3-3


     × × ×     


 夕方の中央ホールは人影がまばらだった。

 ホールの中心には『むらやま』の総合受付があり、常に運営委員の腕章を付けた女の子が笑みをふりまいている。

 もちろん大人の司書さんも座っているけど、こちらはあまり存在感がない。


 当地に向かおうとしていた鳥谷部さんに「少しだけ話を聞いてほしい」とお願いしてみたところ、「カップラーメンができるくらいなら」と答えてくれた。

 となると、3分から5分くらい。

 たったそれだけの持ち時間で彼女に「心の同志」を認めさせないといけない。でなければ受付の女の子に密告されてしまう。

 また人気のないエリアに行くだけの時間的余裕もないので、ほとんど誰もいないとはいえ公衆の面前でTSを語ることになる。

 かなりの苦境ではあるものの――男として引くわけにはいかない。


 さっそく僕の方から語りかけようと前に出る。

 ところが、それよりも先に五郎さんが口をひらいた。


「おい。どうしてお前はそんなに狭量なんだよ。別に仕事じゃねえんだから、部活の傍らで他のことをしててもいいじゃねえか」

「それで部活が疎かになったら、どうするの」

「お前だって掃除しながら本を読んでるだろ」

「あれは小山内くんの仕事が遅いから」


 なぜか流れ弾が僕のところに飛んでくる。

 それにしても二人とも話し慣れてる感じだな。……そうか。二人とも5組なんだ。僕のあずかり知らぬところで話すこともあるんだろうな。ちなみに僕は別のクラスだ。

 何ともいえない気分になっていると、伏原くんがちょんと肘打ちしてきた。


「……センパイ。男の嫉妬は見苦しいですよ」

「あとで理科室の戸棚に突っ込んでくるから平気だよ」

「ふふっ。『ほぼ以上必然以下』ですね。あれは名作です」

「そもそも伏原くんに貸してもらったマンガだからね」


 あの作品は20年前の少女マンガながら珠玉のTSモノだった。

 主人公は女の子になってしまった元友人にドキドキさせられるものの、他に好きな子がいたりして、けれども元友人にも心惹かれて……コミカルながらドラマチックな作品だ。


 なんて伏原くんとコソコソ話しているうちに、五郎さんはあっさりと言い負かされてしまっていた。

 決して饒舌ではない鳥谷部さんだけど、やはり女性に口先で勝つのは難しいみたいだ。


「くそったれ。いっそ忘れ物カウンターに閉じ込めておくべきだったな」

「それはダメですよ。紳士的ではありませんし」

「性別を超えるのがオレたちだろう」

「女性の弱さを誰よりも知っているのが小生たちです」


 次に出ていったのは伏原くんだった。

 わりと口の上手い彼ならば言い含められるかもしれない……と、僕は密かに期待を寄せていたのだけど。


「あの。トリセンパイ。今回は小生に免じて見逃していただけませんか?」

「免じるって、どういうことなの」

「ええと、そのですね。……今日もお美しいです。まるで解語の花です」

「ありがとう。でもダメなものはダメ」

「ふええ」


 どういうわけか、伏原くんはガチガチになってしまっていた。

 それも鳥谷部さんの女子オーラに当てられてなのか、耳まで真っ赤になっている始末。

 年上の女子に人気があるらしいから、てっきり扱いも上手いものと思っていたのに、いったいどうしたんだろう。


 何となく五郎さんに目を向けると、彼がこっそり近づいてきて、


「……あいつ、あんまり女に免疫ないんだよ」

「え、そうだったの?」

「それが初々しくてモテるみたいだけどな」

「なるほど」


 そういうカラクリだったのか。

 ちなみに女体にも免疫がないそうで、何らかのタイミングで女子の先輩から抱きしめられていた時には茹で上がりそうになっていたらしい。なんだよそのタイミング。僕にはまるで来ないぞ。


 そんなわけで伏原くんもあっさりと敗れ去った。

 あとに残ったのは僕だけだ。


「小山内くん。もうカップヌードルならできてる」

「今日はどん兵衛の気分だから」

「そば?」

「うどん!」


 どうにか持ち時間を引き延ばしてみる。

 しかし――鳥谷部さんを止めるためには、何の話をするべきなのやら。

 TSについては伏原くんから説明を受けているみたいだし、そこは僕の口から説明せずに済んでよかったけど……そもそも彼女が気に入らないのは「図書部で活動していること」なんだろうな。


