6-3


     × × ×     


 忘れ物カウンターには見知らぬ生徒が立っていた。

 珍しい光景だった。

 というのも、僕はあの二人以外の忘れ物班をほとんど見たことがなかったのだ。

 その生徒は上級生のネクタイを付けていて、とても退屈そうに文庫本を読んでいた。時折あくびをかましている。

 この感じなら、あの二人の行方を訊いても大丈夫そうだ。


「すみません。お訊ねしたいことがあるのですが」

「うおっ、チェカの鳥谷部じゃねえか。なんだよマジメにやってるぞ!」


 彼は読んでいた文庫本をBOXの中に入れた。

 あろうことか、お客さんの忘れ物を読んでいたみたいだ。こんなの鳥谷部さんに見つかったら大変だろうな……って、すぐ後ろにいたんだっけ。


「――足りない。もうちょっと欲しい」


 当の彼女は、後ろからこちらの胸元を覗きこんで品評していた。自分の肉体なのに何を言っているんだこの子。早くなんとかしないと。

 僕は上級生の名札を見てから――吉野さんというらしい――改めて二人の行方について訊ねてみる。


「吉野さん。伏原くんと五郎さんは中にいますか?」

「あいつらなら今日は来てねえよ」


 彼は「つーか、あいつらが休んだからシフトなんだっての」と吐き捨てた。

 あの二人が学校を休んでいる。これまた珍しい。

 そういえば、5組の教室にも五郎さんの姿はなかったような。他のことに気をとられていたから忘れていたけど、部活だけでなく学校まで休んでいるとなると、色々と考えさせられるところもある。


 もしや……伏原くんと二人で学校をサボって遊びに行っているんじゃ。

 いつか共同でマンガを作るとか話していたから、さしずめ近所のネットカフェでネームでも作っているのかもしれない。

 なぜか案内されたのはカップルシート。密着せざるをえない状況下で、五郎さんは伏原くんの幼い体に指を沿わせ始め、伏原くんは当初イヤがりながらも……良かった。この肉体にやおい方面の適性はなかったみたいだ。


 脳裏に浮かんだ短絡的で悲観的な予想から目を逸らし、冗談みたいな妄想に囚われていると、吉野さんから「あいつらに用でもあんのか?」と訊ねられた。


「何なら、伝言してやってもいいぞ」

「伝言ですか」

「ああ。その代わり、お前の持ってるチェカのリストから俺を外してくれ」


 彼は「取引だよ」と笑みを浮かべる。

 妙に協力的だと思ったら、そういうことらしい。

 ここでのチェカのリストとは部内における素行不良生徒の名簿のことだ。詳しいことは知らないけど、噂によると鳥谷部さんの報告を元に作られているらしい。

 以前、中学生ちゃんからリスト入りしないように諭されたことがあった。あれも僕を委員にするための布石だったのかな。


 ともあれ、そんな取引に応じることはない。


「ありがとうございます。でも、大丈夫です」

「ちぇっ、ならどうするつもりなんだよ」

「これから会いに行きますから」


 僕は「失礼します」と吉野さんに会釈してから、鳥谷部さんの手を引いて『むらやま』の外に出る。

 あの部屋に同志がいないなら、こっちから二人の元に出向くしかない。

 それにわざわざ吉野さんに伝言をお願いするまでもなく、僕たちには二人と連絡を取るための近代的な手段がある。


 学校外縁の道路に出たあたりで、僕は鳥谷部さんから僕のスマホを受け取り、まず伏原くんに電話をかけてみると――出ない。

 五郎さんも同じく出てくれなかった。

 いつもならワンコールで出てくれる人なのに。よほどネームに力を注いでいるのか、あるいは本当にカップルシートなのか。

 そんなはずない。

 こうなったら……もうぶっつけで会いに行ってみるしかなさそうだ。

 仮に病欠だったとしてもお見舞いになるから大丈夫。どう転んでも追い出されることはあるまい。ノロウイルスにかかるような人でもない。


「……鳥谷部さん。今から天六までついてきてくれるかな」

「くらしの今昔館にでも行くの?」

「五郎さんのジムがあってね。途中でみたらしでもおごるから」


 先に五郎さんの家を選んだのは、僕が伏原くんの家を知らないからだ。

 彼女は少し考えてから「みたらし」と答えてくれた。

 当然ながら、ポケットの財布からお金を出してもおごることにはならないので、形式的には彼女の財布からお金を出してもらうことになる。


 その様子を想像してみると、ちょっぴりデートみたいで、不覚にもドキドキしてしまいそうだった。これからどうなるのか、まるでわかったもんじゃないのに……彼女の神経はノンキなものだ。



     × × ×     



 茶色の地下鉄で天六に向かう。

 天六とは天神橋筋6丁目の略称だ。天満宮近辺から南北に伸びている「日本最長の商店街」の中間地でもあり、交叉点を含めて非常に賑わうエリアである。路上の人口は市内有数かもしれない。

