2-2
× × ×
広大な『むらやま』には、それだけお客さんの忘れ物も多い。
スチール棚に詰め込まれたダンボール箱の数々はその証であり、また『第2』という数字は忘れ物を取りに来る人の少なさを示している。
室内の埃っぽさに顔をしかめつつ、僕は少年に訊ねる。
「ここって部外者は入っちゃダメなんじゃないの?」
「センパイは部員ですから平気ですよ」
お茶出しますね。そう言って、伏原くんは窓際のケトルのボタンを押した。
そんな代物まで用意されているとは。部屋の中央には作業台代わりの長机が並んでいるから、彼の班にとっては休憩所のような扱いなのかもしれない。
僕は棚に立てかけてあったパイプ椅子を広げて、日々の掃除で疲れた足腰を休ませてもらうことにした。
「どうぞ。粗茶です」
「ありがとう」
「では、さっそく語りましょうか……」
コトン。伏原くんが、机に自身の湯呑みを置いたタイミングで――僕の股間から白い紙が「にゅう」っと飛び出してきた。当然ながら僕の下半身はコピー機ではない。
「うわあああっ!」
突然のことだったのでビックリしたけど、よく見ると紙にはゆるキャラ(?)のような絵が描かれていた。その横には「よろしくね!」と飾り文字が添えられている。
可愛い絵柄からして、これを描いたのは女の子かな?
そんな直感は2秒後に外れた。
「よう」
渋い声と共に机の下から出てきたのは、ガッシリとした巨体。それも190センチはあろうか。
一文字に結われた口元は芯の強さを感じさせる。そして日焼けした肌とスポーツ刈り。精悍な目元。ドメル将軍のような眉毛。
はっきりいって、苦手なタイプだと即座に判断してしまった。おかげで僕は「え、えっと」と声を出すことができないでいる。
「……小生も初めはそんな反応しちゃいましたよ、センパイ」
コウハイである伏原くんから、ちょっぴり見透かしたような目を向けられてしまう。
なんかムカッとくるな。
「それってどういう意味なのかな、伏原くん」
「そうですね。なら五郎さんにも訊いてみましょう。五郎さんは女の子になりたいですか?」
「別になりたいわけではない。ただなってみたいだけだ!」
強面な男性から発せられる太い声。日常的に受け答えに慣れているのか、やけに堂々とした口ぶりだったけど、本来ならば大の男が口にするべき内容ではない。
一方の伏原くんは「あれ、五郎さんは女の子になりたいはずでは?」と目をパチクリさせていた。
たしかに、三人目の同志はそんな触れこみだったような。
「そんなはずないだろ! あと五郎と呼ぶのはやめろ、オレの名前は将(まさし)だ!」
マッチョマンは女性化したいわけではないと声高に主張する。
さっきもらった一枚絵に目を戻すと、隅の方に1年5組・源五郎丸(げんごろうまる)将と書かれていた。だから五郎なのか。かなり珍しい苗字だ。
「でも、五郎さんは『キュートファザード』みたいになりたいって言ってたじゃないですか」
「それは中学時代の話だ! 今のオレが、顔面だけ美少女になってもキモいだろうが!」
ああ。それは考えたくない。
というか『キュートファザード』って懐かしいなあ。古いマンガだけど、有名雑誌に載っていたから僕も子供の頃に読んでいた。主人公の不良少年が事故で大やけどを負って、整形手術の末に初恋の女の子と同じ顔にされてしまうという内容だ。
主人公は一年半くらい眠っていたため、柔道で鍛えた身体はすっかり細くなっていたのだけど、体型自体は男性のまま。そこで知人の目をごまかすために作り物の胸を入れたりする。そのあたりも踏まえて、僕の知る中では女装モノの名作である。
女性として恋をする作品がある一方で、こういうドタバタ系にも名作は多い。
僕が独りで思い出に浸っていると、五郎さんはいつのまにか椅子に座り、わら半紙にサラサラとシャーペンを走らせていて、
「お前、3組の小山内だよな。知り合った記念にやるよ」
やたらと可愛らしい絵柄のイラストを僕にくれた。
おお、すごい。