 彼女は先ほど、同志たちについて「忘れ物カウンターの業務とは縁のないことだもの」と語っていた。

 また「どうしてもやりたいなら同好会でも作るべき」とも。

 どちらも怖いくらい正しいので、僕たちとしては釈明のしようがない。


「――いや、いっそ辞めてもいいかもしれないな」

「何を辞めるというの?」

「だって、同好会に入れば『図書部』で働く必要はないわけだからさ」


 これは我ながらナイスアイデアだった。

 なにせ今まで散々に文句をもらしてきた部活から出ていくことができるのだ。

 土日さえもこき使ってくるようなところに愛着なんて……ないこともないけど、自由を甘受できる喜びには到底かなわない。


 しかし、この件については意外な方向から反対意見が飛んできた。


「センパイ、小生は図書部を抜けるつもりないですよ」

「え、どうして?」

「……いろいろあったりするんです」


 伏原くんはチラリとホールの中央に目をやってから、こちらに視線を戻して、


「――それにTSF同好会なんて認められるはずありませんよ。お世辞にも健全な趣味ではありませんからね」

「そこは『現代文化研究会』みたいにしてごまかせばいいんじゃねえか?」

「……八戸(はちのへ)ちゃんは女装抜きにしてもカワユイですよ、でもここはひとつダメってことにしていただけませんか」


 彼は五郎さんにお祈りのようなポーズをみせる。

 これには五郎さんも目を丸くしていた。

 うーん。伏原くんにはよほどの事情でもあるのかな。ちなみに八戸ちゃんは『げんしたいけん』というマンガに出てくる女装キャラのことだ。


 ともあれ、同好会を作るのがダメになってしまうと本格的に抵抗手段がなくなってしまう。

 本来なら鳥谷部さんに「同志」を認めてもらうのがいちばんなんだけど……やっぱり女子だからわかってもらえないだろうな。


 当の彼女は人知れずガッツポーズをしていた。

 それを僕に見られていたと気づいてか、おもむろに話しかけてくる。


「小山内くん。『げんだいぶんかけんきゅうかい』って?」

「あるマンガに出てくる同好かいのことだよ。中央大学のオタクサークルだから本当に研究しているわけではないんだ。むしろ二代目からはラブコメにうつつをぬかすばかりで」

「ふーん。……小山内くんたちもラブコメ、してるの?」

「してないよ!」


 僕は強めに言い返した。

 というか出来るはずがない。ウチには男しかいないんだから。いや『げんしたいけん』ではそっちのラブコメもやってるんだけどさ。

 そんなこと毛頭知らないだろうに、この人はいきなり何を言いだすのやら。

 なぜか心から安心しているような彼女を見ていて――ふと、僕は気づいてしまった。


「……あのさ。もしかして鳥谷部さんって、伏原くんたちのことを『男だけど男が好き』な人たちだと思っていたりしない?」

「うん。だって女の子になりたいなら、そっちだよ」


 やっぱりそうだった。

 何やら堂々巡りしているような気分だけど、結局のところファンでない人にとってはそこに終始する話なのかもしれない。


「それがそっちじゃないんだよね……」

「そうなの?」

「うん。詳しいことは耳打ちさせてもらうけどさ。伏原くんたちにも手伝ってもらって」


 心が女性なのか、男性なのか。好きなのは女性なのか、男性なのか。

 はたまた本心から女性になりたいと希っているのか。

 僕たちは「心のチンコ」を扱わないように気をつけつつ、3人がかりで鳥谷部さんにTSファンには色々な人がいるのだと教えてあげた。


「小山内くんはどうなの?」

「いたってノーマルだよ。フツーの女の子が好き。できれば可愛い子がいいな」

「そうなんだ」


 彼女は所在なさげに自分の姫カットをいじくり始める。

 ともあれ、わかっていただけたようで何よりだ。さすがにそっちの人だと勘違いされるのは心が辛い。ジャンルがジャンルだけに「そういう人たち」に対する理解はあるつもりなんだけど、自分は決してそうではないのだ。


