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     × × ×     


 二番手の伏原くんは『カーネーションちょうだい!』という作品を紹介してくれた。

 古いマンガだけど楽しそうな話だった。

 ちなみに彼の言うところの「正統派」作品ではないそうだけど、主人公が女性の身体に戸惑っているのが「とても美味しい」らしい。あとはセンパイの好みかもしれませんから、とのことだった。


 伏原くんのコップにチョコを一つ入れて、いよいよ僕の順番になる。

 はてさて何を紹介するべきか。他人に教えても恥ずかしくないTSマンガ――ちょっと選びにくいな。


「まだですか、センパイ」

「あー。じゃあ『さんま1/3』でいいかな」


 マンガ界の巨匠ルーミックが生み出した国民的なTS作品。テレビアニメは多くの青少年をこちらの道に引き込んだとされる。僕もその中の一人だ。


 主人公のサンマは水をかけられると女の子になっちゃう「ふざけた体質」の持ち主。ただしお湯をかけると男に戻ることができる。

 どちらかといえば「外面的なTS」を描いているので、サンマがライバルのクロブタに恋をしたりはしない。そういう同人誌は多いものの、原作のサンマの心はずっと男のままだ。男に戻れる分だけアイデンティティが揺さぶられないのかもしれない。


 一応、一時的に元に戻れなくなったり、変な洗脳にかかって心まで女の子になっちゃう回もあるはずなんだけど、とにかく全体的には健全にエッチでメジャーな作品なのだ。


「おいおい。今さらおすすめされるまでもねえよ」

「小生たちのバイブルじゃないですか」


 僕としてはアンパイを引いたつもりだったが、上級者の二人には却下されてしまった。

 となると次に出せるのは、同じマンガ誌のあれだな。


「だったら『天粉(てんこな)』でいい?」

「さすがに怒りますよ」

「あれはメガネくんの女装くらいしか見所ねえだろ……」


 まるで苦虫を噛み潰したような二人の表情から、僕は同年代のTSファンが『天子の粉まみれ』をトラウマ扱いしているのだと初めて知った。

 たしかにTSモノとしては残念な終わり方だったけど、マンガ自体はとても面白いから、万人におすすめできる……と思っていたのに。

 二人の知らない作品を選んだほうがいいのかな。


「他にはありませんか?」

「うーん。何も浮かんでこないかも。二人みたいに詳しくないからね」

「なんでもいいんですよ。センパイの好きな作品の良いところを教えてくだされば」


 伏原くんはそう言ってくれるけれど、正直なところ、やはり僕としては自分の好きな作品・ひいては特殊な性癖を他人に晒すことにかなり抵抗があったりする。

 二人がこれだけ教えてくれたのだから……と恩に報いたい気持ちがある一方で、こういうものは奥に秘めておくべきだとの「戒律」がゆるやかに頭をもたげるのだ。


「ごめんね。次までに考えておくよ」

「そうですか……」

「だから今日は一旦、家に戻らせてもらってもいいかな?」


 しょんぼりしている伏原くんには申し訳ないけど、もう夕方なので今日は帰らせてもらうことにする。当番を終えて今に至るわけだから、それなりの時間になっていた。

 そろそろ帰らないと夕飯に遅れてしまう。


「わかりました。でもセンパイ、小生との約束ですからね」

「うん。ちゃんと二人の知らない作品を探しておくから」

「……別に知らない作品でなくてもいいんですよ?」


 伏原くんは「五郎さんの教えてくれた『羊水』の話だって、ぶっちゃけ小生は読んだことありますから」と耳打ちしてくる。


「え、知らないふりしてたの?」

「だって、その方が盛り上がるじゃないですか。それ知ってる、だけで終わるのはつまらないですよ」


 そりゃそうかもしれないけど。


「でも、さっきはダマされたとか言ってたよね。サギだっけ?」

「あれは……ふふふ。五郎さんとはああやって言い合いになったほうが楽しいんです。プロレスみたいなものですかね。バランスですよ」


