5-1 とのゴト


     × × ×     


 ファンファーレが空から聴こえてくる。

 市中の喧騒に混じりながらも、その高音が校歌の始まりであるとわかるのは、ひとえにウチのラッパ吹きたちが上手いからだ。


 校歌に続いて『航空行進曲』が演奏される。

 あえてロシア空軍の行進曲を採用しているのは、吹奏楽部を教えているのがロシア帰りの先生だからなのかな。全国的に使われている『星条旗を永遠なれ』だって演者がみんなアメリカかぶれというわけではないから、単に曲調が好きなのかもしれないけど。


 ユーリー・ハイトによる勇壮かつキャッチーなメロディに耳を傾けながら、僕は『むらやま』のテラスでマンガを読ませてもらう。

 他の生徒たちはみんなグラウンドに集まっているから、変に隠さなくてもいい。

 今日は球技大会の日なのだ。


「小山内くん。お天気が良いからってサボっちゃダメ」

「サボってないよ。休んでいただけで」


 なのに僕と鳥谷部さんが『むらやま』にいるのは、二人とも今日のシフトに入ることを志願したからである。

 ありがたいことに図書部員は学校行事の欠席が認められているのだ。おかげでクラスのみんなに白い目を向けられずに済む。

 小学校まで少年野球をやらされていたからって今でも上手いとは限らないのに、みんな「セカンドやれ」とか言ってくるんだからね。多少の杵柄はあっても身体が追いつかないよ。


「嘘つき。休むのにマンガはいらないもの」


 姫カットの鳥谷部さんは僕からマンガを取り上げようとする。

 当然ながら僕は両手を挙げて抵抗させてもらう。さすがに文学少女に遅れを取るほど衰えていないつもりだ。


「見せて」

「見せるもんじゃないよ」

「見せて」


 必死に手を伸ばしてくる、鳥谷部さん。届かないとわかると小刻みにジャンプまで始めた。

 ちなみに彼女が大会を休んだのは「めんどうくさいから」とのことだった。僕が思うに本音は「むらやまにいたいから」だろう。彼女は無類の本好きなのだ。だからこそ僕からマンガを奪おうとしている。


 それにしても……柄にもなくぴょんぴょんと飛び跳ねる彼女の姿を見ていると、何やら乾いた心が癒されてくるような。(もう夏服なのに)胸は揺れていないけど、姫カットは揺れているのでシャンプーの匂いが漂ってくる。


「……これが小山内くんの好きなマンガなのね」

「あっ!」


 彼女の全てに気を取られていたせいで、マンガを取られてしまった。

 これだから女の子は怖い。もし僕が惚れてしまったら、鳥谷部さんにも責任の一端があると主張しておかないと。


 鳥谷部さんは僕から遠ざかり、マンガに目を移していた。

 あれは『思春期ビタ一文チェンジ』という作品だ。元々アマチュア作品だったけど、出版社のオファーを受けて、今はWEBマンガ誌の連載作品になっている。

 ジャンルは入れ替わりモノ。小学生から大学生になるまで男女が入れ替わったままなので独特の味わいがある。二人はお互いの存在もあって「自分は男」「自分は女」というこだわりを抱いたまま成長しており、TS本来の旨みがさほど消えていないのも特長だ。


「少女マンガみたい。お話が」

「女性作者っぽいところはあるよね」

「女の人にもこういうのが好きな人はいるの?」

「一応いるみたいだよ」


 彼女の問いかけに、僕は某ピエロの格好をした大学生を念頭に答えてみる。

 あの人もそうだったし、あとは『傾城太平記』の中村ワダ子さんもネット上では「病気」とされているらしい。


 ただ、そんな彼女たちの「好き」と、伏原くんや五郎さんの「好き」が、全く同じものであるとは考えづらい。これは度合の話ではなく分類の話だ。

 敬愛する大和路先生の本を読み直してみると、先生も「TS好みは性的な好きとその他の好きに大別される」としていた。また「そこに優劣はない」とも述べている。しかし大別はされるのだ。


 成人向けのTS作品が存在する以上は性的に好む人たちがいるはずであって、では、はたして女性ファンの「好き」が性的なものなのか。きっとこれもまた一人一人のスタンスによるのだろう。


「このマンガ好き。お父さんに揃えてもらいたいくらい」


 少なくとも鳥谷部さんの「好き」がどちらなのかは僕にもわかる。


「いくらでも貸してあげるよ。それは僕の本だから」

「本当に。ありがとう」


 彼女は可憐な笑みを向けてきた。

 まだ読んでいる途中だったけど、こうやって喜んでもらえるなら僕としても嬉しい。そのマンガはフェチ的なところが少ないからドン引きもされないはずだし。


 いつのまにか、グラウンドのラッパの音が消えていた。

 これから始まるのは偉い人の訓示だ。グラウンドで立ち話を聞かされる生徒たちと比べて、テラスでのんびりできる僕たちの充実ぶりたるや。その代わりいつもより人数がいないから、他の班の手伝いもしないといけないけど。


