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     × × ×     


 結局『傾城太平記』は利用者の忘れ物として図書部で預かることになった。

 元の場所に戻しておいても良かったんだけど、ああいう風に目立つところにマンガを放置されるのは『むらやま』として好ましい状態ではない。

 なぜなら、仮にあのマンガが他の利用者に盗まれたとしても、僕たちでは責任を取れないからだ。

 なので持ち主には「忘れ物カウンター」まで取りに来てもらって、今後は放置をやめるように口頭で注意させてもらうことにした。

 もし「このマンガをもっと知ってほしい」みたいな善意による行動だったとしても、ダメなものはダメなのである。


 なお、これらの決定は全て鳥谷部さんによるものであり、僕としてはぜひぜひ今後もTSマンガを自由に読ませていただきたいところだった。


「ありがとうございました。あと新田ちゃんマジで可愛かったです」


 読み終えた『傾城太平記』を忘れ物カウンターのBOXに入れてから、僕は誰もいないのに頭を下げる。奥付によれば初版は五年前らしいので、こんな機会でもなければ新しく知ることはなかっただろう。

 ネットの情報サイト巡りは新しい本には当たりやすいけど、古い本を発掘するのは得意ではなかったりする。

 だから歴史に埋もれた名作を掘り出した者は常に敬意を表される。

 我が身においても、稀有な出会いを得られたことへの感謝が、自然と頭の垂れる時間を長引かせていた。


 やがて、僕が顔を上げると、目の前に中学生の少年が立っていた。

 柔らかそうなくせっ毛をわしわしと揉んでやりたくなる、いささか子供っぽい子だ。


「こんにちは。小山内センパイ」


 笑みを浮かべる少年。ぎゅっと噛みしめた口元からは喜びが伝わってくる。

 僕はこの子のことを少しだけ知っていた。なぜなら彼も腕に『図書部』の腕章を付けているからだ。姓名くらいはわかる。


「えーと……安藤さんだっけ?」

伏原明佳ふくはらはるかですよ。前に自己紹介してるんですけどね」


 一転して残念そうな少年。

 そうだ伏原くんだった。中等部3年生にしてはやたらと背が小さいから、覚えやすかったはずなのに、どこで混線してしまったんだろう。


「そうだったか。ごめんね」

「はい。ところでマンガの2巻についてですが……」


 小さな身体を捻らせて、伏原くんは学校指定の大カバンを床に下ろす。

 中から出てきたのは『傾城太平記』の続刊だった。

 表紙には正成ちゃんが千早城から排泄物を投げつける名シーンが描かれている。自らの手を汚してでも幕府に抗おうとする正成ちゃんだったが、その様子を護良親王に知られてしまい、後には赤面して言い訳をするのである。1巻のラストを飾るエピソードを2巻の表紙に持ってくるあたりに作者のこだわりが感じられた。


「って、なんで伏原くんがそのマンガを?」

「だって小生が持ち主ですから」


 伏原くんはきっぱりとした口ぶりで答える。

 えええ。まさか図書部の人間が外部の本を持ちこんでいたなんて。ここにはマンガコーナーもあるから、貸本に紛れると大変なのに。

 彼にはよほどの理由でもあったのだろうか。まさかTSマフィアにマンガを持ってくるように迫られて、あの机を取引の場所にしていたとか?


「わからないって顔してますね。これは小生の釣り針なんですよ」


 伏原くんはマンガの入った回収ボックスをポンと叩く。


「……どういうこと?」

「センパイのような方にマンガを拾わせるためのワナだったのです」

「えーと、つまり忘れ物カウンターの係員なのに、わざと忘れ物を作ってたの?」

「だからこそ! じゃないですか。誰に拾われてもこうして回収できますし。これは布教用なので取られてもダメージないですし」


 彼は回収ボックスから『傾城太平記』1巻を取り出してみせる。

 表紙の正成ちゃんが馬上で太刀を振り回していた。少女の姿では馬を操るだけでも大変なのに太刀まで持っているのは、呪いをかけられて女の子になったばかりのシーンだからだ。

 ここからどんどん筋肉が衰えていって、ついには弟の正季に馬上戦を禁止されてしまう。


『兄者。もはや馬に乗るのはやめていただきたい』

『なぜじゃ。腕は衰えておらんぞ』

『たしかに技は畿内一でござろう。であるが、その細腕は衰えてござる!』

『なっ……ぐぬぬっ』


 心中ではまだ武士だった彼女が、己の変化を思い知らされるに至る。そして正季は美しい姫になった兄に内心戸惑っている。この表紙はそんなとても美味しいシチュエーションにつながる絵なのだ。ただ可愛いだけの絵ではない。