 当の五郎さんがイラスト描きに没頭しているのをいいことに、伏原くんはいけしゃあしゃあと言ってのける。

 まるで悪びれもしない様子は「油断ならない」という僕の中の評価を補強するのにうってつけだった。


 まあ、本当に油断ならない人はこんなにすぐバラしたりしないのだろうけど……この子はいったい何がしたいのかな。


「よし描けた。女装姿のメガネくんだ!」


 五郎さんは『天粉』のイラストをキラキラした笑みで見せつけてくれる。彼は彼で何がしたいのかよくわからない人だ。

 ちなみに「安易にウィッグを使うのではなく髪を膨らませて対応するのがポイント高い」らしい。これについては多少わかる。


「また女装ですか。五郎さんも好きですよね」

「うるせえ。苦手な食べ物がない方が生き残りやすいんだぞ」

「おちんちんを切り取ることに情熱を燃やしている小生たちに生存戦略は語れませんよ」

「女装ならおちんちんあるだろ!」


 またもやプロレスを始めた二人。

 あまりにもアレだったので、僕は足早に『第2保管室』を出ることにした。やはり僕はあんなふうにはなれない。


 ドアノブに手をやり、ゆっくりドアを引く。

 すると……なぜか目の前に鳥谷部さんが立っていた。私服姿ではあるけど、この姫カットは彼女以外にありえない。


「え、どうして鳥谷部さんがここに?」

「こんばんは、小山内くん」

「うん、こんばんは……それでどうして?」

「あなたにお土産を渡したくて。でも平日だと私物の持ち込みは禁止だから」


 彼女はカバンから透明なコップを取り出した。

 ビールジョッキの形をしており、有名な映画作品のタイトルロゴが印刷されている。なかなか出来の良い代物だ。

 ただ、これってたしかマーガリンビールを入れてもらうための器だから、たぶん使用済みなんだよね。僕は気にしないけどさ。


「これは平尾から。当番を代わってくれたお礼にあげるって」

「へえ、ありがとう。平尾さんによろしくね」


 あっちからのプレゼントだったか。

 まあいいや。僕はできるだけ丁寧に笑みを作ってみせた。


 すると、彼女は小さく会釈を返してくれる。

 どことなくヨソヨソしい。まあ、お互いに当番が同じになりやすいだけで休日に会うほどの友人というわけではないからね。


 それにしても……私服姿の鳥谷部さんは普段より女の子らしく見えるなあ。

 学校ではマジメな格好をしているから、その反動かもしれない。

 襟元には青い毛糸のマフラーを巻いていて、久しぶりのUSJを満喫してきたのが伝わってくる。でも、なんでハッフルパフなんだ。


「……ねえ。小山内くん」

「なんだい?」


 あまり服をジロジロと眺めているのも失礼なので、僕は視線を戻す。

 そういえば、どうしてこの『第2保管室』に僕がいるとわかったのかな。当番の相方だった田村はもう帰宅しているだろうし、他に僕の行方を知っていそうな人はいない。


「……なんでもない。またね」


 彼女は改悛するように目を泳がせてから、そそくさと一人で『むらやま』から出ていった。

 追いかけるべきか迷ったけど、別に一緒に帰るほどの仲でもないので、気を取りなおして一人でゆっくり帰ることにした。


 忘れ物カウンターからは未だにケンケンガクガクの「女装反女装」バトルが聞こえてくる。あんな状態でよく運営委員に目を付けられていないものだ。鬼の委員長に見つかったらどんな目にあわされるのやら。

 今後は交遊を控えようかな、でも約束しちゃったしな――とか考えながら、鳥谷部さんからもらったコップをカバンに入れようとすると、またもや見知らぬマンガが入れられていた。


「…………地下鉄で読もう」


 やはり伏原くんは抜け目ない。

 さっき紹介していた『カーネーションちょうだい!』をすぐに読ませてくれるんだからなあ。もう。

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