7-4
× × ×
中学生ちゃんと初めて出会ったのは入学式だった。
まだ入学したばかりの僕たちに「先輩方の輝かしい未来を祈っています」と図書部のチラシを手渡してきた。
二度目の出会いは入部して間もない頃だったかな。
TS部にようこそのポスターが単なるダジャレだったと気づいて、一人で酷く落胆していたら、彼女が「なにかお困りごとですか」と甘い声で話しかけてきた。
どちらも相手が小山内一二三でなくても成り立つ出会いであって、たぶん彼女に気に入られたのはその後になるんだろう。
地下深くの石室にて、前髪が長くて、おっぱいの大きい中学生ちゃん――の格好をした河尻さんは、僕たちがやってくるのを悠々と待ちかまえていた。
その姿に僕は「なぜ今さらその格好なんです」と訊ねてみる。
「センパイとはいつもこの格好で会ってきたからな。あとはその、すぐに来ると踏んでいたのに来なかったから暇だったのだ、一日も待たせよって」
彼はそう答えて、セーラー服の袖口をつまんでみせた。
夏なのに長袖なのは体型をごまかすためだ。しかしながら今の彼はとても男の人には見えない。
例によって性的なアンテナが働いていないのもあるだろうけど、さっきの髪を引っ張る仕草からして、ひょっとすると「奇跡」を起こしたのかな。
たった今、仲田さんがあんな姿になってしまったのを目にしてしまった以上、それを完全に否定できる材料は手元にない。
「さて、今センパイには二つの選択肢があったりします」
河尻さんは声色を変えて、しかし目元を隠さぬままに右手の指を二つ立てる。チョキだ。
反射的にグーを返すと「河尻様に刃向うな!」と上坂さんに詰められた。彼女は清楚な正統派美少女で怒り顔すらも可愛らしい。
こんな子が傍にいるなら、僕なんていらんだろうに。
「……あなたはセンパイに何をさせるつもりなんですか」
僕が上坂さんに吊るし上げられているので、代わりに伏原くんが訊ねてくれる。
先ほどから地面にうずくまっている仲田さんの背中をさすっていた彼の目は、ナイフのように鋭利だった。
しかし、河尻さんは不敵な笑みでそれを跳ね除ける。
「センパイに何かさせたいわけじゃないよ。ただ二つの道を選んでもらうだけで……これはオレ様なりの慈悲なのだよ」
彼は続けて「やれ」と呟いた。
すると、傍らに控えていた委員二人が、各々プラカードを掲げ始める。
赤ぶちメガネのお姉さんっぽい中学生の手には『委員になる』のプラカード。
制服がダボついている女子中学生は『委員にならない』のプラカードを手に持っていた。この子は新入生の弓長さんだ。
「こうするとわかりやすくていいですよね、センパイ!」
河尻さんは彼女たちの間に立って、話を続けていく。
こちらに突きつけられた二択。
まずは委員になる道だ。彼らと手を取り合って下々の部員たちを指導していくことになる。メリットはたくさんある。自分好みの『むらやま』を作ることもできれば、内申点だってぐいぐい上がる。あんな可愛い子たちといっしょに過ごすこともできる。喫緊の話であれば、まず元の肉体に戻ることができる。
デメリットは「同志」をやめなければいけないこと。
これは河尻さんにとって譲れない点らしい。
「ヘンタイは卒業するべきです! センパイにはせっかく光るところがあるのにケチがつくのはもったいないですから!」
彼は「当然あの子たちとも縁を切ってもらいます」と伏原くんを指さした。
つまりTS好きをやめる上に友人まで失うわけだ。
「いや、それはムリですよ」
「なぜですか。あと今は敬語でなくてもいいですよ、センパイ」
「……自分にとっては伏原くんも五郎さんも、仲田さんも大切な同志なんです。それにTS好きをやめるなんて絶対にできないと思います」
「ふぅん。あの子たちに女の子の良さを教えるように命じてあげてもいいんですけど?」
河尻さんはニマッと邪な笑みを浮かべた。
だが、残念ながら今の僕には効かない手立てだ。
なにせ女性に対する性欲が吹っ飛んでいるのだから。
「僕たちの信奉しているTSは女の子を析出させるものとの説があります。ただの女の子ではそれ以上の良さを得られる気がしませんね!」
