淅瀝の森で君を愛す

まるた曜子

1

今日、お兄ちゃんが甥っ子を連れてくる。


 まだ籍は入れてないけど、この間奥さんになるひとを連れてきて、お父さんとお母さんとごたぁーいめぇーんと言うのを済ませたので、今度は奥さんの人の子供を連れてくるのだ。


 この間から微妙に機嫌の悪いオヤ2人に挟まれて居心地の悪い家だったので、ちょっとその子が心配。前回は「大人の話し合い」とかで、あたしはあいさつだけで閉め出されてしまったから詳しいことは知らない。でもまあ、端々から、お兄ちゃんは騙されたんじゃないかとかあんなとこの女じゃとか、オヤが言ってるのを見るとね、妹としても心配にはなる。でも結婚は既定路線になったんだし、もうお腹に赤ちゃんがいるんだし、甥っ子になる子に居心地悪い思いをさせたくないなあとは思うんだ。


 お父さん達の機嫌が悪いのは、お兄ちゃんが出来婚で、もう反対のしようがないとこ。あたしはまだ14歳だけどお兄ちゃんはもう25だし、相手の人も27歳で充分大人だから、結婚させないなんて意地悪はできないもんね。初孫だから堕ろすなんてさせたくないってお母さんが独り言みたいに言うのも聞いた。よっぽど相手の人が微妙みたい。あたしは最初に数分会っただけだけど、けっこう華やかで綺麗な人だったから全体的にボンヤリした見た目のお兄ちゃんには勿体ないしおめでたいと思うんだけど。いやでもお兄ちゃんはすごくいい人だよ。ウチの仕事って裏方は結構大変なのにいつもニコニコしてて、「ミサトさんとこは2代目でも安泰だね」とお客さんの評判もいい。


 で、奥さんのひとは店のお客さんで出会ったんだって。

 むしろいいよね。田舎の小規模スーパーの、自営業の奥さんなんて正直そうそうなり手がいないって家族で思ってたし、30超えたら見合いで探すってお兄ちゃんも言ってた。そんな人と恋愛結婚してウチに入ってくれるっていうの、喜ばしいと思うんだけど。


 たださ、11歳違うお兄ちゃんより、連れ子のほうが歳近いってのがちょい微妙。8歳の男の子。しかもオーストラリア?人とのクォーターだそうだ。なんかかっこいい。しかし14歳にして叔母さんになるこの事実。おばさんかあ~。くうう。

 ダメージはあるよ、そりゃ。これから生まれてくる子はまあしょうが無いけど、この歳でいきなり6歳むっつ下の子に「おばさん」って呼ばれちゃうとさ。……まあでも。

 お兄ちゃんにも「舞生まおは年が近いし、弟ができるようなもんだから、いろいろ教えてやってくれないか。チチオヤになる俺より、舞生のほうが懐くと思うんだ」って頼まれてるしね。かわいがるんだ。かわいいといいな。でも男の子だから乱暴だったりするかな。お店を手伝ってるととんでもないコドモっていっぱいいるからああいうのだと嫌だな。ちょっと気になったのは「少し環境が悪いところで育っちゃったからびっくりすることもあるだろうけど」って前置きがあったことだ。その辺も、お父さん達が嫌がってる原因なのかなあ。


 なんとなーく空気がぴりぴりしてるリビングで、やっと待ちに待ったお兄ちゃんの「ただいま。連れてきたよ」という声が玄関から響いた。

 パタパタとスリッパの音を立てながらお兄ちゃんに続けて入ってきたのは、柔らかい栗色の髪の、灰色の瞳の男の子だった。




 なにこれ、お人形? 生きてんの?

 同じ人間とは思えないかわいさなんだけど。なんか雰囲気独特だし。


 デニムのズボンにボーダー長シャツ、生成りのアウトドア風ベスト。すごく男の子っぽい服装なので疑わないけど、ボーイッシュな女の子って紹介されたら騙されるかも。なんかすごく綺麗。綺麗な顔立ちの、でもけしておんなのこには見えない、不思議な外見。ふわりとしたまなざしでニコリとされて、お父さんもお母さんも陥落した。もちろんあたしも。


 お兄ちゃん何言ってるんだろ、かわいがるよ!! こんなこ、かわいがらないわけないじゃん!


