1-1 ホンガール
× × ×
中央区にある私立図書館『むらやま』は極悪非道の園である。
表向きは一般客にも開かれた学校図書館として明るくふるまっているが、裏では無垢な生徒たちを『図書部員』として奴隷のように使役している。
学校側は生徒たちに社会経験を積ませるためと正当化しているものの、つまるところ施設の維持にかかる人件費を安く抑える方便なのだ。おかげで館内には司書以外の大人がおらず、生徒たちは掃除や本の管理に忙しい。
なお、この『図書部員』は志願制であると共に、特にやることのない生徒を先生が引っ張ってくることもしばしばあるため、実質的には「帰宅部員」を強制的に働かせているようなものである。
この方針に生徒が刃向った場合は、生徒の代表からなる運営委員により部員登録を抹消されてしまう。すなわち退部扱いとなる。
「やったぁ! これでタダ働きしなくて済むぜぇぇぇぇ!」
かつて、ある男子生徒(Tくん)はそんな大げさな喜び方をしていた。
お金も出ないのに、学校の施設の手伝いをさせられる。
そうした状況から解放されるのは、たしかに喜ばしいことだろう。
しかしながら、彼を待っていたのは決して楽な道ではなかった。
府下有数の進学校である我らが群山学園は文武両道を標榜しており、全校生徒は何らかの部活に入らなければならない規則がある。そのため、この退部扱いは相当ハードな処分だったりする。
なぜって、もう5月になるのに今さら他の部に入れてもらうなんて……ねえ。気の弱い子には耐えられないだろう。学校が部活振興に力を入れている分、大半の部活が強豪なので、活動レベル的にも後から追いつくのは困難だ。
Tくんはすぐに頭を丸めて『図書部』に戻ってきた。復帰してからの彼は、以前のように仕事もせずに不満を漏らす奴ではなくなった。運営委員の監視を恐れているのだろう。
かくいう僕もできることなら退部は避けたいので……部活に不満はあっても、人目のあるところでは文句を垂れないようにしている。
今は近くに誰もいないから、何でも叫びたい放題だ。
「やだなー。やめたいなー。ゴミなんて拾いたくないなぁ!」
僕は文句を口にしながらも、手すりの汚れをチェックしたり、カーペットの上に捨てられていたガムの包み紙を拾い上げたりと、自分の本分を全うする。
口ではイヤと言いながら身体は調教されちゃっているのだ。まあ、雑な掃除をすると退部させられるから仕方ない。
うーん。包み紙にかすかにホコリが付いているから、この辺りの床には改めて箒を掛けてやらないといけないな。
あとで
やる気のない僕だけでやってしまうと、古そうな本棚を傷つけてしまいかねない。それはまずい。委員に見つかったら大事になる。
それなりに新しい施設なのに「旅行先になる図書館」を目指しているために、やたらと古い木材を多用しているのがこの図書館の悪しき点だ。
特にここ『洋書エリア』はダブリンのトリニティ・カレッジを模しているので、とても数年前に建てられた施設とは思えないほど全体的に茶色い。聞いた話では、わざわざアイルランドから古い木材を持ってきたらしい。
おかげで、掃除の時にはいつも気苦労を強いられる。柱でも本棚でも、傷をつけてしまうと安易に修理できないのだ。平成の時代にそんな施設を建てないで欲しい。
「やめたいな……って。なにがイヤなの。こんなに素敵な図書館なのに」
振り返ると鳥谷部さんが立っていた。
つややかな黒髪を前でパツンと切りそろえた、いわゆる「姫カット」のお嬢さんだ。長いまつ毛の下には瑠璃色の瞳が控えている。落ち着いた鼻立ちとくちびる、ほっそりしたあご。身体も細い。
茶色い世界の中で白い息を吐いているのは、この部屋がいつも寒いからだろうけど、ブレザーの黒色に映えるという絵的な効果も感じさせられるから、ひょっとすると「わざと」かもしれない。
彼女は美人だから、きっと自分の見せ方をよくわかっているのだ。
まあ、本当は単にため息をついただけなんだろうけど。
彼女は僕と同じ1年生だ。僕のような不埒な理由ではなく「できるだけ本に触れたい」と考えて図書部に入部された方なので、部活動に対してとても真摯である。
曰く「本を愛している」とのこと。
初恋の相手はお父さんの書斎なんだとか。
そんな人だから、部活をサボっている者・サボろうとしている者には決して容赦してくれない。口頭で注意しても効果がないとみれば、すぐに立場のある人に報告してしまう。仲間内での村八分もなんのその。鳥谷部さんにとって運営委員への密告なんてのはパンにジャムを塗るよりも気軽な行為なのである。
おかげで部内では「チェキスト」なんて不名誉な渾名を付けられていたりするけど、基本的にはマジメに部活に取り組んでいる文学少女だ。
