3-2
× × ×
せいろで蒸した犬みたいになっていた伏原くんに、例のメモを渡してみると、彼の蔵書と示し合せて「お互いに持ってないものリスト」を作り上げてくれた。
「これで効率的に貸し借りできるようになりますね」
そのごまかすような笑みはさておき。
お金に余裕のない僕にとって、この融通はありがたい。
さっそく伏原くんに別れを告げ、ネットカフェで全て注文させてもらう。受取先をコンビニにしておけば、家族にはバレないで済む。小計6700円に送料を加えると非常に大きな出費になってしまうけど、中古でしか手に入らないものも多かったから仕方ない。
「これで3日後にはウハウハできるなあ」
僕は画面上に表示される表紙を眺めつつ、まだ見ぬ珠玉の作品たちに心を滾らせる。
本当はすぐにも読みたいところだけど、どこでもドアがない以上は配達の人たちを待つしかない。
こんな時には電子書籍も便利だなと思わされる。
僕としては現物があったほうが手に入れた感じがするので、本が絶版している時だけ利用させてもらっていたりする。
別にパソコンやスマホで作品を楽しむという文化がないわけではない。
五郎さんに教えてもらったオススメWEB作品をブラウザに広げてしまえば、僕はすぐにもその世界の虜になれる。
プロ顔負けの画力で描かれた、素人ならではのビビッドなマンガ。
あるいはネットの俗っぽい表現を駆使して紡がれる、どこか切ないショートショート。
あまりにもレベルが高すぎて「タダでいいのか」と呟いてしまいそうになる。こんなものがたくさん転がっているインターネットには恐ろしさしか感じられない。
そんな作品たちの中でも特に気に入ったのが――『大図書館の七不思議』という小説作品だった。図書部の囚人である僕にとっては身近な題材である上に、TSモノとしてのレベルがとても高かったのである。
作中の『バッキーライブラリ』なる巨大図書館が、どことなく『むらやま』をモデルをしているようなのも興味深かった。
ここもまた『むらやま』と同じくツギハギのコピーだらけだそうで、しかもそれぞれ現地の遺物を建物に組み込んでいるために謎の超常現象「七不思議」が起きてしまっている……という設定だ。
それらを封印するために結成された生徒隊には、様々な試練がふりかかることになり、結果として大部分の隊員が女の子にされてしまう。
例えば、元不良のヤマモトくんは、アレクサンドリア図書館の亡霊たちにより、プトレマイオス朝時代の女性写字生の姿に変えられてしまい「エジプト人やんけ!」と泣き叫ぶものの、正確にはマケドニアから移り住んできた人がモデルだったりする。どっちにしろ終盤まで泣き止まないのでうるさい。
また、オタクのノムラくんは、やたらと知りたがりなアッシリア王の亡霊により肉体を失うまでに調べ尽くされてしまい、王の慈悲により当時の侍女の肉体を与えられる。当然ながら非処女であったためにノムラくんは微妙な気分になる。
他にも古代文明の奴らに酷い目にあわされるパターンが多く(ギルガメッシュに殺されて粘土から女性の身体を作られるはめになるなど)、当初はみんな日本人だったのに終盤にはかなり国際色のあるパーティと化していた。
隊員各々の経緯はさておき、彼らは自分の姿に戸惑いながらも隊を抜けずに戦い続ける。
唯一の男性である主人公を巡ってのあれこれや心の揺らぎにもめげず、古代文明の攻撃にも耐えぬいて、ついには「七不思議」を解決することに成功するのだ。
「……また女性化モノを見ているんですね、センパイ」
「うわあっ!?」
ラストシーンを見届けたタイミングで中学生ちゃんから声をかけられた。
ネットカフェにずっといられるほどお金がないので、近くにある日東公園のベンチでスマホから小説を堪能していたのだけど、まさか町中で彼女に会うとは。
正直なところ運命を感じずにいられない。
ただし、彼女の方は若干ながら引き気味だった。
「やっぱり……そういうのが好きなんですか?」
「いや。たまたま見ていただけなんだよ」
「だったらいいんですけどね……」
彼女の目の先にはハーレムと化した生徒隊から主人公が逃げ出そうとするシーンがあった。
主人公には一人だけ女らしくなっていないとされる友人がいて、その子のことだけは信じていたりするのだけど、本当はその子も主人公のことが気になっていたりする。
だから一緒に逃げ出しながらもブイサインしていたり。あっさり心まで女の子になってしまう子が多い中で、けっこう好きなキャラクターだ。
「そのいやらしい目つき! ヘンタイですね、センパイ!」
「ヘ、ヘンタイじゃないよ!」
「なら、どうして普通の女の子ではダメなんですか。おかしいです!」
中学生ちゃんは不満げに息を吐く。
彼女と同じくらいの年だったら「フラグかな?」と邪推してしまうところだけど、僕は高校生なので変な勘違いはしない。
なぜ、TSでなければならないのか?
