4-2
× × ×
仕事を終えて『第2保管室』までやってくる。
別に同志の集いに参加するためではない。昨日借りた本を返すためだ。小松左京の小説なので休み時間に読んでいても怪しまれなかった。むしろ「難しい本を読んでるな!」と友人から褒められたくらいだ。
好色な女性になってしまった主人公が、己の性欲と戦いながら、ヤクザの手元にある己のイチモツを追いかける……というナンセンスな内容なのに、文豪の作品というだけで文学少年みたいな扱いを受けるのは、むしろ正当な評価を妨げているような気もする。
「こんにちはセンパイ。もう読まれたんですか?」
「うん。とてもエロかったよ」
「ですよね!」
わざわざ面と向かって返すまでもなく、回収ボックスに入れておいてもよかったのだけど、あれは伏原くんが当番だからこそ後から回収できるわけで、別の人だったら『むらやま』の本と混ぜられてしまうかもしれない。
なんて、心の中で理由を付けて――今日もここに来てしまった。
「さっそくお茶入れますね」
トコトコと歩いて、ケトルに向かう伏原くん。
机にはパウンドケーキと紅茶が広げられていた。
「おやつにしては粋だね」
「センパイの分もありますよ」
彼はティーバックの入ったコップにお湯を入れて、上にソーサーをかぶせる。
ああすることで紅茶が美味しくなるらしい。
「ありがとう。お代はいくら?」
「手作りなのでタダです。どうぞ」
コトリと机に据えられるコップ。箱から取り分けられる伏原印のケーキ。
あまりに至れり尽くせりすぎて申し訳ないような。
ぶっちゃけ伏原の奴、お前の気を引くのに必死だから、もうちょい何とかしてやれよ。
そんな五郎さんの台詞が脳裏に浮かんできたのは、机の対面で伏原くんがニコニコしているからだろうか。ぶっちゃけ食べづらい。
「……ハッ、いや小生の手作りではないですからね」
「そうなの?」
「お兄ちゃんが作ってくれたんです。友達ができた記念にと」
伏原くんはわざわざスマホで写真を見せてくれる。例によって『鉱これ』の足尾ちゃんのコスプレをしたお兄さんがボウルをまぜまぜしていた。
相変わらずの男らしさに、僕はまたもや吐きそうになる。
「おえっ」
「ああっ。すみません。よければお茶で気分を変えてください」
彼から言われたとおり紅茶に口をつけてみた。たしかに普段飲んでいるものより味わい深い気がする。ミルクが欲しいけどさすがに冷蔵庫まではないからなあ。
パウンドケーキにも舌鼓を打たせてもらったところで、僕は先ほど出会ったピエロについて訊いてみることにした。
「そうそう。ピエロさんって知ってるかな?」
「ピエロですか?」
「さっき会ったんだよね。伏原くんの知り合いで「心の同志」らしいね」
「小生にピエロの知り合いはいないですよ……?」
伏原くんは困惑している。心中で対応を決めかねている感じだ。
おかしいな。あの人はモロにピエロだったのに。もらった名刺には「仲田」とあるので、こっちを出したほうが早いかもしれない。
「仲田さんならわかる?」
「ああ。仲田さんのことですか。なるほどピエロ。たしかにそうかも」
彼は合点がいったらしくポンと手を合わせる。
そして「センパイって人の名前を覚えるの苦手ですよね!」と含み笑いを浮かべてきた。
ムカつくけど、彼のことも変な名前で覚えていたので言い返せない。
「……それでどういう人なのかな」
「あの人ならウチの古参ですよ。というか「同志」の創設者なんです」
「えっ。伏原くんが作ったんじゃないの?」
「とんでもない。小生は弟子みたいなものです。初めに仲田さんありき。仲田さんはTSFと共にあり、ただし仲田さんはTSFではないのです――」
伏原くんは諳(そら)んじるように語り出す。
2年前。中等部に入ったばかりの初々しい少年に、仲田さんは「楽しいよ」「気分が良くなるよ」とTSモノを与えてきた。すでにWEB小説で目覚めていた少年に抗う術はなく、彼の心は染まっていった。
