6-4


     × × ×     


 五郎さんの本体はベッドに入ったままだった。

 呼吸こそしているものの、生気はまるで感じられない。揺さぶっても起きることはなく、まるで仮死状態だ。

 五郎さん(幼女)によると、彼もまた目が覚めたら今の肉体に入っていたらしい。


「リアルな朝おんにビックリしたぞ」

「そういえば、朝おんだったね」


 朝おんとは朝になったら女の子になっていたの省略形だ。創作の世界ではある種の様式美になっている。


「ただ、オレはいかんせん同居タイプだったからな」

「その女の子の心が保たれているんだよね」

「ああ。だから無茶はできねえし他人になりきるわけにもいかねえ。年上としてこの子を安心させるので手一杯だったな」


 彼は「おかげで何も楽しめてねえよ」と照れくさそうにほっぺを掻く。その仕草だけでめちゃくちゃ可愛らしくて、僕まで照れ笑いしてしまう。

 ちなみに同居タイプとは憑依モノにおける類型の一つだ。

 先ほど女の子から五郎さんに切り替わったことからもわかるとおり、一つの肉体の中に二つの心が入っている状態である。さらにお互いを排斥せずに共存していると「同居」になる。ルームシェアの肉体版みたいな感じだ。

 マンガだと『敏腕ハーディ』が有名なのかな。


 他人の肉体に入り込む本ジャンルにおいて、本来の持ち主の心は排斥されることも多い。女性が自分の肉体の主導権を奪われてしまえばエロ展開に持っていきやすいからだ。対して同居タイプは友好的な内容がほとんどである。

 五郎さんは「この子のために小学校で授業も受けてきたんだぞ」と胸を張った。

 それについては女子小学生を楽しみたかっただけだろう。さながら『女子小学生になっちゃいました』の世界だ。あれは憑依先の女の子の心が行方不明だけど。


「変なの。女子小学生なのに源五郎丸くんだなんて」

「オレからしてみれば小山内なのに鳥谷部なのも変な感じだぞ」

「私は大丈夫だけど、その子は苦しんでないの?」


 鳥谷部さんの問いかけに、五郎さんはしばし目を閉じる。


「……オレとお話できて楽しいんだとさ。ちなみにその子じゃなくて上本胡桃(うえもとくるみ)ちゃんだから覚えてやってくれよ」


 どうやら、もう一人の心と会話できるらしい。

 それにしても五郎さんったらまるでお兄ちゃんみたいだ。リアルに妹がいるらしいから、扱いには慣れているのかもしれない。


 一通りの状況説明を受けたところで、今後について同志と話し合うことにする。

 まずは、どうすればお互いに元に戻ることができるのか。

 五郎さんは自分よりも先に僕たちの方法について考えてくれた。


「……キスだな」


 それも僕なりに考えないようにしていた『荒療治』である。

 五郎さんに他意はないのかもしれないけど、鳥谷部さんの「おおっ」なる喰いつき方からして反対しないとマズいことになりそうだ。


「待って。少女マンガではお約束だけど、自分とはキスしたくないよ」

「少年マンガでも『矢野くんと七人の処女』でやってただろ。やっぱりキスは大切なんだよ。小説でもアニメでもキスさえすれば結末を迎えられるんだからな」

「そりゃそうでも、こんなことで鳥谷部さんのファーストキスをなくしてしまうわけにはいかないよ。だから、できれば他の方法を出してほしい」


 特に根拠もなくファーストキスだと言ってしまったけど、仮にそうでなかったとしても同じことである。女の子にとっては大切なことだ。

 当の彼女は「キスくらい何度でもする」と前向きだったものの、それは彼女が性欲に囚われているからであって本心ではないだろう。肉体のねじれこそあれ、正気であればまさか小山内一二三とキスしてもいいなんて思うまい。

 それにしてもキス、口づけか……つい、僕は内心でその様子を想像してしまう。

 なぜか身体の内側から火照りのようなものが沸いてきた。彼女の肉体が妄想に怒っている?


 一人で変な気分になっていると、五郎さんがこっそりと話しかけてきた。


「おい……お前はなんでキスがイヤなんだ?」

「え、いや、だから自分とは」

「ぶっちゃけ、入れ替わってから少しは進んでるんだろ?」

「へ?」

「ごまかすんじゃねえよ。男女が入れ替わることで恋が育まれる。かの『転校生』以来の常道じゃねえか」


 五郎さんは可愛らしい声で耳打ちしてくる。内容とのギャップがすごい。

 うーん。彼がたまに親指を立てていたりしたのは知っているけど……別に僕は鳥谷部さんと恋仲になりたいわけではないからなあ。下手すると惚れてしまいかねない子ではあるものの、まだ惚れていない。