さっきのゆるキャラ(?)とはうってかわって『キュートファザード』の主人公とヒロインが、しっかりした筆致で描かれている。迷いのない主線は日々の修練の証だと絵描きの知人から聞いたことがあるので、この人はかなり上手いはずだ。
「ありがとう。すごく上手い絵だね」
「そりゃどうも」
五郎さんは照れたように首を掻く。
しかし、本当に上手いな。これだけ描けたら自分好みのTS作品だって作れそうだ。
「五郎さんはマンガとか描いてるの?」
「おい。なんで同級生なのに『さん』付けなんだよ」
「いや……なんとなく……」
マッチョな大男に迫られて、僕は思わず顔を背けてしまう。
だって仕方ないじゃないか。どちらかといえば下々の生き方をしてきたから、こういう強そうな人と話すのは苦手なんだ。
「ふぅん。まぁ、マンガにはまだ手を出していないが、いずれ描きたいところだな」
「そうなんだ」
「ネームならまだしも、ちゃんとした原稿にするのは大変だからな」
僕にはよくわからないけど、Gペン(?)とか必要になるわけだから、それなりにハードルの高い作業なのかもしれない。
「ところで、お前は女装モノはいけるクチなのか?」
「へ? ええと、いけるといえばそうだけど、別に好きでもないような」
「なんか煮えきらねえな。伏原が反女装派だから援軍になってくれるとありがたいんだが」
五郎さんは制服の内ポケットから小さなスケッチブックを取り出す。
そこにはたくさんの女装男子のイラストが描かれていた。
なぜ一目で女装だとわかるのかといえば、どことなく身体つきに少年らしさを残してあるからだ。こういう「描き分けられた絵」はショタ好きの人にも需要があるらしいので同人誌とか出したら売れそうな気がする。
ちなみに僕は心にチンコを生やしているから、女装でも女の子らしい絵の方が好きだ。
五郎さんはどっちになるなんだろう。
「なにがムカつくってな……伏原が一番こういうの似合いそうなのに、女装はTSFの中に含めるべきじゃない、とか言いやがるんだよな!」
「一緒くたにするべきではないと申しただけですよ。あと小生は生身の女装はガチNGです」
伏原くんは右手と左手でバッテンを作る。
対して五郎さんは「持たざる者にはわかるまい」と返していた。
たしかにこの人の体格では何をやっても変なオッサンにしかならないな。パッドとコルセットで補正しても全体の大きさを消すことはできない。
もしかすると、リアルでは絶対に叶わないからこそ、イラストのテクニックに力を注いでいたりするんだろうか。
当然ながら初対面の人の心中を察することなどできるはずはなく、あくまで僕なりの邪推になるけど、そういうリビドーの発散は十分ありうる。
「五郎さんはテレビドラマ版の『王女と王女』をご覧になるべきですね」
「『王女と王女』なら原作を持ってるぞ。プラスも持ってる」
「だからドラマ版ですって。あんなイケメン俳優陣でも女装したら無残なことになるんですから。きっと三次元に幻滅するはずです」
あくまで伏原くんは反女装派らしい。
ちなみに『王女と王女』という作品を僕は知らない。あとで調べてみよう。
「お前はまるでわかってねえな。実際に女装をやるやらないの話じゃねえ。これは一つの可能性の話なんだよ」
そう言って、五郎さんはスケッチブックにシャーペンを走らせた。
すらすらと描かれていくのは「クラスメイトにムリやり女装させられた男子たち」のイラストだ。
3人の中で1人だけ似合っていて、まんざらでもなさそうな表情をしている。
「わかるか。もしかしたら、こういう格好も似合うかもしれない……そんな淡い希望を。別にオレは女になりたいわけじゃないが、こういうイベントもあるかもしれないと妄想できるのと、オレみたいに全くできないのとでは、マジで大違いなんだよ!」
五郎さんはバンと机を叩いた。
「いやいや、自分を萌え要素にしてどうするんですか!」
「そういうことじゃねえ。いかに作品の中に没入できるか、どれだけ主人公に感情移入できるかの話だ! どんな作品でも『オレならムリだな』と考えてしまうと切ないんだよ!」