「そういえば、あとで五郎さんを手伝うように言われていたんだった」

「小山内くん。もうサボっちゃダメだから」

「ここの掃除が終わったらの話だよ。……というか、鳥谷部さん、マンガを片手にそんなことよく言えるね」

「これはあなたのマンガでしょ」

「へえ。何ならあっちで本の整理をしている子に、鳥谷部さんがマンガを読んでるって告げ口してもいいんだからね。あの子はどんな反応をするかな」


 僕の軽口に、鳥谷部さんはただ一言「没収」と答えた。

 どうしよう。からかいついでにチェカの異名を持つ彼女に告げ口のいやらしさを伝えるつもりだったのに、これでは大切なマンガが返ってこない。

 仕方がない。今日も『伝家の宝刀』を抜くとしよう。


「あのさ、また当番を代わるから」

「もうそれはいい。それより小山内くんはこのマンガの中では誰が好き?」

「え、そうだね。えーと」


 まだ1巻の半分しか読んでいない身としては、絶妙に答えがたい問いが返ってきた。実のところWEB版も五郎さんに教えてもらったばかりなので全て読めていない。なにぶん多くの作品を手に入れているために消化が追いついていないのだ。

 そんな中で自分の推しキャラを決めるとするなら、やはり女の子になってしまった男の子であるところの太夫(たゆう)くんになる。


「太夫くんかな。ああ心の方ね」

「そうなんだ。私も小学校に入るまでは男の子みたいだったらしいよ」


 彼女はなぜか幼少期の武勇伝を語りだした。まるで四十路のおじさんたちが昔のケンカ話をするかのように、近所でボスをやっていたとか言ってしまっている。

 ぶっちゃけ、今の彼女の芯の強さを考えれば、そんな過去もあって然るべしであって……少なくともギャップで萌えたりすることはなかった。



     × × ×     



 テラスのゴミ拾いを終えて、僕は五郎さんの手伝いに向かわせてもらう。

 五郎さんは忘れ物カウンターの清掃をしていた。

 彼の話によると、忘れ物の回収ボックスを本の回収用だと勘違いしているお客さんがいるそうで、加えてゴミ箱の代わりにしやがる奴もいるものだから、それらの分別をするのに毎度骨が折れるらしい。

 ちなみに幸いにして生ゴミを入れる奴はいないのだとか。


「ここは飲食物の持ち込みが禁じられているからな」

「伏原くんはよく食べ物を持ってきてるけどね」

「あいつはこの中に捨てたりしないだろ」


 五郎さんは空っぽのボックス内をぞうきんで拭いていた。

 生ゴミがなくても内部が汚れることはしばしばであり、そんな汚れが間違えて入れられた本や忘れ物に付着するのは避けるべき……僕はそんな彼の思いやりに胸を打たれつつも、相変わらず筋肉たっぷりの二の腕に注目させられる。

 これほどの筋肉がありながら球技大会に出場しないのは何故なのか。どんな競技でも大活躍できるだろうに。


「五郎さんは大会に出たくなかったの?」

「オレか? オレなら出ても仕方ないというか……あんまり運動が好きじゃねえんだよ」

「そんなにムキムキなのに」

「これはオレの家の持病みたいなもんだ。小山内もオレの家は知ってるだろ」


 五郎さんは忘れ物の入ったトレイをカウンターに載せた。

 彼の家には祝勝会で行ったことがある。4階建ての1階・2階部分がフィットネスクラブになっていてビックリさせられた。それもプール付の本格的な施設なのである。遊びに行ったつもりが入会させられるんじゃないかとヒヤヒヤしたものだ。