委員の子たちには申し訳ないけど(?)お断りさせてもらう。
もし小山内一二三の肉体だったとしても、女性に釣られて「同志」を裏切ることはしなかったはずだ。彼らにはたくさんの作品を教えてもらった恩があるからね。
こちらの答えに河尻さんは舌を鳴らした。
「わかった。なら、次は委員にならないという選択肢だ。オレ様に逆らって生きていくのは辛いことだぞ。なにせ元に戻してもらえないのだからな!」
彼は弓長さんのプラカードをひったくり、こっちに投げつけてくる。
委員にならない。
同志であり続けることができる代わりに一生このまま過ごすことになる。五郎さんは死んでしまうだろうし、伏原くんはまともな生活が送れなくなるだろう。
僕と鳥谷部さんは入れ替わったままに生きることになる。
到底どれも受け入れがたい。
「……さあ。どっちにしますか、センパイ」
「せめて折衷案を出してもいいですか、やっぱり死人が出るのは……」
「その提案は拒否です! つべこべ言わずに、とっととオレ様の下に来るのだ、小山内!」
彼はグイッと手を引いてくる。
くそう。どうしてこんな人に気に入られてしまったんだ。河尻さんといい伏原くんといい、僕はチビの変人に好かれるオーラでもまとっているのかな。
こちらの手を河尻さんの柔らかい手がにぎりしめてくる。
強引につながれた二つの手。切ってしまうのはカンタンだけど、そうすると拒絶したとみなされてしまいそうだ。くそったれ。
「…………河尻さんは小山内くんのことが好き?」
それは小さな一言だった。
しかし河尻さんは大きな反応をみせる。目をまん丸にして、右手から力を抜いて――いきなりだったものだから、僕はバランスを崩して倒れそうになったけど、危ういところで踏み止まることができた。
よかった。彼女の肉体に傷を付けるわけにはいかないからね。
一方の彼女本人は「今のは明らかに独占欲。独り占めしたいから伏原くんたちと別れるように言ってる」と河尻さんに追い打ちをかけている。
独り占め……たしかにそんなふうに捉えることもできるけど。
「な、なにを言っている。オレ様も小山内も男性ではないか!」
「そういう人もいる」
「オレ様は可愛い女の子が好きなのだ。こいつらみたいな!」
「どっちも好きな人もいるから」
「ぐぅっ」
河尻さんは明らかに狼狽していた。
本来なら一刀両断に否定して切り捨てればいいところを何を焦っているのやら。
まさか、本当に思うところがあったりしないよね……今さらながら僕自身にそっちのケはないつもりだ。
「……センパイ。これマジかもしれませんね」
そろりと伏原くんが寄ってくる。
床に伏せったままの仲田さんもさりげなく頷いていた。うそん。
「いや、でもTSはキライらしいのに」
「自分から女装している時点で怪しいものですよ」
「たしかに……」
伏原くんの意見は的を得ていた。
もしかすると、あの人のキライというのは同族嫌悪に近いものなのかもしれない。
自分の好きなものを自分で許容できない気持ちは何となくわからないでもない。同志に出会うまでは僕もそれに近かったわけだし。
「それにあの人、さっきから明らかにセンパイが仰るところの中学生ちゃんをやってるじゃないですか」
「う、うん」
「あれって、あの姿なら仲良くやれると踏んでいるからだと思うんです」
「まあ、そこそこ仲良くしていたからね……」
だからといって今も仲良くできるとはかぎらない。
あの時は年下の女の子だから軽口を言ったりできたわけで、年上の男子とわかれば同じ対応なんて取れない。彼がそれを望んでいるとしてもムリだ。
「おまけにあの人、家来はいてもお友達がいないタイプでしょうし、ごく普通の人でも女性の格好をするだけで意識が変わるとの話もありますし」
伏原くんは「それで同性愛とひと口に言えたものでもありませんけどね」と話をしめる。
彼の予想が全て当たっているかはさておいて、一気にこれだけの話をすることができる点はさすが同志だ。
「明佳も成長したんだね。ボクが見つけた時にはまだ赤ちゃんだったのに」
「仲田センパイは小生と出会った頃のままですね」
「……後生だから見ないでくれたまえ」