「だったら変身モノで済ませばじゃないですか。ふしぎなくすりでロリになっちゃえば!」
「変身なんて、もっとありえねえだろうが!」
「あるかもしれませんよ!」
「なら今すぐロリになる薬を持ってこい、それでお前が飲んでみせろ!」
「なんで小生なんですか!」
机を挟んで激論を交わす2人。
たびたびネット上で交わされるスタンスの対立をリアルでやるとこうなるのか。2人の顔が見えるだけでドン引きしそうになるのは、やはり僕の中に「男のくせに」という気持ちがあるからに違いない。
というか、あまり熱くなりすぎるとロビーの方まで話が聞こえてしまう。
ロリとか女装とか……お客さんのウワサになるとまずいので、ここはひとつトーンを抑えてもらわないと。
僕は意を決して立ち上がる。
「あのさ。2人とも、他人が好きなものをけなすのは良くないよ」
「? 別にけなしているわけではありませんが」
「ああ。大体いつもこんな感じだからな」
2人はケロっとした様子で答えた。
こいつら、いつも口論しているのか……学年を越えてケンカできるのは仲のいい証拠なんだろうけど、これでは「心の同志」というよりボリシェビキとメンシェビキだ。
僕が内心呆れていると、それが向こうにも伝わったのか、
「……まあ、いきなり2人で盛り上がりすぎましたね。せっかくセンパイが来てくれたのに」
「かもな。せっかくの3人目なんだから大切にしねえと」
「小生としては逃したくない人ですから、ここはひとつ『アレ』をやりませんか」
そう言って、伏原くんはカバンからチョイスマリーの板チョコを取り出す。
「あのイベントか。たしかに新人には美味しいイベントかもしれねえな」
五郎さんの言葉から察するに『アレ』というのは餌付けのことだろう。それならチョコよりTSマンガでも貸してくれたほうが嬉しいかな。
一人で納得していた僕のところに、伏原くんがテクテクと近寄ってきて、
「えーと。では小生から。ただいまより第五回『このTSFモノがすごい!』選抜大会を始めます!」
「へ?」
何なんだろう、そのネット上ですでに開かれていそうな大会。
「今までは小生たちだけでやっていましたが、今回はセンパイにも参加してもらいます。より深みのある大会になることが期待されますね」
伏原くんはチョコをバラバラにしてしまうと、それを3つの紙コップに分け入れた。
「ルールはカンタンです。板チョコを5つずつ持ち合った上で、一人ずつおすすめ作品を紹介していきます。その作品を読みたいと感じたら、その人にチョコをあげましょう。一番チョコを持っている人がチャンピオンです」
「チャンピオンってみつどもえの?」
「小生たちの中でもっともTSFに詳しい人を選ぶんですよ! いわばキングオブTSF!」
そんな称号は欲しくないなあ。
ともあれ、みんなの投票を集める大会なのはわかった。
「そうですね……まずは小生から始めましょうか」
「いや、オレからやらせてもらうぞ。オレが今おすすめしたいのはこのマンガだ!」
そう言って、五郎さんが出してきたのは、またしても手製のイラスト。
包丁を持った女の子が、死体と化した男の子を引きずっているという内容だけど、なぜか絵柄は子供向けの絵本みたいになっていて、背景は楽しそうな遊園地だった……可愛い絵でエグいことをする系のマンガなんだろうか。
「タイトルは『腐るまでもない羊水』。作者は新進気鋭の山田克彦だ。ストーリーをざっくばらんに教えてやると、とにかくクラスでのイジメの話なんだよ。主人公はある少年をイジメているグループに入っていて、えげつないことをたくさんしていたんだ」
五郎さんはイラストをめくって二枚目を表にする。なんだかパワーポイントでプレゼンを受けているような気分だ。
二枚目のイラストにはそのえげつないことが如実に描かれていた。
「上からノックアウトゲーム、トイレ中にキックされる、変なものを喰わされる。イジメがエスカレートしていく中で、次第にネタに困るようになってきた主人公たちは、ついにあるものに手を染める。なんとエストロゲンを少年に服用させてしまうんだ!」