「あらためて、こちらが石波結花いしなみゆうかさん、この子が夏生なつき。俺の家族になります」

 床に並んで正座して頭を下げるお兄ちゃんにハッとして、慌ててあたしもソファから滑り降りてあいさつを返す。お父さんは「まあ座んなさい、そんなとこじゃなくて」と向かいのソファを指差した。よかった、フローリングで正座なんて足が痛くて痺れちゃう。


 そこからはギクシャクしつつも和やかで、ほっとした。お父さんとお母さんはお店で見かけてたらしいけど、テーブルを挟んで向かい合って、始終ふわふわニコニコとしてる夏生くんは大人しかったし、お母さんに出されたジュースを飲みながら時々クッキーを囓ってる姿は外国の映画のワンシーンみたいだった。クォーターなのでまるきり外国人って感じじゃないのが余計にいい。髪もクリームがかった栗毛で、色の薄い子ならいるかな? ってくらいだし、灰色の目も伏せてるとぱっとはわからない。でも正面から見ると日本人の黒い目とはやっぱり違って、虹彩がくっきり放射状に並んでて、もう見てるだけでため息が出た。これから3ヶ月で家を増築して、お兄ちゃん達は実質二世帯住宅みたいにしてここに同居するのだ。すっごい楽しみ。


「よろしくね、夏生くん」

 帰りがけ、そっと声をかけると、こくりと頷いて、またにこっと目を細めた。




 増築した部屋にお義姉さんとなあが引っ越してきて、バタバタしてるうちに産み月がきて、春菜が産まれて、お披露目も兼ねた結婚式と披露宴を済ませた嵐のような1年が過ぎた。その間にあたしはなあとすっかり仲良くなった。お義姉さんが夏生くんをなあと呼ぶので、うちの家族もそれに習った。


「なあ、それ間違ってる。こっちの計算と一緒だよ、数字が違うだけだよ?」


 あたしの部屋でクッションを座布団代わりに向かい合って勉強するのもすっかり慣れてしまった。ひとりの時は学習机も使うけど、このローテーブルかキッチンの食卓で一緒に勉強するのだ。あたしは中3になって高校受験真っ最中だけれど、志望校にはA判定出てるし勉強は嫌いじゃない。昔はお兄ちゃんがつきっきりで見てくれたので、その恩返しをなあにしてる格好。そもそもスーパーおみせの定休日は月2しかなくて他の家族はみんなほぼ休み無しで店に出てるから、あたしとなあがこうして余るのだ。一緒の時間も増えるというもの。


「なつきとまおは、読み方が違うけど同じ漢字が入ってるよ」

「……これ」

「そうそう。なあは夏に産まれたから夏生なんだね」

「まおは? いつ産まれたの」

「こら、人を呼び捨てにしない。あたしは春だよ。桜が舞うから舞生。春菜ちゃんと一緒だね」


 なあの面倒を見るのは全然嫌じゃない。最初も「お母さんは春菜の世話で忙しいから、夏生くんはこっちで遊ぶ?」とあたしが声かけたし。けど、遊ぶとしてもゲームくらいで、なあが持ってるのはゲームボーイカラーとポケモン一式。あたしはキャラクターはかわいいと思うけどゲーム自体にはもう興味なくて、しかもあんまりお互い趣味らしいものがなくて、こちらは受験生だし勉強でも見ようか、となってから驚いた。


 すっごいアホなのだ。


 初顔合わせの時、全然喋らなかったのは「喋るとバカがばれるから黙ってなさい」とお義姉さんに言い含められてのことだったそう。うわあ。こんな子供で外見サギ。

 本もほとんど読まないし、書き取りはひらがなから怪しいし、計算は九九ができないし、理科社会は「?」とあの天使のようなほほえみで首を傾げた。正直青ざめた。なあはもう小3なのに、分数どころじゃない。文章題が理解できないって、こういうことなんだ。たかしくんが500円持ってみかんとリンゴを買いにくるのはスーバーうちなのよ! と頭を抱えた。


 幸い、なあはやれと言ったことは黙々とやるので、漢字書き取りや足し算引き算の反復学習はここ半年みっちり仕込んだ。やったそばから流れ出てるようだけど、少しずつは堆積してきてるのもわかったので、こちらとしても少しは安心だ。国語の問題文をつきっきりで解説したり、九九を復唱させたり、家庭教師みたい。


 そうして休憩を挟みつつ、勉強が終わったらなあはあたしに寄りかかってあたしの差し出すお菓子を食べる。足の間になあを挟んで、背中から抱えるようにして後頭部しか見えないなあにつまんだビスケットを寄せると半分ほど囓り割った。