まだ何も終わっていないのに、なぜか少し余裕をみせている二人。
ちなみに先ほど仲田さんが「奇跡」で女子大生に変身していたと知った伏原くんは、面白いくらいにビックリしていた。
次いで「どうして小生におすそ分けしてくれなかったんですか」と怒ってもいたけど、まあそれはさておき。
当の河尻さんは「ちがうちがうそんなはずない。ただふたりでいるとたのしいだけでオレさまはホモじゃないそんなつもりはない」と呟きながら、両手で頭を抱えている。
どういうわけか、その様子を赤ぶちメガネの委員がとても良い笑顔で見つめているのが、酷く不気味に映った。
「河尻様。悩まれることはありません」
彼女はそっと河尻さんに近寄ると、何やら耳打ちを始める。
意外にもその時間は長く、今のうちに何かできないかなと伏原くんに相談していると――不意に電話がかかってきた。
同じ班の田村からだ。
「もしもし?」
『うわぁ! すみません間違えました!』
応答したらすぐに切られた。
田村にしてみれば、小山内にかけたつもりが女の子の声がしたわけだから、わからないでもないけど……僕に妹がいるとか考えなかったのかな。いないけどさ。
スマホの画面に目を戻すと『着信履歴が1件』の表示があった。
これも田村かと思いきや、表示されている名前は源五郎丸将。五郎さんだ。
小学校で何かあったのかもしれない。今が昼休みであることを祈りつつ、僕は折り返しの電話をかけてみる。
『オレだ。今どうなってる』
彼はあどけない声色で訊いてきた。
そのわりに少し硬い印象を受けたのは、本人の命がかかっているからだろう。
伏原くんと2人がかりで、おおよその話をしてみると――なぜか五郎さんは次第に喜色に溢れた声を返してくるようになった。
くふふと笑っていたり、急にわざとらしい嬌声を上げたり。
挙句の果てにはサラサラと鉛筆を滑らせるような音まで聴こえてくる始末。
さすがに気になるので「どうしたの?」と訊ねてみれば、なぜか向こうから通話を切られてしまった。
反応に困り、伏原くんと顔を見合わせていると、今度はメールが送られてくる。
件名も本文もないかわりに添付ファイルが添えられていて、河尻さんと中学生ちゃんの両方を描いたであろうイラストになっていた。
イラストの河尻さんは「なんでこいつと話すのは楽しいんだ……」と悩んでおり、中学生ちゃんのほうはニコニコと笑みをふりまいている。その目の先にいるのはたぶん自分だ。右手にはラブレターかな。
いつもより下手な絵だったけど、立派なTSモノだった。
「さすが五郎さん……」
「こんな時でも描いてしまうんですね……」
僕たちは彼の行いに半ば呆れ、半ば感心させられる。
かつて伏原くんから「あの人は強い方ですから」と言われたことがあったけど、あれは本当だったみたいだ。
自分の命がかかっているのに、その元凶をネタにしてしまうほどの強さとカルマ。
何だかおかしくて、僕と伏原くんは互いに笑みをこらえきれなくなる。
それが収まった時には、お互いの中で答えが生まれていた。
「――そうか。TSモノだと捉えればいいんだ!」
「――あの人をヒロインに仕立ててしまえばいいんですよ!」
五郎さんのおかげで辿りつくことのできた、たった一つの冴えたやり方。
女装して女の子のふりをしているうちに、いつしか女の子扱いを受けることに快感を覚えてしまい、ついには恋とも友情ともつかない想いを抱くようになってしまったヒロイン――中学生ちゃんに『最終回』を迎えてもらう。
古今よりラブコメ寄りのTSモノの終わりなんてのは自らの恋心を受け入れ、女性として生きることを決心する点に尽きる。例を出すとキリがないけど『続保守点検の日』とか『アイドルインポスター』とか『彼になる日』とか。
これらの作品では女性としての自分を肯定することで、ようやく相手役の男性にアプローチをかける段階に至る。
アプローチ――河尻さんが人命を取引材料にしてまで小山内一二三に委員入りを求めているのは、突き詰めれば一緒にいたいからだ。
自由で奔放な中学生ちゃんなら、そんな手を使わずとも「センパイ!」と声をかけるだけで済む話なのに、彼はとても偉い委員長だからこんな手段しか採れないのだろう。そもそも男性はプライドを背骨にして生きる。おかげで僕たちは酷い目に遭わされている。