今日も彼女のブレザーの脇にはハードカバーが挟まれていた。
筒井康隆の小説『銀齢の果て』。
どうやら彼女が個人的に借りている本らしい。背表紙にラベルが張られている。まあ、マジメな彼女のことだから私物の本を持ちこんだりはしないだろう。図書館の本に紛れると面倒だからね。
そんな鳥谷部さんに、僕は外面を取りつくろいながら返事をさせてもらう。
「イヤだなんてとんでもない。この素敵な図書館を褒め称えていたんだよ!」
「嘘つき。いくらなんでも声が大きかった。バカ」
鳥谷部さんは顔を紅くして天井を指差した。天井が吹き抜けだから独り言でも響くらしい。僕は思わぬ事実に驚かされる。これからはこのエリアで文句をたれるのはやめておこう。
ともあれ、文句に気づいたのが彼女で良かった。同じ班なら連帯責任だから、彼女も告げ口は封じてくれる。自分を巻きこむような不手際はしない人だし、そこまでガンコで融通の利かない人でもない。
「ところで、あの本棚の近くにホコリがたまっていてさ」
それに、ちょうど呼びに行く手間が省けた。
× × ×
床のホコリを集めようにも、肝心の箒がなければどうしようもない。僕たちがこのことに気づくまで、おおむね5分くらいかかった。
いっそ素手でホコリを拾えるくらいになれたら楽なのかもしれないけど、やっぱり人は誇りを持たないとね……なんて小話をしたら、鳥谷部さんには白い目を向けられた。わかってくれてよかった。
ダジャレに厳しい彼女には『洋書エリア』で待っていてもらい、僕が独りで『文庫本エリア』まで掃除用具を取りに行く。
ここ『むらやま』は中央ホールを中枢として放射状に施設が広がっており、エリア間の移動にはさほど時間はかからない。
アメリカの議会図書館を模した中央ホールから北に曲がれば、ロサンゼルスの大学図書館を真似したオシャレなレンガ造りの『文庫エリア』が見えてくる。
どこも余所のコピーばかりで、日本人の気概はどこへやらとボヤきたくなるけど、一応外観だけは東大寺大仏殿の縮小コピーだったりする。レオマワールドみたいだ。
そんな『文庫本エリア』は今日も暇そうな生徒や大学生でいっぱいだった。
いわゆる「ゆりかごから学士帽まで」の教育を行っている当校ならではの光景だ。
人によっては「群山は16年かけても昼間から自主休講を決め込んでラノベで鼻の下を伸ばしている大学生しか生み出さない」なんて言われ方もされるけど、僕たち図書部員にとっては大切なお客さんである。
音を立てないように、忍び足で階段を上る。
中二階、中央の吹き抜けを見守るように配された廊下をぐるりと歩けば、壁側に掃除用具の詰め込まれたロッカーが見えてきた。どうしてこんなところにしかロッカーがないのやら。格好つけた施設のくせに利便性は良くないんだよな。
僕は悪態をつきながら、箒とチリトリを取り出す。
「そんなの何に使うんですか、センパイ!」
灰色のロッカーを閉めると、右手側に中学生ちゃんが立っていた。ちょうど扉の向こうに隠れていたような形だ。
彼女は名が示すとおり女子中学生なので僕より背が低いけど、鳥谷部さんより胸が大きい。中等部の柔らかいセーラー服が似合う女の子である。ニーソックスも眩しい。
「箒なんて、お掃除以外の使い道があるかな?」
僕は取り出したばかりの箒を掲げてみせる。
「えへへ。例えば空を飛ぶとか」
中学生ちゃんは冗談めかして、中央の吹き抜けを指差した。どこぞの魔法少女のように飛んでみろとの意味合いらしい。
残念ながら、僕に変身できる力はない。何をどう唱えてもフリフリドレスの女の子に変わることはできない。
「ここから落ちたらお客さんの迷惑になっちゃうよ」
「おお。自分のことよりもお客さんの心配なんて、図書部員の鑑ですね、センパイ!」
中学生ちゃんは声を弾ませた。
この子、かなり前髪を伸ばしているから表情が窺いづらいんだけど、笑ってくれているのは口元でわかる。
だから僕は背筋を伸ばして、
「まさか。人として当然のことを言っただけだよ」
「やだぁ。ますます素敵です!」
彼女は「もしかしたら運営委員に選ばれちゃうんじゃないですか。マジメにやっていれば良いことがあるって他のセンパイ方も言ってましたし。
小山内センパイが委員に選ばれたら楽しくなりそうですね!」
ひとしきりおべんちゃらを吐いてから、さもおもちゃに飽きたかのように去っていった。
中学生ちゃんはいつもこうだ。すぐに去ってしまうので未だに名前を訊けていない。もう知り合ってひと月にもなるのに。
あっちには「
でも本当は「ひふみ」だったりする。
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