 なあは、少し甘えん坊だと思う。全体的に幼い感じがする。


 これだって、最初はなあがムリヤリ膝に乗ってきて、ちょっと気恥ずかしかったあたしが理由を訊くと「ママはそうしてた」ときょとんとした。お義姉さんも、お兄ちゃんより年上なのにちょっと子供っぽいところがあるから、なんとなく情景が浮かぶ。そのお義姉さんは今、春菜の世話にかかりきりなので、なあは寂しいんだと思う。


 なんと、お義姉さんは初婚だった。なあの実の父親は妊娠したカノジョを置いて消えてしまって、ひとりで産んでひとりで育ててきたんだと聞いた。「顔はとってもステキだったの。でも子供なんていらないって、捨てられちゃった」。お義姉さんは笑ってたけど、そんな人と結婚しなくてよかったと思う。お兄ちゃんは顔は大したことないけど、愛情ならたっぷり持ってる人だ。


 今、お兄ちゃんの愛情は一番に春菜に注がれてて、次にお義姉さんで、なあとあたしが同じくらいだと思う。だけどお店が忙しくて、なかなかなあまで手が回らないのが寂しいらしい。正直今までのお兄ちゃんは妹好き過ぎてうざかったので、愛情が分散するのはありがたい。ほっとかれるようになってあたしはうれしい。いつまでもお兄ちゃんべったりなのも、ねえ。


 そんなわけで、なあは独占してたお母さんが少し遠くなって、あたしに甘えてるんだと思う。春菜が産まれるまではお兄ちゃんとお義姉さんと3人で寝てたけど、春菜が産まれてからは朝の早いお兄ちゃんは(泣く泣く)元の自分の部屋で寝ることになって、なあも新しく用意された子供部屋に布団を移されて、



 その日のうちにあたしのベッドに潜り込んできた。



 全然気がつかなかった。朝目が覚めてビックリした。

 ビックリしすぎて声の出ないあたしを、寝ぼけ顔で見上げて、にこって笑ってまた寝てしまう。


「えっ、ちょっ、なあ!? 何してんの、起きて!?」

「起きるの……? なんかする?」

「なんかって何!? ちょっと! くっつかないでよ、寝ないってば、起きるの! 学校! なあも学校、起きなさい!」

「がっこう……」


 隣町からの引越でも、学区が変わったので転校することになったなあは、授業はともかく学校は普通に通ってるのだけど、いかんせん朝が弱い。眠そうななあを揺り起こす。

 悲しげに口をへの字にしてもぞもぞと起き出したなあを急いで部屋から追い出した。花も恥じらう15歳が着替えられないでしょう!?


 その朝はもう時間が無くて話ができなかったけど、夜にあらためてなあに訊ねた。すると実はひとりで寝たことがほとんど無いと言い出した。ほんとはお母さんがいいけどダメだから、とりあえずもう寝てたあたしの布団に入ったって。ナニソレー。びっくりしたこっちの身にもなってよ。だいたいもう小3じゃん。甘やかされすぎじゃない?


 でも結局、お義姉さんの懇願もあって渋々一緒に寝ることを引き受けた。まああたしもお兄ちゃんには甘やかされてたから、ぜんぜんわかんないわけじゃないんだ。


 といっても、なあの布団を持ってきて、隣に敷いただけだ。さすがに毎日同じ布団で寝るのは嫌。春菜の授乳が落ち着いて、夜にちゃんと寝られるようになるまで、応急処置で我慢するだけ。


 ―――そして現在、春菜が夜泣きしなくなった今も、なあは布団を持ってジプシーのようにあちこち渡り歩いて寝ている。拠点はあたしの部屋で、お父さん達の寝室やお兄ちゃんの部屋、春菜のいるお義姉さんの部屋。

 なあは本当に、誰かがいないと眠れないのだ。


 もう9歳になるのに、これでいいのかなあ。

 寄りかかってくるなあを抱えながら、でもあたしも忙しい両親に代わってお兄ちゃんに山ほど構ってもらって暮らしていたので、基準がよくわからない。なあは同い年の子達と遊ぶより、大人といる方が好きみたいだ。あたしは大人じゃないけど、なあは一番あたしのそばに来る。


「まお大好き。おかしくれるし優しいし」

「おじいちゃん達だってくれるでしょ」

「でも春菜のほうが好きじゃん」


 否定はできない。お父さん達はなあをかわいがっているけど、血の繋がった、しかもあんな小さな赤ちゃん相手じゃ、実のムスメのあたしだって放置気味だもん。自分の親が「じいじ・ばあば」になっちゃってちょい引きです。


「まおはおれが一番だよね?」

 そんな確認がでるのってちょっと寂しい。愛情に飢えてるってこういうことなのかなって、なあを見てると思う。

「うん、そうだよ」

 もたれてた身体を捻ってあたしを見上げるなあに、そう返すとなあはくすぐったげにほおずりする。場所的にそこは一応胸なので勘弁して欲しい。あたしはなあのお母さんじゃない。


「なあ、今は春菜ちゃんがタイヘンだからみんなあっちを見てるけど、なあのこと嫌いな人なんていないからね? おじいちゃんもおばあちゃんもなあのことかわいがってるでしょ」

「うん、誰も痛いことしないし、変なもの食べなくていいし、みんな好き」


 んん?