 性についてのスタンスを知ってもらえたところで、ついでに僕たちは大学のサークルよろしく耳ざわりの良いタテマエをぶちあげることにした。

 まだ「同志たち」が図書部で活動していることを認めてもらえたわけではないからね。


「……あれはああだろ」

「……あれも加えてですね」

「……それならあれもどうかな」


 3人がかりなら、すぐにタテマエを作ることができた。

 テーマはずばり『分類法』である。

 さっそく鳥谷部さんにぶつけてみる。どうしてだか制服を整えてらっしゃるけど、別に耳がふさがっているわけではない。


「そうそう鳥谷部さん。伏原くんたちはちゃんとした研究をしていたりするんだよ」

「ん、みんなで女の子になるための方法を考えているの?」

「あながち否定しきれなかったりもするけど……えーと鳥谷部さんなら『日本十進分類法』は知っているよね」

「バカにしないで」


 彼女はムッとしつつ、近くの新刊棚に貼られた分類表を指差してくれる。


 0 総記

 1 哲学

 2 歴史

 3 社会科学

 4 自然科学

 5 技術

 6 産業

 7 芸術

 8 言語

 9 文学


 これは『むらやま』にある本を分けるためのものだ。

 ここだけでなく日本中の図書館で使われているから、知っている人は多いのではないだろうか。

 この『日本十進分類法』を元に『むらやま』ではエリア作りが行われており、例えば『文芸エリア』には文学扱いの本がそろえられている(ただし洋書は除く)。同じ要領で『サイエンスエリア』には自然科学と技術系の本があったりする。


 なぜ分けるのかといえば、その方が管理しやすいからだ。

 こうした分類法は古代から存在していた。アレクサンドリアでは独自の分類法に則ってパピルスの巻子本を保存していたそうだ。ニネヴェにもまた独自の分類法があったとか。

 もちろん、これらの諸情報は自分で調べたわけではなく、先ほど五郎さんオススメのネット小説『大図書館』を読んだ時に副次的に知っただけのことである。TS作品は時として勉強にもなるのだ。


 そんな古代分類法の子孫ともいえる『日本十進分類法』に、僕は指を沿わせた。


「うん。いかにもこの表のことだよ」

「こんなの部員でなくても知ってるから。この下にも細かい分け方があってね。サブジャンルがたくさんあるよ」

「でも、その中に『女性化』はないよね」

「当たり前じゃない」


 彼女は訝しげな目を向けてくる。まあ、そのとおりなんだけどさ。むしろTSみたいなニッチなジャンルにも対応していたらビックリするし、たぶん僕たちはその本棚から離れられなくなる。

 ともあれ、ここからは五郎さんに任せるとしよう。


「今はそうかもしれねえが、これからの時代は今までより性別が大きく取り上げられるはずだからわからねえぞ。女性の社会進出が進んで、子育ても大きく変わってきているからな。だからこそTSFにも注目が集まる可能性がある」


 五郎さんは「なにせ性差を乗りこえる話なんだから」と、いつのまにか描いていたらしいイラストで示してみせる。

 心が入れ替わってしまったカップルの絵だった。

 それぞれ慣れないながらも家事と仕事をこなしている様子が描かれている。現実に専業主夫がいたりするから、あながち夢物語というわけではない。


「そんなの367のカテゴリで十分にカバーできるもの」

「社会学だけじゃなくて文学からのアプローチもあるべきだろ」

「913の小説だけで十分。細分化は推奨されない」

「……とにかく、オレたちはTSモノや女装モノを調べることで、分類法の改訂の是非を検討しているってわけだ」


 続いて伏原くんも「つまり立派な図書部の活動なんです」と声を上げる。

 だから同志を認めてくれ。かなり無茶な論法になっている気もするけど、こうして3人がかりだと物理的な説得力があるのではないだろうか。


 そんな僕たちの主張に対して、鳥谷部さんは「ふふ」と微笑みまじりの息を吐きつつ、なぜか僕だけに目を向けてきた。


「え?」

「……やっぱり。小山内くんは嘘つきなんだから」

「なんでわかるの!?」


 僕は心底ビックリさせられる。

 彼女には以前から「嘘つき」と言われてきたけど、まさか僕の心だけ読めたりするのかな。

 どうしよう。もし好きになったらすぐにふられてしまいそうだ。


「ひみつ。じゃあね」


 こちらの切実な問いかけに、彼女はビックリするくらい可愛らしい笑顔を返してくる。

 そして、そのまま中央ホールから出ていってしまった。


 なぜ笑っていたのか。どうして受付に密告せずに出ていったのか。

 呆れて放り捨てられたような感じもするけど、わかったことが二つある。


 一つは女の子にTSの話をするのはかなり心苦しいということ。今さらながら恥ずかしさが溢れてきてダメになりそうになる。

 もう一つは――「心の同志」がチェキストに勝利したということだ。

 やったぜ、と三人でやけくそ気味に手を合わせていると、受付の司書さんがにらみつけてきたので、慌てて自制した。


『図書館では静かに』


 多少の会話が許されている受付近辺であってもだ。

 そういえば鳥谷部さんは「これ」を一切言ってこなかったな。どうしてだろう?

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