二人とも忘れ物班だったので、おのずと交流は『第2保管室』で行われた。
その年の暮れには仲田さんが卒業してしまったものの、それからも伏原くんは当地でTSの研究(主にマンガを読んでムフムフする)を続けていたらしい。
冬にはストーブを持ってきて、一人寂しくお茶を飲んでいたのだとか。
たまに同じ班の上級生がやってきても年下なので相手にはされず。ましてやTS好きなんてまともな方法では探せるはずもなく。ずっと一人ぼっち。
「だから、こうしてセンパイといられるのはすごく幸せなんです」
彼は照れを隠すかのようにパウンドケーキを口にした。
話を聞くかぎりでは『ずっと寂しい思いをしていた可哀想な少年』みたいだけど、残念ながら僕の目は節穴ではない。
「……伏原くん、なんか僕の同情を誘うようなエピソードを選んでない?」
「バレました?」
やっぱりそうだった。
この子については本当に油断ならないので、初めから受け入れられなかったのである。
女子からモテるんだから一人ぼっちなんて絶対にありえないし。
そもそも仲田さんの話から同志の過去話にズレてしまっているじゃないか。
「それで肝心の仲田さんはどんな人なんだい」
「ただの大学生ですよ。小説家を目指しているみたいですけど、なぜかバンドもやっていたりします。ピエロなのはそのせいですね」
「へえ。やっぱりステージの後ろで手を叩いている役だったり?」
「ボーカルらしいです。マイクは手放せないとかで。それ以外はセンパイに似ていて、冴えない人です」
とても失礼なことを言ってのけてから、彼は自分の口に手を当てた。
あるある。言ってから後悔しちゃうんだよね。僕もついつい調子に乗って『線の端』の話をクラスメートにしたことがある。
あんなヘヴィなマンガを紹介するなんて我ながらドン引きだ。TSモノとしては手術モノながら正統派なんだけどね。
「――明佳。その冴えないボクが遊びに来てやったよ」
ピエロがいた。
ピエロがいつのまにか僕の後ろに立っていた。
「……ごめんなさい。仲田センパイ、今のはジョークなんです」
「ジョークだあ?」
「ここにパウンドケーキと紅茶があります。それで許してください」
「だったら許す! ただし40秒で支度しな!」
ピエロさんにそう言われて、伏原くんは「ひいっ」と慌ててケトルのところに向かう。
ところが、沸騰させようにも水が足りなかったみたいで、かといって洗面所の水を入れるわけにもいかず――いつもはミネラルウォーターを持参しているらしい――もうどうしたらいいのかわからないくらいに混乱してしまっていた。
「ええと、あれがあれで、これがこれで、ああああ……」
やたらとアワアワしている伏原くんの姿に、何やら胸のつっかえが取れたような気がしてしまうのは、きっといつも彼にやり込められているからだろうな。
同じくらいお世話にもなっているけど、相殺できるわけではない。
相殺できないからこそ仕返しもしたくなるし、お返しもしたくなる。
「伏原くん。さっき買ったばかりの六甲水をあげるよ」
「ホントですか、ありがとうございますセンパイ! ああ、でも40秒じゃ抽出が足りないから芳しい紅茶にならない! というか沸騰だけでも間に合わない!」
この子がそこまで気を遣うとなると、仲田さんってよほど怖い人なのかな。さっきは普通の人みたいだったけど。
当のピエロさんはどういうわけか、僕の右隣にパイプ椅子を広げていた。
「やあ。しばらくぶりだね。あの件はもう考えてくれたかい、同志?」
あの件とはすなわち皮モノのアイデアのことだろう。
もちろんまだ考えられていないので、僕は次のように提案してみた。
「せっかくだから伏原くんと三人で考えてみませんか?」
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