 五郎さんの家のフィットネスクラブが立地しているのは、その天六駅から北に5分ほど歩いた辺りだった。


「いらっしゃいませ!」


 店内に入って早々に、五郎さんのお母さんが元気よく声をかけてくださる。

 元マラソンランナーだけあって、おばさんは相変わらず引き締まった身体をしていた。トレーニングをやめていないのもあるんだろう。ウチのお母さんと比べてはいけない。

 僕は少し気を引き締めてから、おばさんに訊ねてみる。


「すみません。ごろ……息子さんはいらっしゃいますか?」

「あら! もしかして将のお友達なの?」


 おばさんは目をキラキラさせると、まるで品定めするかのように、こちらの身体を下から上まで眺めていった。

 どうも息子の女友達が会いに来たものと思われているみたいだ。

 しかし、後ろにいた鳥谷部さんが、無言で僕の肩に手を乗せてくると――おばさんは途端にガッカリしたような表情を浮かべた。


「小山内くんの付き添いだったのね……」


 声からも元気が失われている。

 ちょっぴり申し訳ないけど、ともあれ五郎さんのことを訊きたい。


「えーと、そんな感じです。それで息子さんはどちらに?」

「将のバカなら朝からずっとベッドで寝てるわ。何度も起こしているのに起きないもんだから、もう呆れて放ったらかしてるの」


 おばさんは「上にいるから代わりに起こしてくれていいわよ」と入口近くのエレベーターを指差した。

 フィットネスクラブの上に一家の住居があるので、この家の人たちはマンション住まいのような生活をしている。だから家まではエレベーターだ。

 もっとも、五郎さん以外はトレーニングのために併設の階段を使うらしい。

 彼も「たまに同調圧力に負ける」とボヤいていたから、アスリート一家は大変だ。


 僕は迷いなく昇りのボタンを押した。

 今の肉体は体力がないからムリすることはない。


「へえ。室内プール。スパまであるんだ」


 当の彼女はフィットネスクラブの地図を眺めている。

 だんだん今の自分を見慣れてしまいそうで怖いなと感じたり、彼女が『男女別』の文字でムッとしているのに呆れてしまったり――こういう時に「バカで可愛い」なんて感想が出てくると、多くのTSモノでは心の女性化の萌芽だったりするけど、今のところ自分にその兆候はないようだ。


 でも、このままではいつかそう感じてしまう日が来るかもしれないし……やはり元に戻るためにも同志の意見を仰ぎたいところである。

 それには、まず五郎さんを起こさないといけない。

 どうして学校を休むほどに眠っているのか知らないけど。まさか死んでないよね。


「お兄さん。ちょっといい?」


 二人でエレベーターに乗ろうとしたタイミングで、ロビーのベンチに座っていた女の子から話しかけられる。その子はエレベーターに入り込んでくると「お姉さんも」と鳥谷部さんの手をとった。

 あの伏原くんより背が低いあたり、近所の小学生かな。

 今時の子らしく大人しいワンピースでオシャレしている。そのわりに目がクリクリで、子供らしい顔をしているのが酷く不釣り合いに思えた。

 この感じなら赤ちゃん本舗の子供服のほうが似合いそうだ。

 というか……お兄さん?


「良かったね。やっと会えたよ。ずっと心配そうにしていたもんね。うん。わかった。代わってあげる。だから後でしりとりの続きしてね」


 彼女はそう呟くと――さも失神したかのように、こちらに倒れかかってきた。

 僕は慌てて抱きかかえる。子供なので体温が暖かい。

 うーん。まさか小学生の女の子とこんなに密着する日が来るとは思いもよらなかったな。この肉体でなければ通報されていたかもしれない。

 そう考えると、少しだけ得したような気分になってくる。


「……小山内くん、ロリコンはダメだよ」

「いや。幼女だとTSの楽しみが少ないから、できれば中学生以上の方がいいかな」

「中学生もダメだよ」


 鳥谷部さんの問いかけに、僕はついつい条件反射的に自分のスタンスを説いてしまう。

 もちろん、小さい子に子供以上の目を向けたことはない。

 幼女にTSの楽しみが少ないのは、つまるところ「そういうこと」であり、性のギャップを楽しむジャンルなのに未熟な肉体では何もできないのだ。できたとしてもアブノーマルすぎてストライクゾーンに入ってくれない。デッドボールだ。


「――だよな。オレもなるなら中学生以上が良かったよ」


 その声は女の子の小さな口から発せられた。

 彼女は「よいしょ」と立ち上がると、ちょうど3階に着いたばかりのエレベーターをジャンプで降りてみせる。

 途中で転びそうになっていたのは、その肉体にまだ慣れていないからだろうか。あるいは体内の意志がまとまっていないのか。


 どちらにしろ、先ほどの短絡的で悲観的な予想――自分に奇跡が起きたのだから、他の同志にも起きているのではないか――は当たってしまっていた。

 さすがにジャンルまでは予想できなかったけど。


「……五郎さんは憑依だったんだね」

「ああ。お前らは入れ替わりなんだろ。なんだか作為的だよなあ」


 彼女は安心したような笑みを浮かべた。

 そして「お前に会えて良かったよ」とこちらに握手を求めてくる。


「うん。僕も会えて良かった」


 その小さな手は女子の力でもひねりつぶしてしまえそうだった。

 低学年くらいの女の子。これが今の五郎さんなのか。多少は予期していたとはいえ、こうして目の当たりにすると中々に受け入れがたい。だって本来の五郎さんはもっと大柄な男性なんだから。まるでイメージが合わないのだ。


「えっと。その子は源五郎丸くんだけど女の子で、つまり本当は汗くさい……やだ。なんかキモい」


 一方の鳥谷部さんはいまいち状況がわかっていない様子だった。

 なので、僕のほうから「憑依というのはね」と大まかな内容を説明しておく。

 入れ替わるのではなく他人に入り込むジャンル。五郎さんの心はその女の子の中にあって、本来の肉体から抜け出てしまっているのだ。

 では本体はどうなっているのか。それは作品によるとしか言いようがない。

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