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     × × ×     


 箒とチリトリをぶら下げて、僕は鳥谷部さんの待つ『洋書エリア』へ向かう。

 こうしていると、我ながらまるで品行方正な図書部員のようだ。道行くお客さんも尊敬の念を送ってくれている気がする。勤労少年はブサイクでも美しいのかな。


 もっとも、僕の本心は「美しくもなければ尊敬に値するものでもない」のが実情である。

 中学生ちゃんにはその場の勢い(いわゆるノリ)で殊勝な物言いをしてしまったけど、当然ながら僕はやりたくて図書部の仕事をこなしているわけではない。

 ただ単に退部が怖いから自然と頑張ってしまっているだけであって、でなければバイト代も出ないのに掃除ばかりさせられて心から納得できるものか。


 そりゃ、たしかに中学生ちゃんが言ったように、生徒の身分でも運営委員に選ばれたら甘い汁を吸えるかもしれない。図書館で揃える本を自分好みに変えたり。子供向けの絵本教室の料金をピンハネしたり……。

 だけど、そんなのはハッキリ申し上げて「バクチ」だ。甘そうなお菓子をぶら下げて多くの下級部員をやる気にさせている、上からの方策にすぎない。


 大体、中高で180人を超える図書部員の中で、運営委員に選ばれるのは各学年1名だけであって、しかもほとんどは伝統的に女子生徒なのである。

 そのような、高校球児がドラフトにかかるようなパーセンテージの可能性に賭けている暇があるなら、僕としては別の道で青春を謳歌してみたい。

 そう考えるのはいけないことだろうか?


 せっかくの高校時代を劣化コピーばっかりの図書館の掃除に費やしたくない。

 だけど、追放・退部は避けたい。


「はぁ……」


 どうしようもなく、ただムシャクシャするばかりで、ゆえに全てに身が入らない日々が、ずっと続いていた。もちろん、これは紛れもない責任転嫁であり、中間テストの点数と日々のストレスに因果関係は一切認められていない。少なくとも我が家では認めてもらえなかった。おかげでお小遣いが減ってしまい余計にやる気が失われている。


 ――ここで一つ、内なる自分にクエスチョンを出してみよう。

 本よりもマンガやアニメが好きなくらいなのに、なぜ僕は数ある部活動から図書部を選んでしまったのか?

 あえて、この図書部に活路を見出したのはなぜだろうか?


 それは、春先に貼られていた部員募集のポスターだった。

 TS部にようこそ。

 TSには「としょ」とふりがなが付いていた。


 わかるだろうか。いやわかるまい。


 結果から言えば、ある先生の洒落っ気に過ぎなかった、この英字表記が――僕の鼻に同類の匂いを感じさせてしまったのだ。

 あるいは高校生特有の全能感・現実の中にあるわずかな非現実への期待がアンテナを鈍らせてしまったのだろうと、自己分析してもいい。


 つまるところ、僕はこの部活に、TS・トランスセクシャル(性転換)作品のファンがいると思い込んでしまった。

 もしくは人智を超える技能を持った「なんかすごい人たち」がいて、彼らとキャッキャウフフなルートに分岐するものだと勘違いしてしまった。ついには変身能力とか授かれちゃうのではないかと妄想してしまった。

 要するに「図書部に入れば女の子になれる」と信じてしまったのだ。


 家族にも友達にも言えそうにない、小山内一二三・一生の不覚である。

 こういう失敗はお墓まで持っていきたいなあ……。


 気がつくと、僕はいつのまにか『洋書エリア』まで戻ってきていた。


「小山内くん。なんでこんなに遅いの」


 鳥谷部さんは読んでいた本を静かに閉じる。

 木造のエリアには相変わらず彼女しかいなかった。ただでさえ寒いエリアなのに、一人きりでは余計に寒々しい。

 こんな寂しい場所で女の子を待たせてしまったことに、僕の心は申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 だが、釈明しようにも、僕は知らず知らずのうちに、より致命的なミスを犯してしまっていた……元々彼女に全てやってもらうつもりでいたせいか、肝心の箒を1本しか持ってきていなかったのだ。なんてこった!