ならば。彼を中学生ちゃんにしてしまえばいい。
恋する女の子であることを前向きに捉えてもらう。
幸いにして彼の肉体は「奇跡」で柔らかいものに作り変えられているようで、心も良い感じに揺れ動いてくれている。終わりを迎えるための要素は整っているわけだ。
「あの人をヒロインにしてしまうためには……センパイとの恋が上手くいきそうだと感じさせて、人生をシフトチェンジさせるわけですけど、今のところ気になるのはセンパイがトリセンパイだということですね」
伏原くんはこちらのスカートに目をやる。
「たしかにこのままだと百合になっちゃうね」
「あの人がセンパイのどこに惹かれたのかわかりませんけど、万が一にでも容姿に惹かれたのなら今のままでは通用しませんよ」
「……いや。むしろ鳥谷部さんの肉体を使ったほうがいいかな。あの容姿に惹かれる奴なんて絶対にいないから、今のままのほうが絵面的にも良い気がするよ」
僕は石室の中をうろうろしている自分の肉体を念頭に話を進めた。
鳥谷部さんは何か探し物でもしているのだろうか。
彼女が石室の中央にある机に近づいたところで、ずっと赤ぶちさんの耳打ちを受けていた河尻さんが声を張り上げた。
「何をしているのだ! 石棺には近づかせるな!」
「はっ!」
彼の号令を受けて、上坂さんが鳥谷部さんを羽交い絞めにする。
すると鳥谷部さんは「や、やわらか……!」と真っ赤になってしまった。上坂さんのふくよかな代物が背中にぶつけられているようだ。
妙に悔しい気がするのはともかく、あの状態では彼女は使い物になりそうにない。
「ええい。オレ様が久慈の意見を聞いているうちに何をするつもりだったのだ。全く油断できない女だ。オレ様のシンパのくせにまるで命令を聞かないし」
河尻さんは「自分の足を撃ち抜きかねないトカレフはいらんのだ」と吐き捨てて、あろうことか僕の肉体にローキックをかましてくれた。
うーん。彼が小山内一二三の肉体に惹かれたわけではないのは十分わかったけど、今のが彼の男性的な部分だとしたら、それを吹き飛ばすくらいインパクトのある台詞をぶつけないと中学生ちゃん化は成し遂げられない気がする。
インパクト――「センパイ。少しいいですか」伏原くんが耳打ちしてくる。
その内容は恐ろしいほど冷酷で、かつインパクトのあるものだった。いったいどんな思考をしていたら思いつくのやら。
僕は久しぶりにドン引きさせられる。
「どうですか。小生としてはなかなかの妙案です」
「さすがに後で困りそうなんだけど」
「元より中学生ちゃんを作り出してしまえばそうなるわけですから。センパイが困るのでしたら後でウソぴょーんと舌を出してしまえばいい話です」
「ウソぴょーんって……」
伏原くんは「今はこれしかありませんよ」と肘打ちしてきた。
後半はともかくとして前半については同意せざるをえない。結局のところ彼の好意には答えを示さないといけないわけだし。
同志からクズみたいな台詞を託されて、僕は「五郎さんと鳥谷部さんのためだから」と内心でそれを正当化する。
洗礼の済んだ台詞をぶつける相手は目の前にいる、おっぱいの大きい女子中学生。名前はまだない。
それにしても人生初の告白が形式上百合になるとは思ってもみなかった。
「……あのさ。僕がずっと言いたかったことなんだけど」
「え……なんですか、センパイ」
「お友達から始めませんか」
こちらの言葉に彼は目を丸くする。
お友達から始める。始めるということは行きつく先があるはずで、そんな風に期待させておいて自分の中では答えがもう出ていたりする。
単なる先送りというだけではない、上げて落とす系の酷さを秘めた申し出だった。
「……わかりました。ではお友達から始めましょうね、センパイ」
彼女は作り笑いを浮かべる。
何か思うところがあるのか、あるいはお友達からなのが残念なのか。
いずれにせよ、下手に満面の笑みを浮かべられるより良かった気がした。
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