 ましてや「男」である今の彼女と恋仲になんてなりたくない。

 心のチンコは折れてしまっても、受け入れる器を用意するつもりはないのである。これが他人の話なら器ができるのを楽しみにするんだけどね。


「それより、五郎さんは元に戻る方法を考えてるの?」

「オレか。オレなら一生このままでもいい……とTSFファンらしく言いたいところだが、この子のこともあるし、いかんせん朝から何も食べてねえからな」


 彼はベッドで眠っている大男のお腹をさすった。

 当然ながら「心」がない以上は起きたりせず……そうか。このままにしておくと本体が栄養不足で死んでしまうかもしれないのか。

 いくらなんでも飲まず食わずでは持たない。

 急に状況がシビアになってきたけど、当の彼には余裕があるみたいだった。


「大丈夫だ。オレなら7日は死なねえ」


 彼は「母ちゃんが勘違いして火葬場に持っていかないかぎりは平気だ」と笑ってみせる。それは本気で注意しないといけない。

 いずれにせよ、お互いに今のままでは危険なのはよくわかった。

 もう一人の「同志」は大丈夫だろうか。五郎さんと合流できたから彼とも会いたい。


「伏原くんはどうなってるのかな」

「おう。あいつなら、ははは。なかなか可哀想な目にあってるみたいだぞ。今オレのスマホに変な件名のメールが来てたからな」


 五郎さんはスマホから充電プラグを抜いた。

 上本胡桃として小学校に行っていたので、今までスマホに触れなかったらしい。

 彼のスマホには伏原くんから2通のメールが届いていた。なぜか僕のスマホには1通も届いていなかった。



     × × ×     



 伏原くんのマンションは田辺にあるらしい。

 京田辺ではなく市内の田辺だ。天下の西区民としては何のイメージも沸かない土地だけど、目で見るかぎりでは治安の良さそうなところだった。近くに大きな公園があるのは素直に羨ましい。

 伏原くんにそっくりなお母さんに通されて、彼の部屋までやってくると――年下の同志はなぜか布団にくるまっていた。


「……お母さん。なんで入れちゃったのさ」


 彼は布団から出てこぬまま、僕たちを迎え入れたお母さんに文句をぶつける。

 対してお母さんは「明佳のお見舞いに来てくれたんだから無下にできないわよお」と和やかな笑みを浮かべていた。

 なおかつ、リビングから座布団を3つ持ってきてくださる。

 さらに冷たい麦茶まで入れていただき……伏原くんの部屋は本人の発言に反して完全に歓迎ムードとなった。ここまでくると当の来客ながら彼が可哀想になってくるほどだ。……ところでお母さん、その強引さと手際の良さは伏原家の伝統なんでしょうか。


「ではでは、みなさんごゆっくりー」


 彼女が「ご飯作ってくるわねえ」と言い残して姿を消すと、部屋は途端に静かになった。

 髪をかき分けながら見渡せば、狭い室内に本棚が並んでいる。今まで彼に貸してもらってきた作品がいくつも収められていた。あの本たちはここからやってきたのだ。


「気になる。やっぱり女の子になってるの?」

「……いくらセンパイでもお答えできません」


 唐突な鳥谷部さんの問いかけに、伏原くんは布団の中で返答する。

 彼女のことを「センパイ」と呼んだということは、五郎さんは伏原くんにまだ入れ替わりの件を伝えていないんだろうか。

 隣の座布団で胡坐をかいている幼女に目配せしてみると、彼は天使のようなウインクを返してくれた。その笑みにより僕たちはそれぞれのふりを強いられる。さすが心の同志だ。わかっている。


 えーと。鳥谷部さんの真似となると、とりあえず体言止めを多用すればいいのかな。

 あとは声のトーンを落とせばいいはずだ。


「明佳くん。布団の中から出てきて。お話しよう」

「……なるほど。そっちがセンパイでしたか」

「バカ。私。小山内くんじゃない」

「やっぱりセンパイですね。ふふ。すぐにわかっちゃいますよ」


 伏原くんは布団からひょっこり顔を出して、「センパイはウソをつく時に目が右寄りになるんです」と得意気に笑ってみせる。こんな暑い日に布団にくるまっているものだから、モサモサの毛が汗だくになっていた。

 それにしてもあっさりバレてしまった。というか、自分にそんな癖があったとは……だから彼女から「嘘つき」と言われることが多かったのか。

 今後は治していかないと――いや。今はそれよりも気になることがある。


「センパイたちは良いですね。女の子になれたわけですから」


 羨ましいです。そう呟いた彼の目元には化粧の痕があった。ピエロほどではないにしろ、はっきりとわかるくらいには塗られている。チークの方もいささか汗で流れつつあるものの存在は明らかだった。