「ご、ごめん。鳥谷部さんの分を忘れてたよ! すぐに取ってくるね!」

「嘘つき。私に全部やらせるつもりだったくせに」


 彼女はご立腹である。姫カットが怒りで逆立っている。まずい。どうしよう。とにかく取りに戻るしかない。

 僕は再び『文庫本エリア』へと向かった。今度はできるだけスピードを上げて。

 注意深く歩けば、足音も出ないし、そんなに時間はかからないはずなんだ。



     × × ×     



 彼女と2人で床掃除を終えて、また『文庫本エリア』まで道具を戻しに向かう。

 地元の方言では道具を元の位置に戻すことを「なおす」というのだけど、鳥谷部さんは出身地が遠いらしいので彼女の前では使いにくい。

 当初ひどく気分を損ねていた彼女だったが、彼女の親友・平尾さんの次の当番を僕が肩代わりすることでどうにか許してくれた。一方で小山内投手は中1日である。6人班から2人ずつの近代ローテーション制が確立されているにも関わらず、まるで戦前みたいな起用法だ。小山内・小山内・雨・小山内。室内の部活なので雨でも休めないのは気のせい。


「良い話。平尾と休みを合わせたら、USJに行けるかな」


 まあ、鳥谷部さんが喜んでくれているならいいや。


 ――ところで、前々から、僕にはちょっぴり気になっていることがあった。

 ここ『文庫本エリア』の中央には大きな机があるんだけど、なぜかそこにマンガの単行本がいつも放置されているのだ。

 しかも「読んでください」のメモまで付いているのだから、気にもなってくる。


 一体、誰の仕業なんだろうか。他の人は気づいていないのかな。

 僕は鳥谷部さんに尋ねてみることにする。


「ねえ、そこのマンガは何だろうね」

「マンガ?」


 彼女は箒を脇に挟みながら、器用に『銀齢の果て』を読んでいた。

 先ほど『洋書エリア』の掃除中に機嫌を取ろうと、その本の面白いところを尋ねてみたところ、なんでも町内の老人たちが政府にバトルロワイヤルを強いられる作品らしく、彼女曰くバカバカしいほどの悪趣味にシビれてしまうそうだ。ちなみに著者の筒井氏は自分が古希を迎えるまで執筆を控えていたとのこと。まさしく老人が老人を殺す作品に仕上がっている。

 小説の話はさておき、机に放置されたマンガの件だ。

 僕はそのマンガを手に取る。


「この本のことだよ。ずっと前から放置されているんだ」

「嘘つき。朝来た時には見なかったもの。小山内くんは嘘ばっかり、良くないよ?」


 彼女に白けた目で見つめられてしまう。

 たしかにずっと前からは言い過ぎたかもしれない。僕は慌てて補足を入れる。


「いや、そりゃそうさ、だって放課後になってから置かれているんだから」

「何のために?」

「それはわからないけど……」


 ちなみにマンガのタイトルは『傾城太平記』。作者は中村ワダ子さんらしい。

 中身を開いてみると、作者は豊満な絵柄の美少女を得意としているのがよくわかった。どのコマもおっぱいが豊かでビックリさせられる。とても素敵だ。


「おっぱいばっかり。ストーリーは?」

「太平記だけあって南北朝時代をモデルにしているみたいだよ」

「これが楠木正成?」


 鳥谷部さんの細い指が、ふんどし姿の美少女の立ち絵に添えられる。日本の英傑・楠公のあられもない姿にちょっと納得がいかない様子だ。

 オタクの僕としては、史実の人間や兵器を片っ端から「美少女化」する流れには特に違和感を覚えないのだけど、かといってさほど興味をそそられるわけでもなかったりする。こういうのは性転換モノではなく「女体化」といってまた別のジャンルだ。


 元々男性だったのに女性にされちゃうのが性転換(TSまたはTSF)。

 対して生まれつき女性の設定なのが女体化。あくまで「既存作品のキャラクターや歴史上の人物がもし女性だったら」という想像がメインになっているので、僕たちが求めるような要素は見当たらないことが多い。むしろBL好きの女性たちが、二次創作の中でセックスのシチュエーションの一つとして楽しんでいたりする。


 なぜ僕がここまで詳しいかといえば、まあ、過去に色々あったのだ。用語の定義が曖昧だからネットでの探し物は行き当たりばったりになりがちである。ちなみに土地や兵器なんかの美少女化の場合は「萌え擬人化」と呼ばれたりもする。近年では世界の鉱山を女の子にした『鉱山これくしょん』が人気だ。女の子を掘るという異次元の発想に僕はドン引きだけど。


「ふんふん」


 僕が脳内でこそこそ語っている間に、鳥谷部さんは一人で『傾城太平記』を読み進めていた。

 普段マンガは読まないそうだから、色々と新鮮なのかもしれない。


「鳥谷部さん、それ面白いの?」

「うん。楠木正成が女の子になっちゃって、周りの人たちが慌てているの。弟なんてビックリしちゃって」


 彼女の返答に、僕はドクンと鼓動が高鳴るのを自覚した。

 正成が女の子になったために周りの人たちが慌てているということは、元々は女の子ではなかったということ。

 ならば、ジャンルは女体化ではなくTSになる。


 TSマンガにようこそ!


