おまけの伏原くん(後)


     × × ×     


 紅茶とケーキがそれぞれの手元に行きわたり、みんなで「勝利の旗に乾杯!」と声を合わせる。

 紅茶はもちろん伏原くんに入れてもらったものだ。

 ショートケーキのほうは仲田さんがわざわざ駅前の洋菓子店で買ってきてくださったもの。

 スポンジがしっとりしていて甘すぎず、とても食べやすい味わいだったので、5号なのにあっというまに平らげてしまった。


「仲田さん。お代はどうしましょうか」


 ケーキがあまりに美味しかったものだから、つい僕はお金の話を訊いてしまう。

 すると彼女は「ノーサンキューだよ」と両手をクロスさせた。

 どうやら奢っていただけるようだ。お金がすっからかんの僕にとってはありがたい話である。伏原くんと五郎さんも喜んでいた。


「……その代わり、ボクも君たちのマンガを手伝っていいかな」


 仲田さんはそう言って、床に落ちていたネームを拾い上げる。

 ここでのマンガとは五郎さんと伏原くんが作ろうとしている女性化作品のことだ。元々は僕をビックリさせるために作っていたらしいんだけど、肝心の僕にバレてしまったので今は三人でネタを作ることになっている。

 当の伏原くんは彼女の提案に困惑していた。


「仲田センパイが小生たちのマンガに……?」

「一応小説家の卵だからネーム作りでは力になれるはずだよ。これでもボクは小説投稿サイトのランキングにも載ったことがあるんだからね!」


 彼女は自慢げに胸を張り、スマホの画面を見せつけてくる。

 小さいので近づいてみると、かの『大図書館の七不思議』だけでなく『スキンスワップ』という作品も上位に付けていた。日付からして投稿されたばかりなのにずいぶんとポイントを得ている。

 タイトルからして気になるので、僕は訊ねてみることにする。


「この『スキンスワップ』というのは皮モノですか?」

「まあね。というか君たちのおかげで生まれた作品なんだよ。あの件が起きる前に明佳と小山内くんに皮モノのアイデアを考えてもらったでしょ」


 仲田さんは人差し指を唇に当てると、少し考えるような素振りを見せてから、「2人ともその節はどうも」とわざとらしく頭を下げてきた。キレイなつむじだ。


 ちなみに『スキンスワップ』は僕の出した「日常系の皮モノ」のアイデアをベースにしており、なおかつ伏原くんのアイデア「第三者の介入」も日常を崩さない程度に入れているとのことだった。

 主人公と三人の女の子がお互いの皮を用いて成り代わったりする中で、時として害意のない介入が行われるらしい。例えばヒロインのお父さんがヒロインのふりをして主人公の性格を探ろうとするなど。

 きっと主人公が意外と良い奴だとわかって、2人の交際を認める――みたいな流れになるんだろうな。TS・非TSを問わず200回くらい目にしたパターンだ。


「あの! そのお父さんが主人公と結ばれたりしますか!」

「しないに決まってるじゃないか……この作品は日常系なんだよ。ニッチなファンに目を向けていたら人気が出ないよ」


 あくまで彼なりのTSらしさを求める年下の中学生に対して、仲田さんはカジュアルなTSモノを世に出すことを目指しているようだ。


 ニッチとカジュアル。ここでの定義をそれぞれ名前を出して説明させてもらえば『保守点検の日』はニッチで『さんま1/3』はカジュアルになる。

 すなわち元男が男性と恋愛する作品はニッチなのだ。

 あるいはディープと言い換えてもいい。


 TS好きにも色んなスタンスの人がいるのは周知の事実だけど、中にはこうしたニッチでディープな作品を好まない人もいたりする。好まないまではいかなくても、少なくとも伏原くんのようにそれを「正統派」と希求する人ばかりではないのはたしかだ。

 そもそもTSというジャンルの定義は「女性を手に入れるもの」であって、いわば「その女性を他人に差し出す」形になるものはサブジャンルなのかもしれない。それが「非主流派(ニッチ)」であるか「正統派」であるかは、やはり各々のスタンスによるところだ。


 このあたりは伏原くんや五郎さんが「TSF」と呼ぶのに対して、僕が「TS」と呼んでいるのと同じように、それぞれ育った環境や年代も左右している気がする。

 ちなみに海外ではトランスジェンダーで「TG」と呼んだりするので気をつけよう。


 まあ、その辺の話はおいおいとして――ところで、東日本では豚まんのことを肉まんと呼んだりするらしいけど、別に牛肉が入っているわけではないんだよね。

 お肉イコール牛肉というのも地方によって変わるそうだ。


「……さすがに豚まんでTSモノはムリかな」

「センパイは何を言っているんですか」


 伏原くんは呆れたようにため息をついてから、「小生はおまんじゅうが男性の胸にくっついておっぱいになってしまうイラストを保存したことがあります」とドヤ顔で教えてくれた。TSってなんでもありなんだなあ。


