1.5

おまけの伏原くん(前)


     × × ×     


「――なるほど。小生が知らないところではそんなことになっていたんですね」


 僕の話を聞いて、彼はさらさらとメモをとっていく。子供らしい指先が紡ぐ文字は意外にも筆圧が強い。

 自分が鳥谷部さんになってから元に戻るまでに何が起きていたのか。

 自分はTSを経てどのように思考したのか。

 逆に小山内一二三になった彼女はどんな反応をしていたのか。

 今ここにいない彼女のプライバシーを守りつつも、僕はできるだけ克明にお話させてもらった。これは自分たちの作り出す作品の役に立つかもしれないからであり、なおかつ一夜明けて自分の中で実感が失われつつあるからでもある。


「センパイはトイレで困ったりしなかった。なぜならどう対応すればいいのか、あらかじめマンガで習っていたからだ、と」


 こうして第三者に記録してもらえば「リアルな入れ替わり体験」を保存しておける。それを活かしてTS作品を作りだせば、僕たちはTS好きのピルグリムファーザーズになれるかもしれないのだ。

 なにより秀でたTS作品を自給自足できるのに越したことはない。

 五郎さんの可愛い絵柄ならば同人誌、商業化だって夢ではないだろうし。自分たちも他の人たちも出版社もTSで幸せになれるウィンウィンな世界がやってくる……?


「まあ、リアルにすりゃいいってもんでもねえけどな」


 そんな僕の皮算用を打ち砕いたのは、対面で鉛筆を滑らせていた五郎さんだった。

 飲まず食わずでも衰えを知らないその右腕から描き出されたのは1枚のイラスト。やけに古くさい絵柄の男たちが「ロボットに足なんていらねえ!」と叫びながらモビルポッドでミサイルを運んでいる。


「小山内ならこんな地味なアニメとロボットチャンバラ、どっちがいい」

「そりゃチャンバラだよ」

「オレもチャンバラがいいよ。だからリアルすぎるのはダメなんだ」


 五郎さんはそう呟いて、なぜか大きなため息を吐いた。

 さらには「リアルなんてクソだ」とブッダお兄様のようなことまで言いだす始末。あの作品も途中で入れ替わりがあったんだよね。強気な主人公が女の子の気持ちになって攻略されてしまう内容だったからわりと楽しめた。


 それにしても……ため息なんておかしいな。

 五郎さんは幼女になれたんだから幸せなはずなのに。少なくとも女装させられていた中学生よりは楽しい日々を送っていたはずだ。あるいは幸せすぎて元に戻るのが辛かったのかな。


 気になった僕は「どうしたの?」と訊ねてみる。

 すると、五郎さんは待ってましたとばかりに机の下からスケッチブックを取り出して、


「小山内! お前の話が終わったなら、次はオレが小学生たちのセキララなリアルってもんを教えてやるっきゃねえよな!」


 よくわからないテンションでそれを机に広げてみせた。

 その風圧により長机からメモ帳たちが飛び上がっていく。後で片づけないといけないな。


 ともあれ、僕は伏原くんと共にスケッチブックに目を移してみる。

 五郎さんの作品には珍しく続き物のようだ。

 構図的には見開きの左右にそれぞれ「求めていたもの」「実際に得られたもの」とテーマが付けられており、その下のイラストを通じて彼の気持ちが代弁されている。


 例えばこんな感じだ。


 ○求めていたもの……大人しくてポケッとした天然系の少女たち。スク水でキャッキャウフフなプールサイド。みんなニコニコな給食タイム。休み時間には楽しい鬼ごっこ。放課後はみんなで駄菓子屋さん。


 ○実際に得られたもの……はなをほじっているクソガキども。プールで平気でおしっこするクソガキども。汚れた手で配膳された給食。特定の子にタッチしたら陰口を叩かれる鬼ごっこ。お金がないから買い食いできない。


 スケッチブックにはこうした五郎さんなりの『これじゃない』が延々と描かれていた。

 左右で絵柄を使い分けているのもあって、まるでリアルの小学校がとてもおぞましい社会のように思えてくるけど、ぶっちゃけ小学2年生ならこれくらいが当然のような気もする。

 伏原くんも「8才ですからね」と笑っていた。

 だが、五郎さんはどうしても納得いかないようだ。


「てっきり『1年生になっちまったら』とか『女子小学生になっちゃいました』みたいな可愛い小学校生活が送れるものと思っていたのにこの有り様なんだぞ……そりゃ元に戻るためにお前たちを探すだろ! 胡桃のことを抜きにしても!」