「センパイはこういう本が好きな人ですよね?」


 伏原くんは小首をかしげて同意を求めてくる。


「いや。そういう本だけが好きというわけではないよ」


 我ながら大嘘だった。子供の頃にテレビで『さんま1/3』を知ってから、僕はTSモノに寄り添って生きている。

 すると伏原くんはクスッと笑い、


「……小生はずっと同志を探していたんです」

「同志?」

「TSFを愛好する同志です。そして、こういった良質な作品について、存分に語り合いたいと希っていました」


 伏原くんは1巻をカバンに入れて、代わりに3冊の文庫本を取り出す。

 井上ひさし『吉里吉里人』。

 小松左京『男を探せ』。

 平井和正『超革命的中学生集団』。

 どれも文豪と称せる、高名な小説家の作品だった。


「――これらは全てTSF要素を含んだ作品です」

「ウソッ!?」

「こんな耳よりな情報をお互いに分け合えたら幸せですよね、センパイ」

「それより『吉里吉里人』にそんな展開あるの? あれってシュールなギャグ小説だった気がするんだけど、ちょっと読ませてもらっていいかな!」


 目の前にある果実さくひんにガマンできず、僕がカウンターに置かれた文庫本に手を伸ばそうとすると、パチン!


「ダメですよ。まだお預けなんですから」


 持ち主の伏原くんに平手で跳ね除けられてしまった。

 別に痛くはなかったけど、年上の僕としては決して気分が良くない。


「何をするんだよ!」

「センパイ。もし小生の同志になってくれたら、もっと詳しく教えてさしあげますよ」


 うってかわって、彼は小さな右手をこちらに差しのべてくる。


「もっと詳しく?」

「はい。たとえばその『男を探せ』はハイレベルな手術モノです。『吉里吉里人』は下巻から脳移植モノになります。ここだけの話、エロいですよ。マンガなら『保守点検の日』はどうでしょう。少しずつ変化していく様子を女性作者ならではの味わいで――」


 TS作品について次から次へと解説を加えてくれる伏原くん。

 その姿はまるで羽の生えた天使のようで、僕は思わず彼の手を取ってしまいそうになる。

 しかし、背後から「小山内くん」と話しかけられたことで、どうにか「ハッ」と我に返ることができた。


「お掃除。中央ホールがゴミだらけなの。小山内くんも手伝って」


 先に帰っていたはずの鳥谷部さんが、また箒とチリトリを持って立っていた。


「ああ……わかった。手伝うよ」


 僕は二つ返事で彼女の後を追わせてもらう。

 ありがたい。彼女のおかげであの場から逃れることができた。

 もちろん伏原くんに他意はないのだろうけど、当然ながら――男から女になる作品の愛好者なんてのはマイノリティだ。少なくともあんな目立つところで話すような内容ではない。恥ずかしい上に「変な勘違い」をされてしまいそうで怖いのもある。


 例えば、ありがちだけど、本当に女の子になりたい人なんじゃないか、とか。

 そもそも、今の世の中はSNSの台頭もあって、己の性的嗜好をステータスのように扱う向きもあるけれど、僕としては心の奥に隠しておくべきものもあると信じていたりする。

 だから伏原くんには申し訳ないけど、TSについて語り合える同志にはなれそうにない。できれば彼にはネット上に情報をアップしてくれる「神」になってほしい。僕はまだ未熟者だから、それを受け取るだけで許してほしい。


「小山内くんが班の仕事以外で手伝ってくれるのは珍しいね」


 ホールで待っていた鳥谷部さんからチリトリを受け取る。


「そうかな。でも今ばかりはホールの掃除が楽しみだよ」

「変なの。ところで明佳くんとは何を話していたの?」

「明佳……ああ、伏原くんにはさっきの本を返していただけだよ。ほら盗んだりしてないからね。ちゃんと返しておいたから」


 僕が汚名返上のためにカバンを開けてみると、なぜか『傾城太平記』の2巻が入っていた。まさか自分でも気づかないうちに入れてしまったのか……いやそんなはずはない。

 なぜなら、カウンターに置かれていた文庫本はともかく、このマンガはずっと伏原くんの手元にあったはずだからだ。


「小山内くん……もしかして手癖が良くないの? 治したほうがいいよ」


 鳥谷部さんはドン引きしている。


「そうじゃないんだ! なぜかカバンに入ってたんだよ!」

「盗んだ自覚すらないなんて。心の病? やだ、近づかないで……」

「ああもう! ちょっと、伏原くんから説明してくれないかな!」


 ところが、忘れ物カウンターから伏原くんの姿は消えていた。

 くそう。よくもやりやがったな。おかげで釈明のやりようがないじゃないか。これからも彼女からドロボウ扱いされ続けたら、どうしてくれるんだ……でもせっかくだからマンガは家で読ませてもらおう。

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