 それはさておき、仲田さんのマンガ作り参加については伏原くんがOKを出したらしい。

 彼女も外に出すための作品ではニッチを抑えているだけであって「正統派」を敬遠しているわけではないからだそうだ。

 ぶっちゃけ敬遠も何も、仲田さん本人は「男の人から愛されたい。抑えつけられたい。女性を強いられたい」なんて本心を抱いていたりするのだけど……あれは僕と彼女の会話で知ったことなのであえて外に出すようなマネはしないでおいた。

 人の秘密を漏らすなんてのはおしっこを漏らすのと同じことだ。


 ともあれ、あとは作画を担当する五郎さんから許可をもらうだけである。

 ずっと会話に参加していなかった彼は……なぜか長机から離れて『第2保管室』のドアノブに手をかけていた。


「あれ、五郎さんもう帰るの?」

「おう……今日は行くところがあるからな」


 彼は「ケーキもいただいたことだし」と仲田さんに目をやってから、会釈もそこそこにそそくさと出ていってしまう。

 その大きな背中がいつもより小さく見えたのはおそらく女性化の前兆ではない。


 内心で何があったのか気にしていると、伏原くんがそろそろと近寄ってきて、こっそり耳打ちしてくれた。


「さっき五郎さんからメールが来たんですけど、どうも女の人に自分の趣味を話すのが恥ずかしいみたいですよ」

「女の人って仲田さんのこと?」

「でしょうね。まあ五郎さんは仲田センパイとほとんど話したことありませんし、小生たちのようにあの人の昔の姿を知っているわけでもありませんから。女の人だと思ってしまっても仕方のないことかもしれません」

「なるほど……」


 一応五郎さんにも仲田さんの正体は伝えてあるけど、だからといってすぐにも男性だと捉えられるものではないらしい。かくいう僕だって内心では彼女を女性扱いしていたりするから、彼の心情は十分にわかった。

 年上のお姉さんに「女の子になるお話が好きです」なんて話せるほどの強さを僕たちは持ち合わせていないのである。


「……でも、あの二人がこのままなのはマズくないかな」

「はい。たぶん仲田センパイはちょいちょい来る気がしますし。五郎さんがいないとマンガ作りは進められません」

「………………」


 僕たちはお互いに頷きあった。


 かくなる上は――仲田さんの過去の写真を五郎さんに送りつけるしかない。

 伏原くんのスマホにはデータが残っていなかったので、仕方なく仲田さん本人から生徒手帳をお貸しいただき(オブラートに包んだ表現)スマホのカメラからメールで送付することにした。

 やがて五郎さんから返ってきたのは『すぐに戻る』との本文。さすがにあの冴えない写真を見てしまうと考え方も変わるようだ。


「やめたまえ! あれはボクの恥部なんだよ!」


 なお、当初はそんな感じでイヤがっていた仲田さんだったが、しばらくすると「でも男子生徒に二人がかりでイタズラされた上に自分の恥ずかしい写真を送られるなんてむしろインタレスティングなんじゃ」とこちらも考え方を改めていた。

 やっぱりTS好きはマゾなんだろうか……なまじ多少は理解できてしまうのが恐ろしいところである。やだなあ。


 いずれにせよ、突然ながら僕はとてもトイレに行きたくなったので、戻ってきた五郎さんと入れ替わりに部屋から出ていくことにした。

 女性でも男性でも己の尿意には敵わないのである。

 ただ女性のほうが尿道の短さからガマンしづらいそうなので、そういう点では珍しく男であることの利点を見つけることができた。



     × × ×     



 手短に済ませて部屋まで戻ってくると、おそらくガマンしていたのであろう五郎さんが仲田さんとTSについて猛烈に語り合っていた。

 その勢いたるや二頭の猛牛のようだった。


「やはり『アンバランスノンポリ』のように結末をボカしてみることで」

「ボカしたところでわかってしまうなら同じことだよ」

「しかし『博徒な彼女の三連敗』では平然とやっていて」

「あれは少女マンガだから読者に理解があるのさ」


 自分たちの作るマンガをできるだけニッチな方面に持っていきつつ、なおかつ一般にも読んでもらえるようにできないだろうか。

 そんな語り合いはやがて「どんな展開にすると萎えるのか」という欠点を消していく流れになり、古今の作品を例に出しながら同志のおちんちんを萎えさせないための教訓を得ていく中で、ついに二人は一つの結論にたどり着いた。


「……やっぱり最後に男に戻るのはダメだな」


 それは古くから知られるTSの掟のようなものだったけど、なぜか息が詰まったのは……気のせいかもしれない。

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