマンガを貸りている彼女が完全に畑違いかどうかはともかく、そこまで褒めてもらえるのは「書庫」のファンとして素直に嬉しい。

 たとえ少し作風が古くても、今も昔も変わらないTSの旨みがあそこにはあるからね。


 なお、全体的な傾向としては「なんか女の子にされちゃった!」系の作品が多く、次いで「元男性が男性に恋をする」形式の作品が多数を占めている。伏原くんが大好物とする心の揺らぎを描いた作品もかなりある。


 とにかく、とてつもない作品数を誇るので、これら以外にも色んなジャンルの小説があるんだけど、少なくとも前出の系統が主流だったのはたしかだろう。

 断定できないのは自分たちがサイトの全盛期に生まれていたわけではないからだ。

 僕たちよりも遥かに年上の人たちが、大いに文化を育てて、秀でた作品を送り出して……その跡地が今もひっそりと残っている。


 ともあれ、そういった歴史があるゆえに、TS好きの中でも伏原くんみたいな一部の人々は「元男性と男性の恋愛作品」を正統派だと捉えているのかもしれない。

 大和路先生はどう捉えていたのかな。あの先生はWEB作品にはあまり言及してないからなあ。


「不思議。どうしてこんなエネルギッシュな人たちのサイトが休止しているの」


 鳥谷部さんの問いかけに、伏原くんと僕は顔を見合わせる。

 あくまでオーナーさんとボランティアの人たちでやっているサイトなので、そこを追及するのは変な気分になる。

 こういうのはあって当たり前ではなく「有難い」ものだ。

 ちなみにサーバートラブルで休止といってもコンテンツの一部は現役なので、そちらで作品の投稿も可能だったりする。過去作品は滞りなく読ませてもらえるしね。


「明佳くん。今はネットにTSの小説サイトはないの」

「もちろんありますよ」


 伏原くんは彼女からマウスを借りると、検索サイトに「小説海老なろう」と打ち込む。有名な小説投稿サイトだ。

 このサイトはSNS的な要素があり、マイページを作ることで自分の好きな小説をブックマークしたり、作品に評価ポイントを入れたりすることもできる。とても便利だし、何よりあらゆるジャンルを内包する大型サイトなので僕もよく利用している。

 当然ながら、同志の愛するTS作品も多数投稿されている。


「今はここが大手ですね。他にも似たような小説の投稿サイトはありますよ。あとはネット掲示板発祥のSSにもTSFはあります」

「潜水艦(サブマリン)? 遊撃手(ショートストップ)? 親衛隊(シュッツ・シュタッフェル)?」

「ショートショートです」


 伏原くんは彼女の反応にはにかみつつ、ここでのSSは主に会話文を中心とする作品群のことであると説明した。

 出所が匿名掲示板であるからか、登場人物の名前をできるだけ示さず、もっぱら代名詞や役割がその代用語になっているのも特徴といえるだろう。


 あえて再現してみるならば、

 女「星新一の作品もショートショート」

 後輩「あれは小説作品ですが、こっちはむしろ台本に近いです」

 およそこんな具合で話が進んでいく。


 出所が出所だけに作者の多くが匿名なのも特徴だ。

 世間には一部のサイトにまとめられることで出回っている。その辺りについての言及は特にする必要がない気がするので控えておく。


「やってやる造スレにもTSFネタはあるようですが、小生もそちらには詳しくないので。イラストサイトのペケセベにもTS系の小説はありますよ」

「たくさんあるんだ」

「はい。大人向けのサイトを含めればもっとあるはずです」

「大人向け?」

「あーセンパイから教えてあげてください」


 伏原くんが話を振ってくる。なんでそのタイミングでこっちに回すのさ!

 いくらTSの話ができる相手とはいえ、女の子にエロ系の話をしたくないので、僕はさりげなく話題を変えようとする。


「ペ、ペケセベといえばBL系の二次創作ばかりだよね!」

「あの辺が目立つのはランキングにあるからで、おそらく探せば掘り出し物があると思いますよ。小生はいずれ挑戦するつもりです」

「2人とも、それより大人向けの話」


 そう言いながらも彼女の目は僕にしか向けられていない。

 どうしよう。まともに説明しても「エッチ」「小山内くんはヘンタイ」「センパイはヘンタイ」とののしられる末路しか見えない。

 かくなる上は、すっとぼけるしかないとみた。


「……僕はまだ高校1年だから知らないよ」

「…………」


 彼女はいつもの台詞を吐かなかった。

 なぜなら、今のは決して「嘘」ではないからだ。

 自分は大人向けのサイトなんて入ったことがないし、おかげで仲田さんから「名作あるのに」と哀れみを向けられたこともある。

 別にこっそり入っても罪にはならないんだけど、何となく破ってはいけない気がするのだ。


「エッチなサイト。小山内くんは見ないの」

「子供は見ちゃいけないからね」


 こちらの返答に、鳥谷部さんは少しばかり険しい表情を浮かべる。パッツン姫カットの下で目が泳いでいた。なかなか珍しい感じだ。でも、まともな答えを返したのに困惑されるのもどうなんだろう。

