6-2


      × × ×     


 今さら言うまでもないことだけど、入れ替わりモノは身近な他人を演じるところに味わいがある。

 あえてTSをよく知らない人のような思考をさせてもらえば、よくよくその人のことを知っておかないと他の人から不審がられてしまうかもしれない。


 この理由付けにより、僕たちは合法的に女性のふりをさせられる。させられるのが肝要なのであって、自らノリノリでやってしまうのはあまり萌えない。後ろめたさのないTSは主菜になれないのである。ただし副菜にはなるからガンガン食べちゃうよ。


 というわけで、僕は高野線に揺られているうちに鳥谷部さんから個人的な情報を聞き出すことにした。

 まずは交遊から。


「鳥谷部さんにはクラスで仲良い人がいるの?」

「平尾だけ。他にはいない」


 なるほどクラスでは孤立ぎみと。女子なのに珍しい気がする。

 まさかイジメられていたりしないよね……いや、そんなタマではないか。いつか五郎さんともまともに接していたわけだし。


「じゃあ、クラスではいつも何をやっているの?」

「いつもどおり」

「本を読んでいるってことでいいのかな……好きな教科は?」

「現代文。あと古典も好き」


 彼女は待ってましたとばかりに答えてくれる。

 古典といえば、江戸時代の『因果物語』に「生きながら女人と成る僧の事」という段があって、タイトルそのまんまにお坊さんの女性化を描いていたりするんだよね。それも子供まで作っちゃうんだから先人のセンスには恐れ入る。

 愚かな女性になったために仏教の知識を忘れた――なんて現代社会にそぐわない描写があるから、高校の授業ではやらないだろうけど。


 ともあれ、鳥谷部さんの日常を教えてもらうことはできた。

 彼女のことだからまともに授業を受けていて、休み時間には本を読んでいて、たまに平尾さんとお話するくらい。


「……鳥谷部さんのふりをするのは楽そうだなあ」


 拍子抜けだ。でも日常なんてのはそんなものかもしれない。むしろリアルな入れ替わりを味わえるのだから稀少だと感じるべきだ。


「私も小山内くんのふりをするのはカンタンな気がする」

「え、どうして?」

「だって、ずっとTSについて語ればいいんでしょ。この本で予習しておくね」


 彼女は大和路先生の『私説TS論』をカバンから取り出した。

 さらに戸棚に隠していたはずの『相対アイドル』まで出してくる。表紙には主人公の男の娘が恥ずかしそうにしている姿があった。


「できれば他の人の話に相槌をつくだけにしてくれるかな」


 僕は彼女から本を取り上げて、こちらのカバンに入れておく。

 この趣向をクラスメイトに知られるわけにはいかない。

 クラスでの小山内一二三はいたって一般的なアニメオタクなのだ。それ以上は社会的に許容されないのである。

 彼女が「わかった」と言うまで7秒ほどかかったものの、わざと言いふらすような人でないのはわかっているので安心できた。

 あるいは信用と言い換えてもいい。

 彼女はマジメで自分にも他人にも厳しい子なのだ。僕が知る中では誰よりも信用のおける人かもしれない。少なくともその時に僕が部活をサボっていなければの話だけど。


「小山内くん。私からも訊いていい?」

「ん? いいよ」

「えーと……小山内くんは知らない人にも話しかけるタイプ?」


 今度は鳥谷部さんから質問攻めにされる。入れ替わりなので彼女にも僕のことを伝えなくちゃならない。

 クラスでの立ち振るまいに始まり、本日付の提出物から立ち小便のやり方まで。ホースを持たないとズボンが死ぬと説明しておいた。

 朝に机の引き出しを見たかどうかも訊かれたので「見ていない」と答えると「ホッ」と息を吐かれた。何かあったのかな。お約束はエッチな本だけど彼女のことだから考えにくい。


 ふと、彼女が持っていた『相対アイドル』のことが思い出される。

 戸棚の奥にはTS本だけでなく外には出せないエッチな本(18禁ではないけどエロい作品)も入れてあったはず。あれを彼女に見られていたとしたら……僕は無性に恥ずかしくなり「小山内くんのエッチ」と妙な悪態をついてしまう。


「エッチ?」


 彼女は目をパチクリさせていた。



     × × ×     



 夕方。学校を後にする。

 登校してから今まで――本当に予想したままに過ぎていった。

 ぶっちゃけ、あの机に座っているのが鳥谷部さんの身体でなくても、誰も気にしなかったのではないだろうか。

 それほど彼女の学校生活は淡白だった。


「昨日の消しゴム返すから。鳥谷部の消しゴムは消しやすくて良いわよね。あたしの消しゴムなんて使い物にもならないのにさ」

「あ、うん」


 楽しみにしていた平尾さんとの会話もこれだけで終わってしまった。


 何より許せないのが、体育の授業がなかったことだ。

 おかげでお約束のイベントを一つこなせなかった。女の子たちの生着替えを合法的に楽しむことができるはずだったのに。さらには準備体操にかこつけて合法的に触れ合うことも可能だったのに。


 あまりにも悔しいので、自分が女性であることを生かして「おっぱい大きいね!」とありがちなスキンシップを取ってみようかと考えたものの、いかんせん鳥谷部さんのキャラに会わなかったのでやめておいた。

 というか、そもそも我ながらビックリするくらいに「女性に触れたい」という情熱が沸いてこないんだよね。いつもなら抱きしめたいところをガマンするところから廊下のすれ違いが始まるほどなのに。