 彼は幼女化で有名な作品を例にして不満をあらわにする。

 ちなみに『1年生になっちまったら』はどちらかというと「得られたもの」サイドの内容も多いマンガだ。もちろん二次元なので汚くないけど。

 五郎さんの「実際に得られたもの」もいつもの萌え絵で描いていたら「ご褒美」扱いだったかもしれないな。

 そういう点でリアルのTSが劣るというのは何となくわかった。

 僕たちが普段楽しんでいる作品は理想化されたものだから、汚れはとことん排除されているのだ。ゆえにリアルだとそれが目についてしまう。身近な例でいえば、鳥谷部さんだってトイレに行くのである。


「……でも五郎さん、幼女の姿でスク水は着たんですよね」


 伏原くんがスケッチブックのページを指差した。そりゃイラストでプールに入っているわけだから、逆にあれを身につけていないとまずいだろう。TS作品ではある種のお約束なのでほんのり羨ましい気分にさせられる。

 対して五郎さんは「おう」と照れくさそうに頭を掻いていた。内心で当時を思い出しているのかな。いいなあ。


「……しかも、小学2年生なら男女同じ教室ですよね」

「!」


 その発言に思わず鳥肌が立った。

 たしかに小さい頃は同じ教室で着替えていた。

 あれが3年生頃から別のクラスに行くことになるんだよね。性に目覚める前だったから全く気にも留めていなかったけど、今思うとなかなかアレな状況だ。


「おそらく五郎さんだけがヤキモキしたんでしょう。他の子たちはみんなそれが当然なわけですから。そんな状況をはなくそくらいで汚せるものですか。自分だけ恥ずかしくなっちゃうなんて……うらやまけしからんです!」


 伏原くんは「センパイはセンパイでボディタッチとか体験してますし! 小生なんて布団の中に居ただけですのに!」と机に伏せってしまった。しまいには嗚咽まで漏らしてしまう始末。


 うーん。なんて声をかければいいのやら。

 僕は五郎さんと目を合わせてみる。あちらも対応に困っているみたいだった。

 かといって相手は年下なので慰めないわけにもいかない。


 仕方なく、彼の犬っぽい毛に手を添えようとしたところで……この子がそんな程度で落ち込むような奴ではないことを思い出した。

 もちろん自分だけ不味い飯を喰わされたことに不平不満はあるだろうけど、僕の知るかぎりでは「よしよし」……あれ?


 すでにネイルの入った手が彼の頭を撫でている。


「ん、この手の感じはセンパイではないです。まさかトリセンパイですか」

「グッドイブニング! みんな昨日ぶりだね!」


 そこにいたのは仲田さんだった。

 いつのまにか入り込んでいたらしい彼女は、ホールサイズのいちごショートをこちらに手渡してくると「明佳にお茶を入れてもらわないとね」と楽しそうに笑いかけてくる。

 珍しくガーリーな格好をしているのはまた女性になれた喜びの反映なのかな。

 明るくて薄い布地のシャツに、腰には柔らかそうなスカートを履いていて。

 襟のあたりには花柄があしらわれている。


「……小山内くん、だからおっぱいで判断しないでほしいとあれほど」

「いやいや、そんなつもりないですから!」


 左手で胸元を隠してみせる彼女に、僕は慌てて訂正した上で――ふと、相手が「元男」とわかっていながら内心で女性扱いしている自分に気がついた。

 ひょっとすると初めて会ったのが仲田良弘ではなく今の姿だったからだろうか。でもあの時は男性だと自己紹介されていたわけで。そもそも男性時代の姿だって見ているはずなのに。うむむ。


「ピエロがものすごく性別不明だったからかなあ」

「ピエロ? あんなのオフの日にはしないよ。……まさか小山内くんったら、ボクのことを口説いているのかい?」

「それはないです」


 こちらの反応に、仲田さんは「あれれ」と恥ずかしそうな表情を見せた。

 もしや彼女に恥をかかせてしまったのでは……何となく伏原くんに目を向けると、彼はとてもニコニコしている。

 というより「したり顔」に近い。

 仮にも同志でありながら石室の件と変身の件を隠されていたこともあってか、この2人の間柄は以前より歪んでいるようだ。

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