「女性ホルモンって学生がカンタンに手を出せるほど安くないですよ」
「そこはマンガだから気にするなよ。ともあれ抗うことのできない少年は、そうとも知らずに出された薬を口に入れてしまったわけだ」
伏原くんの指摘を跳ね除けて、五郎さんは三枚目のイラストを表にする。
イジメられていた少年が先ほどの女の子に変わっていく様子と、クラスメートに性的な暴行を加えられそうになったところを主人公に助けられている絵だった。
「少年はナヨナヨしていたので可愛い感じになった。そんな彼にイジメグループはとても酷いことをしようとしたが、少年の姿に惹かれていた主人公は彼の手を引いて逃げ出す。どこにも行くあてのない中で二人は逃避行を続ける……そして一枚目に至る。おしまい」
ニヤリと笑ってみせる五郎さん。
二人の逃避行が、死体と犯人に至るまで……肝心なところを省くことで聴衆に「作品を読みたい」と思わせる。なるほど、そういう大会なのか。負けたような気がしながらも、僕は五郎さんの紙コップにチョコを2つ入れる。
一方、伏原くんは「なんか趣旨が違いませんか?」と疑問を呈していた。
「なにが言いたいんだ?」
「だって今の話ではTSFの良さがわかりませんよ。ただ女性ホルモンが出てきただけで。この大会は『このTSFがすごい!』なんですからね」
たしかに興味をそそられたのはエグいストーリーであって、TSのエキスを感じることはできなかった。だからといってTSモノでないと決めつけるのは早計ではある。しかしTSジャンルと言えるのか。
「ふん。甘いな。オレのイラストをよく見てみろ。主人公は変わりつつある少年に惹かれるわけだが、少年の方も自分が女の子として見られていることに気づいているんだよ。そして手を取って逃げまわる中でお互いの心を求め合うようになるんだ。イジメの加害者と被害者として、逃亡の共犯者として、そして……」
「少年もまた主人公に惹かれるということですか?」
「それを匂わせるシーンもある」
「ありがとうございます!」
伏原くんはチョコを1つ入れた。
これで五郎さんのチョコは8つになる。すでに半分が彼の手の中にあるわけだ。
「でもさ、いくらなんでもイジメの主犯に恋をするかな?」
なんだか納得いかなかったので、僕からも口出しさせてもらう。
少年はイジメという非道を受け続けた上に、女性ホルモンの投与により将来的に子供を作れなくなってしまった。それが少し更生しただけで心惹かれたりするものだろうか。
そのマンガを読んでいないので詳しくはわからないけど、少年が元から同性愛者だったわけではないだろう。変身モノのように「女性として作り変えられた」わけでもないのだから、そのあたりはしっかりと詰めておくべきだ。そもそも女性ホルモンだけならTSというより女装カテゴリな気もするし。
僕の問いかけに、五郎さんは一枚目のイラストを手にとって、
「だからラストに主人公は殺されたんだよ。しかも少年に『お前に情などあるものか』と告げられてからナイフで刺されるんだぞ」
あっさり結末をバラしてくれた。
えええ。
「それって恋心のフリじゃないですか! TSFとしてサギですよ! サギ!」
「サギとはなんだ。伏原のストライクゾーンが狭すぎるだけだろ!」
五郎さんは「お前は女装もダメだもんな!」と怒りをあらわにする。怖い。
「小生は正統派なんです。元は少年だった女の子が、女の子であることを自覚させられて、恋に落ちていくのが良いんです! センパイならわかってくれますよね!」
必死な伏原くんは、なぜか僕に同意を求めてきた。
うーん。気持ちは十分にわかるけど、それだけがTSではない気がする。彼の話はスーパーヒーローがヴィランを倒さなければアメコミではないと言っているようなものだ。
というか、どんな流れであっても二人の会話は「女装」に収束するんだな……よほど根深い対立らしい。
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