 俄然、猛烈に読みたくなってしまい、僕は鳥谷部さんにじりじりと近づいてみる。

 彼女の背後から紙面に目を向ければ――そこには我らが希求してやまない桃源郷はじらいが広がっていた。


『なんで、おれがこんな格好に……』

『そう申すな正成。案外似合っておるぞ』

『いくら陛下のお言葉でも嬉しくありませぬ!』


 帝から女性らしい服装(十二単)を褒められて、正成が恥ずかしそうにしている。

 このマンガ、お約束を踏んでやがる!


 他にも友軍の護良親王になにやら恋のような感情を抱きそうになって慌てて自制したり、ゲスな兵隊に貞操を狙われそうになって泣きじゃくったりと、まるでTSモノの教科書のような展開が続いていた。

 僕は心から確信する。

 間違いない。これは「わかっている人」が描いている作品だ。

 本人の意志とは別にどんどん女の子らしくなってしまう。本人もやがて受け入れざるをえなくなる。

 そんな心の揺れを描いた、100パーセントのTS作品。


 あとはラストまでに元に戻らなければ120パーセントになり得る。もちろん変身アイテムを使って女の子になるような可逆モノもおいしいけど、僕としては元に戻らないのがベターどころかベストだ。これだけは人生を賭けても譲れそうにない。

 元に戻れなくなって、意中の人と結ばれてこそのTS作品……とまでは言わずとも、自分の好みは「ここ」にある。あえて意中の人としたのは百合でも(僕は)イケるからだ。


 そんな具合で中村大先生の傑作に夢中になっていると、ふと僕は、鳥谷部さんの顔がこちらに向けられているのに気づいた。

 ちょん、とささやかな肘打ちが飛んでくる。ふわりとシャンプーの匂いもしてくる。


「あ、ごめん。近づきすぎたかな」

「うん。でも私もごめん。本を独り占めしてた」


 彼女は若干距離を取りながら『傾城太平記』をこちらに手渡そうとしてきた。ほんのり頬が紅色なのは恥じ入っているからだろうか。別に独り占めされてるなんて感じてなかったけどなあ。


 彼女からマンガを受け取って、僕は心拍数が上がるのをハッキリ自覚する。

 やはりTSモノに触れるドキドキは代えがたいものがある。特にこんなクオリティの高い作品となれば尚更だ。この分だと読む場所を変えたほうが良いかもしれないな。女の子の前では欲望をスパークさせづらいから。


 ああ、でも早く読みたい。ムフムフ言いたい。サブヒロインの新田義貞ちゃんが北条得宗家の呪いで次第に若い女性に姿を変えていくシーンを心行くままに楽しみたい。TSモノは過程にも美味しさがあるジャンルなのだ――うん。ダメだ。やっぱり場所を変えよう。


 僕はさっそくマンガをブレザーのポケットに入れようとした。

 ところが、よくよく考えてみると、当然ながら人のモノを盗んだら泥棒である。もちろん僕にそんなつもりはなかった。ただ一人で読むことだけを考えていたのだから。

 だけど他の人からしてみれば、決して正常な姿には見えなかっただろう。持ち主不在の品をポケットに入れるだなんて。


 鳥谷部さんは目をパチクリさせながら、


「どろぼ、どろぼう……」

「いやいや違うんだ! 何も考えてなくて!」


 その場を取りつくろおうと必死になりながらも、内心で僕はいつものように「嘘つき」と呟かれるのを覚悟していた。

 ところが彼女は、なぜか「バカ」と口にするだけで、他には何も言ってこない。


「えーと、鳥谷部さん?」

「これを入れてくるから。待ってて」


 いつのまにか僕から箒を取り上げていた彼女は、一人でトコトコと『文庫本エリア』の階段を登り始めてしまった。

 残された僕には、その様子を眺めることしかできない……まあ、延々と女の子を見ているわけにもいかないので、途中からマンガに目を移した。

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