「あれって五郎さんたちも使ってるんだね」

「むしろオヤジのトレーニング用品から始まってるからな。オレの家はみんなスポーツをやってるからよ」

「お父さんってトップリーグのコーチだったっけ」

「ああ。今でも現役並みの身体だぞ。ちなみに母ちゃんは元マラソンランナーで、妹は女子サッカーと合気道をやってる」


 五郎さんは嬉しそうに家族のことを話してくれる。

 その一方で「だから付き合わされてこんな肉体なんだよ」とも。


「ということは五郎さんはスポーツやってないんだ」

「いや。中学まで水泳とラグビーをやってたぞ。オヤジはまんべんなくやらせるからな」

「そりゃそんな身体になるよ」


 なお、今でも父や母との早朝ランニングは欠かしていないそうで、トレーニングにも付き合うのだとか。

 生まれた家によってここまで変わるものなんだなと思いつつ、ふと僕はこの場に伏原くんがいないことに気づいた。


「あれ、伏原くんは?」

「伏原ならテニス大会に出てるぞ」

「そうなんだ」


 意外にも伏原くんは当番を志願していなかったようだ。

 いや、別にここにいるのが当たり前ではないし、向こうにもクラスや友人といった「同志」以外の関係があるのだろうけど、僕は「同志」のあの子しか知らないからね。

 クラスでの伏原くん……変に浮いてたりしないかな。どこでも平気でTSの話をしてしまう子だから少し心配になってくる。オカマとか陰口を叩かれていないといいけど。

 まあ、女の子にはモテるらしいから気にしなくていいか。


「小山内、これ持ってくれるか」

「わかった」


 僕は五郎さんからゴミ袋を一つあずかる。回収ボックスから分別されたゴミを捨てるついでに、古い忘れ物の一部を処分するつもりのようだ。

 一応規定では半年経っても取りに来ない物は捨てていいことになっているそうだけど、さすがに財布やカメラなどは捨てづらいらしい。


 二人がかりでゴミ袋を外のゴミ捨て場まで運んでいく。

 近くのテニスコートでは、女子部門の選手たちがクラス対抗戦を行っていた。その中には同僚の平尾さんの姿もある。


「テニスといえば『まぐろ』の寺井きゅんもテニスやってたな」

「五郎さんにきゅんと言われると威力がすごいね」

「いわゆる男の娘なんだからきゅんでいいだろ。あと五郎はやめろ」


 五郎さんは思い出したかのようにゴミ袋をぶつけてくる。


 話に出てきた寺井とはライトノベル『またもや俺の学園ラブコメはぐちゃぐちゃになってしまうんだろ?』のヒロインのことだ。

 この小説は昨今の流行に従いタイトルが長いので『まぐろ』『俺ぐちゃ』と略されて語られることが多い。二度にわたってアニメ化されるほどの人気作でもあり、その中でも寺井はメインヒロイン2人に次ぐ人気キャラだ。


『綱成(つなしげ)。いつでも僕を頼ってね』


 いつも学校指定のジャージを着ている上に、見た目は完全に美少女という性別不明ぶり。あまりの可愛らしさに主人公・綱成からも心の中で幾度となく求婚されている。何よりきちんと自分を男だとしているのが小山内的にポイント高い。

 おちんちんが付いている女の子ではなく、やたらと可愛らしい男の子の方が萌えるのだ。加えて自らの姿に引け目を感じているなら、もっと萌えられる。


「寺井くんもそうだけど『ハカポス』の藤吉郎も可愛いよね」

「あとは『彼が白旗を折られたら』の摺子山きゅんな!」

「『俺は友達がいない』の勝永くんは非該当なんだっけ?」

「あれはまあ……リアルにはいないだろってことなんだろうよ」


 五郎さんは「やっぱ二次元だからこそだよな」と苦笑いした。

 かつては三次元女装も許容していた彼だが、ある少年に『王女と王女』のテレビドラマ版を見せられてから否定派に転向したらしい。

 僕としては労働改造所のようなやり方に恐怖を禁じえない。いつから「同志」はガチになってしまったんだ。


 それはさておき、こうして考えてみると近年のライトノベルには性別不明キャラが多いような気がする。

 会話に出てきた『ハカポス』『彼が白旗を折られたら』はどちらもアニメ化されるほどの人気作であり、これは非TSファンにもTS的なものが受け入れられつつあるという証左ではないだろうか?


 あるいはライトノベルを作っている人たちの中での流行なのかもしれない。キャラクターに特化せざるをえないジャンルだから、突飛なものを作ろうとするとつい性別を超えてしまうのかも……だったら主人公が女の子になっちゃうタイプも流行しないかな。


 ヘヴィでニッチだから売れないというのはアニメDVDの話であって、小説には当てはまらないはずだ。そもそもライトノベル自体が「一般文芸とは違う」「あなたたち向け」という立派なニッチ狙いなんだから。

 いや、「あなたとは違う」という文化に呑まれた僕たち向けなのかな。

 となると、やはりその文化内でTSを流行らせればパンデミックが起きるのでは……起きたところで何だという話ではある。


「やっぱ、リアルにはいねえんだよな」


 五郎さんから話しかけられる。

 彼はずっと男の娘のことを考えていたみたいだ。ゴミ袋をゴミ捨て場に下ろして、深いため息をついていた。

 僕としては「仮になるなら女の子がいい」ので三次元に男の娘がいなくてもかまわない立場である。だって自分であれ他人であれ、女体の柔らかさを楽しめないし、せいぜい周りから女性扱いされるくらいの旨みしかない。


「五郎さんは男の娘になりたいの?」

「バカ言うな。前にも言っただろ。なれるかもしれない可能性の話なんだよ」


 彼はまたもや深いため息をつく。

 なれるかもしれない……たしかにその巨躯では男の娘にはなれないだろうな。

 ここで僕はようやく悟った。

 きっと、この人は自分の姿が好きではないのだ。それは僕もまた同じだからわかる。

 自らの姿にコンプレックスを抱いているからこそ美しくなりたいと希ってしまう。これはいたって当たり前な思考のはずだ。


 では……伏原くんはどうなのだろう。彼もまた己の容姿にコンプレックスを抱いていたりするのだろうか。


「せめて伏原くらいになれたらな。オレにも希望があるのによ」


 五郎さんはテニスコートに目を向ける。

 そこで催されているのは女子の大会であって、あの子がいるはずはないのだけど、五郎さんにとっては大差ないのかもしれない。

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