本心を言えば――「別にTSでなくてもいい」となるだろう。
自分は一般向けの作品だって大好きだ。ロボットアニメでもラブコメでも何でも食べることができる。TSキャラでなくても女の子を「可愛い」と感じることは多々ある。
これについては三次元の女性に対しても同じことが言える。
むしろ、こういうのは架空の話だから楽しいわけであって、例えばリアルの性同一性障害の方で萌えたりすることは僕にはできない。
タイのニューハーフと付き合いたいとか考えたこともないし、むしろ「心にチンコを生やしている」からリアルでは反応できない気がする。どんなニューハーフでも男性らしい骨格を変えることはできないからね。
なんて、えげつない話を中学生ちゃんに語れるはずもなく。
いったい彼女にどう本心を伝えるべきか。つくづく「心のチンコ」の例えが上手すぎて女子相手に使えないのが惜しい。
「センパイがヘンタイなのはともかく……ダメですよ! 今年の運営委員を目指すなら、こんなのにウツツを抜かしていてはダメなんです。せっかくセンパイには光るものがあるんですからね!」
「中学生ちゃんは、なぜか僕に期待してくれるよね」
僕は以前から抱いていた疑問の一つを彼女にぶつけてみる。
すると彼女は、うってかわって笑みを浮かべ、
「当たり前じゃないですか。センパイは『むらやま』に選ばれた人なんですから」
「え、『むらやま』に選ばれた?」
なにやらオカルトチックな流れに、僕は俄然ドキドキしてくる。
もしかして『バッキーライブラリ』みたいに『むらやま』にも「七不思議」があったりするのかな。それに選ばれた身となると……いったい何が起きるというのか。
僕の問いかけに中学生ちゃんは「そうです」とだけ答えてくれた。
そして「私はセンパイの教育を任されたんですよ!」とこちらに耳打ちして、そのままブースを去っていった。
そうか……だから、たまにこうして姿を見せてくるのか。
ずっと僕のところに遊びにくるのはなぜか気になっていたので、ようやくスッキリすることができた。やっぱり高校生でもフラグとか考えてしまうからね。
あとは名前さえ教えてくれれば、彼女の謎は全て明らかになるかもしれない。
その代わりに大きなクエスチョンをいただいてしまったけど、選ばれし者なんて早々なれないから嬉しいほうが大きかった。
× × ×
公園から日本橋(にっぽんばし)4丁目の交叉点に出てきた頃には、太陽はすでに西に落ちつつあった。
「まだ伏原くんはあそこにいるかな」
ここから『むらやま』まで歩いて10分もかからない。
せっかくだから良いショッピングができたお礼をしておこう。五郎さんがいたらWEB作品のお礼もしておきたい。
僕は缶ジュース2本を手に、忘れ物カウンターへと向かった。
夕方の『むらやま』にはいつも以上の趣きがある。
ただでさえ格好良い内装になっているのに夕日まで加わるのだから、もはやドラマのセットのようだ。さすが「観光地になる図書館」の名は伊達ではない。なんて具合に褒めたくなるのは「選んでもらった」からかな。我ながら単純である。
忘れ物カウンターに伏原くんの姿はなかった。
もう帰ってしまったのだろうか。
さりげなく『第2保管室』に近づいてみると――中から伏原くんの声と、女性の声が聞こえてくる。
まさか……4人目の同志?