 多分この肉体に入っているのが原因になるんだろうけど……いくらTSモノで予習してきたとはいえ、さすがにここまで女性の見え方が変わってしまうとは予期していなかった。

 恐るべし女性ホルモン。心のおちんちんさえ折ってしまうなんて。

 今の感覚を上手い具合に伝えられたら、とてもリアリティのある作品を作り出せそうな気がする。五郎さんならどんな作品を作ってくれるかな。彼に今の状況を伝えるべきかどうかはさておき。


「お待たせ」


 僕の姿をした鳥谷部さんがレンガ造りの階段を登ってくる。

 僕たちは『文庫本エリア』の中二階で待ち合わせしていた。この『むらやま』の中では人気のないところだし、


「モップとバケツ。ホールで子供がジュースをこぼしていたから」

「はいはい」


 こうしてロッカーから道具を取り出すこともできるからだ。

 どんな状況であろうとも部員の役目を放り出すことを彼女は許してくれない。その辺の性格は入れ替わっても変わるものではないようだ。


 ちなみに『むらやま』が飲食物持ち込み禁止なのは周知のとおりだけど、遠方からのお客さんを中心に平気でお茶を飲んでいる人は多い。河尻さんのポスターを貼るくらいなら、持ち込み禁止のポスターをもっと作るべきじゃないかな。伏原くん以外にはそれを守ってもらおう。


「……小山内くん」

「ん、どうしたの?」

「ちょっとだけ、いい?」


 モップとバケツを立てかけて、彼女はこちらに近づいてくる。

 その目が向けられているのは――カッターシャツ?

 もしかしてシワシワになっているのが気になるのだろうか。彼女にとっては自分の身体なんだからキレイにしておくに越したことはない。


 でも、何だか気恥ずかしいな。まるで今の僕が女性であると刷り込まれるみたいでウズウズしてしまう。この後ろめたさが大切なんだけどさ。

 彼女はこちらのカッターシャツに手を沿えると――


 ――ぽふっ。


 なんて、マンガみたいな音が、こんなささやかなものから起こるはずもなく。


「え……どうして?」


 ただただビックリさせられて、僕にはそう訊ねるしかなくなってしまう。

 だって、彼女が自分の胸に触れたがる理由なんてわからない。


「ごめんなさい。どうしてもガマンできなかった」


 彼女は「自分の身体だから」と呟いてから、両手で顔を覆った。

 耳が赤い。恥ずかしがっているのだ。

 我が身ながら破壊力のあるキモさに引き笑いしそうになるけど、彼女の内心を思えばそんなことできなくなる。


 世間では女性の性欲が注目されることは少ない。

 一説によれば、女性のそれが心理的なものであるのに対して、男性の性欲は本能的なものであるとされている。

 というのも、女性はイヤな相手との行為であっても自分の身体を守るために反応する。

 そこに性欲は介在しない。つまり肉体と心の性がある程度分かれているのだ。


 対して、男性の性欲はおちんちんとホットラインでつながっている。エロい女の子を眺めて心に来るものがあれば、ああなる。

 同時に僕たちはそうした本能を抑える術を持っているわけだけど……小山内一二三になったばかりの彼女には対応できる術がなかったみたいだ。


「大丈夫だよ。気にしないで」


 ひたすら恥ずかしがっている彼女に声をかける。

 すると、彼女は「小山内くんのバカ。ヘンタイ」と返してきた。


「ヘンタイというより男子の習性なんだよ」

「ウソ。小山内くんが女の子になった男の子が好きすぎるからこうなるんだ」


 彼女は今の状況を僕の特殊な性癖のせいだと捉えているようだ。

 肉体にまでTSファンが染みつくものなのかはさておいて……というか、今の入れ替わっている状況って医学的にはどう説明されるんだろう。

 かの名作『ボクたちの初体験』のごとくお互いの脳を移植したわけではないし、お互いに相手の脳神経を使って物事を考えているのならば、人の心はシナプスのつながりというデータでしかないのかな。


 もっとオカルティックな方向からも攻めてみたいところだ。

 なんてことを考えていると、彼女がまたもや右手を近づいてきた。


「だから……もう1回、いい?」

 彼女はなんとも切なそうにしている。


 もう1回。ワンモアタッチ。

 それが何を意味するのか悟った僕は、咄嗟に胸元を隠した。

 すると彼女は「ケチ。私の身体なのに」と恥ずかしさと悔しさの入り混じったような表情を浮かべてくる。


 マズい。そのロジックだと色んなことが許されてしまう。

 下手したらアルファベットをAから辿るはめになる。己の性欲に抗う術を持たない彼女にあんなことやこんなことをされてしまう。


 もちろん僕だって「そっち方面」に興味がないわけではないけど、でも今のままするのは絶対にダメだ。鳥谷部さんの大切なものをこんな形で失わせてしまえば、二度と彼女に顔向けできなくなってしまう。

 何より彼女の苦境を利用して、自分の好奇心を満たそうだなんて良心が許さない。

 己の状況と彼女の苦しみを考えたなら、やるべきことは一つだ。


「……鳥谷部さん。今から元に戻る方法を考えよう」

「今から? その前にモップかけをしないと」

「それより大切なことなんだよ! さあ行くよ!」


 彼女の手をつかんだ。

 向かう先は当然『第2保管室』になる。

 あそこなら、あの二人なら、自分なんかよりも多くの方法を知っているはずだ。同志たちの力添えがあればきっと解決できる。


 彼女はビックリしていたけど、抵抗せずについてきてくれた。図書部の仕事を放棄したのに怒ってこない。


「すごくスベスベしてる。今まで知らなかったかも」


 たぶん手の品評なんだろう。

 お互いのふりをするのはカンタンなのに、お互いのままでいるのは意外にも難しい。五郎さんに伝えたいことがまた一つ出来てしまった。

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