 どういう意味?


「でもまおが一番好きだよ。まおだったら痛くても我慢する」

 えーと。何が?


「なあは痛いの嫌なんだよね」

「うん」

「じゃあしないよ。あのね、人が嫌がることはしちゃダメなんだよ。だからなあが嫌がることなんてしない。なあも他の人にしちゃダメだよ」

「まお大好きだ」


 くるりと向き直って抱きついてくるので、仕方なく抱き返す。わかってんのかなー。

「まおはずっといてくれる? いなくならない?」

 ホントに小さい子みたいな質問を。

「いつかはこのうちは出て行くだろうけど、いなくならないよ」

「……いなくなっちゃうの」

「なあとはずっと仲良しだよ。むしろなあがおっきくなったらあたしなんかほっとかれちゃうんだろうなー」


 なにしろなあは激烈かわいいのだ。今はこんなだけど、中学生くらいになって、もっと男の子っぽくなったら周りが放っておかないだろう。今だって店内をふらふらするなあ目当てのお姉様方で来店率がアップしている。店の手伝いを始めたら同級生達もぜひお買い物していって欲しい。ついでに万引き減らないかな、「なあに嫌われますよ」とかって。


「おれまおがいい。勉強もがんばるから、ずっといて」

「えー、ずっとは無理だって」

「やだ。どこにも行っちゃダメ。まおはおれのなの」

「なにそれ、あっどこ触って、やめ、あはは、くすぐった、こら! ……もう。わかったよ、なあといるから」

「約束だよ」

 頷いた。こんなのちっちゃい子が「ママと結婚する!」って宣言するのと同じだ。あたしだってお兄ちゃんにしたって。忘れちゃったけど。いつかなあから破られちゃうよな、と思いながら。




 高校は順調だった。部活は合唱部に入って、文化祭には毎年なあを呼んだ。相変わらず綺麗でかわいいなあは大好評で、連れて帰っていいかなとセンパイに真剣な顔で拉致宣言されたりしていた。




 大学受験も予備校には通わずに済ませた。学校が放課後に開催する小論文講習と強化補習でどうにかなった。無料で教えてくれるんだから、その方が得だ。もっと小さい頃は、みんなが通ってる塾に行ってみたかったけれど、高校に上がってお義姉さんと一緒に経理を手伝うようになると、そんなお金はどこにも無いことがばっちりわかった。経営って容赦ない。


 そんなこともあって、大学に行かせてくれるという両親に感謝しつつ、あたしは公務員を目指すことにした。もし万が一、スーパーうちが潰れても、あたしは潰れない職に就いておこうと思うのだ。もちろんあたしのお給料で家族7人を養えるとは思わないけど、セーフティーネットになれればいいなって。


 少しいい大学が目指せそうなので、一人暮らしの許可も取った。本当は家から通いたかったけど、志望学部が通える範囲ではなかったし、先生の奨めもあった。


 なあはよくわかってなかったみたいで、合格発表の日、あたしが零した「部屋を探さなきゃ」という呟きに目を見開いた。


「ここから通うんじゃなかったの」

「うん、ちょっと遠いんだ。電車じゃ2時間近くかかっちゃうから時間がもったいないなって」

「いやだ。通ってよ」

 小6にもなって口調が子供っぽい。


「ごめんね、でもそこに行きたいの。なあはあたしが勉強好きなの知ってるよね。好きなことがしたいの」

「…………」


 ふて腐れたように顔を逸らし、黙り込むなあをきゅっと抱いた。なあと暮らしているうちに、なあに対しては過剰なスキンシップに慣れてしまった。海外なんて行ったこともないのに、外国人みたい。お兄ちゃんも時々あたしとしたがるけど、垢抜けない日本人顔の兄妹がそんなことするのありえない。現実離れしたなあだからできるんであって、この状況を客観的に見たいとは思ってない。


「ちょこちょこ帰ってくるよ。なあも遊びに来なよ」

「絶対だよ」

「うん」

「絶対いくからね」

「うん」

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