もしくは忘れ物班の女子かもしれない。五郎さんがお休みなら伏原くんの相方は別の人になるはずで、決して不自然な流れではない。
「……なんだか気になるなあ」
いつもTSの話ばかりしている伏原くんが、同じ班の女子にはどんな話をしているのか。彼はモテるみたいだから、ひょっとすると付き合っていたりするかもしれない。
ほんのイタズラ心から、僕はドアに身を寄せてみた。
「――つまり、ここはそのTSFとやらが好きな人たちのアジトなの?」
「そんなところです。ですから、よければ小生たちを見逃していただけませんか」
「ダメ。だって忘れ物カウンターの業務とは縁のないことだもの。どうしてもやりたいなら同好会でも作るべき」
「それができたら小生たちだって苦労しませんよ」
「ご託はいいから。今から河尻さんに報告してくる。首を洗って待ってて」
窓際で話しているのか、少し聞き取りづらかったけど……中にいる女子は明らかに鳥谷部さんだった。
ただし会話の内容はカップルのトークというより公安組織の事情聴取だ。よくできたチェキストであるところの彼女は、何かを上に密告しようとしている。おそらく「心の同志」を河尻さんに伝えるつもりなのだ。
河尻さんとは『むらやま』の運営委員長のことである。高校二年生にして図書部の全てを任されている方で、河尻姓であらずんば人間にあらずを地で行く性格の持ち主だ。
チェカの親玉だから「NKVD(エヌカーベーデー)長官」なんてひどい渾名を付けられていたりするけど、これは河尻さんが女好きだからである。詳しくはラヴレンチー・パーヴロヴィチ・ベリヤをチェックしてみよう。チェカだけに。
「それにしてもどうして鳥谷部にバレたんだろうな」
「うおっ、五郎さんもいたんだ」
いきなり後ろから話しかけられてビックリした。どうも今日は背後を突かれてしまう日だ。
五郎さんは「少しトイレに行っていた」らしい。それまでは伏原くんと打ち合わせをしていたそうだ。
「班のシフトでも決めていたの?」
「いや。ちょっと二人でマンガを作ろうとしててな」
「やっぱりTSマンガになるんだろうね」
「そりゃ当然だ。まあ内容に女装を入れるかで争っていた時に鳥谷部が来やがったから、そこで止まってるけどよ」
彼は忌々しそうに舌を鳴らした。
プロレスはともかく、二人の合作となればとてつもないTS作品になることだろう。
そうとも知らずに蚊帳の外にいた僕としては、少なからず疎外感を覚えなくもないけど、そこは新参者だから仕方ない。
「……おい。変な勘違いをするなよ。お前は読者役なんだからな」
「ははは。フォローありがとう」
「これはマジの話だぞ。ぶっちゃけ伏原の奴、お前の気を引くのに必死だから、もうちょい何とかしてやれよ」
五郎さんの目は真剣そのものだった。迫力がありすぎてビビってしまうほど。けれども気を引くというのは語弊があるんじゃないかな。
妙に慕われているのは僕もわかっているつもりけど。
何となく――年下という共通項から、中学生ちゃんと似たところを感じた。まさか同一人物だったりしないよね。
不意に「ガチャリ」とドアノブが回された。
僕たちは慌ててドアから遠ざかる。
そういえば、僕が第五回『このTSFモノがすごい!』選抜大会から家に帰ろうとした時、こんな感じでドアの前に鳥谷部さんが立っていたような。たしか、どこかヨソヨソしい彼女からコップを受け取って……。
「そうか。あの時に全て聞かれていたんだ」
「こんばんは? 小山内くん」
中から出てきた彼女は、目の前の僕たちにちょっぴりビックリしているみたいだった。
だが、その手には五郎さんのイラストがある。初めて女装した男の子がやたらと赤面しているイラスト。
このまま河尻さんに報告させるわけにはいかない。
今までいただいてきたたくさんのものに「お返し」するためにも――小山内一二三は引けないところに来ているのだ。
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