 しかしながら、反女装派の伏原くんには化粧をする理由がない。

 仮にコスプレ好きのお兄さんにやられたのなら洗い流せばいいだけの話で、学校を休むほどの理由にはならない。


 では、なぜ伏原くんは化粧をしているのか。

 大和路先生によれば、多くのTS作品において化粧は「女性としての自覚」を持たせるための道具であるらしい。

 大多数の男性には化粧の経験がないので、必然的に特別な作業となるそうだ。

 また美しくなることで自らの容姿に自信を持つことにもつながる。大和路先生は「己を女性として肯定する作業の一つである」としていた。

 その理屈で考えるならば、彼の化粧は心の女性化の証なのかもしれない。しかし、彼の話では女の子にはなっていないようだ。


 もしや。心だけ女性にされたのかな。それはキツい仕打ちだろう。

 大好きなジャンルを節操なく読みあさる中で、TSファンは心と身体の不一致による苦しみを知ることも多い。ただ苦しみとするだけでは色んな方面の人に怒られてしまう気がするけど、というかTSジャンルが「後天的なそれ」を楽しんでいたりするものだから、安易に理解者ぶるのも後ろめたくて、己の口をつぐみたくなる。

 当然、TS好きの中にもそっちの人はいるはずだけどね。結局はそれぞれのスタンスの話になるのだ。

 本棚に『砲塔息子』があるのを見つけて、密かに読み直したくなっていると。


「や、やめてください、トリセンパイ!」

「ごめんなさい。でもグズグズしているから」


 力任せに剥ぎ取られていく布団。

 僕の姿をした鳥谷部さんが伏原くんを表に出そうとしているのだ。何だか犯罪的な絵面だったので止めようかとも思ったけど、今の力では立ち向かえそうにない。

 あれに押し倒されたら抵抗できないかもしれないな。

 なんて、男らしくない心配をしてしまうくらいには、今の彼女は「力」に染まっているように感じられた。かつてガキ大将だったという話が、ニワカに真実味を帯びてくる。自分にも他人にも厳しいというのは、裏を返せば許容できないわけだからなあ。


「うう、センパイのことキライになりますよ」

「いやいや。やったのは僕じゃないからね」

「共犯みたいなもんですよ」


 伏原くんはため息をつく。

 布団の中から出てきた彼は、コスプレをしていた。

 例の『鉱これ』のポトシちゃんだ。

 お兄さんの衣装らしくサイズこそ合っていないもののスカートを折り返すなど、着こなしには工夫が為されている。体型についても元々が貧乳キャラだけあっておっぱいには手が入っていないが、足から肩まで上手いことごまかしていた。

 今の僕が、女性の姿を性の対象に入れていないからかもしれないけど……元の容姿のおかげもあって十分に可愛らしいような気がする。

 五郎さんも目を丸くしていた。

 その一方で鳥谷部さんはサルミアッキを口にしたみたいな顔をしているので、やはり女性の目だからこそ女装の出来を純粋に品評できるのだろうか。別に世の中の女装愛好家だって男性に好かれるためにやっている人ばかりではないわけだし。


「はあ……なんで小生がこんな格好を……」

「あれ、やりたくてやってるんじゃないの?」

「そんなわけないじゃないですか!」


 僕の問いかけに伏原くんはまたもや大きなため息をつく。

 彼の話では、なんでも目が覚めた時には女装がしたくてたまらなくなっていたらしい。

 同時に女装していないと吐き気が収まらない体質にもなっていたそうだ。

 おかげで朝からお兄さんのタンスを荒らしまわることになり、今の格好になってからは恥ずかしさのあまり布団から出られなくなっていたのだとか。お母さんにはカゼを引いたと説明していたらしい。


「センパイは入れ替わり、五郎さんは憑依なのに、小生だけ女装なんて不公平ですよ」


 彼は「まだ変身とかあるじゃないですか!」と悲しみをぶちまける。

 その気持ちはわからないでもない。

 色々と困ったことにはなっているけど、何だかんだで楽しめていたりする僕や五郎さんと比べて、彼の状況はただ恥ずかしいだけだ。女の子に近い見た目になったところで、女の子の柔らかさには触れられない。

 悲しみにくれる少年を抱きしめそうになって、僕は両手を引っ込めた。危ない危ない。こんなこと『吉里吉里人』でもあったっけ。


 それにしても、五郎さんも「作為的」だと言っていたけど、本当にどうして起きた「奇跡」のジャンルがそれぞれ分かれているんだろう。

 朝にNHKのニュースを見たかぎりでは全世界的に起きているわけでもなさそうだし、仮に対象が「同志」だけに限定されているとするなら余計に不可解だ。

 僕はこの件の原因や理由を探れば、元に戻る方法にもつながるような気がした。


「あのさ。五郎さんはどうしてこうなったと思う?」

「その辺の話は、オレたちらしくコレで決めねえか。せっかく3人会えたんだから」


 五郎さんはガラスのコップにアメ玉を1つ入れた。

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