 彼女の中では小山内一二三は「エッチ」で「ヘンタイ」な奴だと相場が決まってしまってるのかな。すごくイヤだ。


 ふと、奥にいる伏原くんに目を向けると、彼は鳥谷部さんがマウスを手放したのをいいことに「海老」のランキングページを目ざとくチェックしていた。小説のタイトルと紹介文と評価が延々と並んでいる。


「おお。仲田センパイの新作小説が月刊80位に上がってますよ」

「それってすごいの?」

「センパイはあんまり月刊ランキングを見ないんでしたっけ。ブックマークも3000件を超えていますから、今度はデビューもあるかもしれません」


 伏原くんがクリックしたのは、仲田良弘の『スキンスワップ』という作品。

 今となっては珍しくなりつつある皮モノであり、同志のアイデアから着想を得たというコメディ作品だ。

 半月前に始めたばかりらしいのに、もうそこまで行ったのか。


「明佳くん。デビューって何のこと」

「この「海老」というサイトでは人気のある素人作家が出版社からスカウトされるんです。TSFジャンルにもスカウトされて本になった作品があります」

「WEB小説なのに本。変なの」

「無料で公開されているのに本を出すのは一見変かもしれませんが、書籍化に合わせて新しい話が追加されたりしますから、ファンにはありがたいでしょうね。もちろん本屋に並べば新しいファンも付くでしょうし」


 伏原くんの説明に、鳥谷部さんは「すごい」ともらした。

 彼女は文学少女だから、作品が本になるということに特別な思いがあるのかな。


 それにしても仲田さんに作家デビューのチャンスとは……ダテに名刺に『ライター』なんて記しているわけじゃなかったらしい。ワナビのくせになんて思ってごめんなさい。

 もし本当に本になったら、僕たちもアイデア料とかいただけないかな。

 なんて考えていると、伏原くんが見透かしたように笑みを浮かべて、


「センパイ、印税なんて大した額じゃないですよ」

「あ、そうなの?」

「以前、あるサイトで読んだことがあるんですが、ブックマークの件数をファンの人数に見立てて、ある程度の売れ行きが見込めるからこそ声がかかりますけれど、その先に増刷や次回作がないと作家としては商売にはならないそうです」

「案外シビアなんだね……」

「少なくとも作家の仕事だけで生きていくのは売れっ子以外はムリでしょうね。新人賞を取ったりデビューしたりするのはあくまで始まりにすぎないと、センパイの尊敬する大和路先生も仰っていましたよ」


 なるほど。夢があるようでない話だった。

 鳥谷部さんも「今は本が売れない」と残念そうにしている。


 まあCDもそうだけど、現代にはネットというメディアがあるからね。ベストセラーやゴールドレコードなんてのは「オマケ」でも付かないかぎりそうそう出ないだろう。

 その分、WEB小説には、すでに固定のファンが付いているという点、書籍版のみの特別仕様がある点などで、まだ売れる可能性があるのかもしれない。


 ちなみに伏原くんは説明を終えてから、「仲田センパイは作家以外の仕事も考えているんでしょうか」と呟いていた。

 まだ大学2回生だから心配しないでもいいと思うけど、彼女のことだから「お嫁さん」とか答えそうだなあ。


「……聞いてみようか」

「そうですね。どうせヒマしてるでしょうし」


 伏原くんが本人に電話をかける。

 答えは「保母さんになってから2年後くらいにシングルファザーのサラリーマン(元友人)とゴールインして今日から先生じゃなくてママだよと子供に声をかけつつ、お腹に新しく芽生えた命に悦びを得たい」だった。

 もっとも大学で保育士課程を受けているわけではないみたいだから、結局作家を目指しているんだろうか。



     × × ×     



 ネットカフェを出た頃には日本橋も夜を迎えていた。

 電気街は閉まるのが早いので、けっこうなお店がシャッターを下ろしている。朝から降ろしたままのお店がそこそこあるのは気のせいだ。そう思わないと地元経済の停滞ぶりを感じてしまい辛くなるからね。


 未だ右腕に残る鳥谷部さんの形状記憶を脳内に収めつつ、ここから南海の駅まで歩くらしい彼女にひと声かけてみる。


「男二人と狭いところにいて平気だった?」

「平気」


 彼女はこちらに手を挙げると「また行きたいから」と笑って、そのまま髙島屋の方向に消えていった。

 堺筋の夜景と共に輝いていたその姿に、危うく惚れてしまいそうになる。

 いけない。まだ色々と終わらせるべき懸案が残ってるんだから。彼女に告げられた話に答えを出すのは全てが済んでからだ。


「センパイ、では小生たちも帰りましょうか」

「そうだね」


 小さな同志と共に連れ立って地下鉄の入り口まで歩いていく。

 駅の中までは同じ道だ。その先は行き先が分かれるけれど、また明日になれば会うことができる。

 五郎さんと、この子と、明日はどんな話をしようかな。

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