第22話 バラのくちづけ

□第22話□

□バラのくちづけ□


 ――ベルリン。“M” 教会にて。


「この辺に、空輸した時の梱包材がある筈じゃ」

「“ジレとアデーレ” を包み直すのですか。お手伝いさせてください」

 むくとウルフは、Ayaと教会で別れた後、ウルフの若かりし頃描いたと言う、“ジレとアデーレ” を丁寧に梱包した。

 ウルフは、BMWにそれを乗せた。

「宿を取ってあるからの。少し遅いが、そこ迄ドライブじゃ。休んでてええぞ」

「このお車なら、大丈夫です」

「無理は禁物じゃ。儂のコートを掛けなされ」

「ありがとうございます」

 暗い車窓にむくはうとうととした。


  ***

 

 ――“S” 城ホテル。夜。


「むくちゃん、ここがお宿じゃ」

 絵と軽い手荷物を持ち、ベルボーイにトランクを運んで貰った。

 そこは、ライトアップされていた。

「わあ、素敵な所です。シンデレラとふと会ってしまいそうですよ、ウルフおじいちゃま。このお城のホテル、スケッチブック持って来れば良かったです」

 むくは、一五歳らしく、手を合わせて明るい声を出した。

「そうか。むくちゃん、スケッチブックか。気が付かなかった儂を勘弁しておくれ。少し元気になって良かったの」


「このお部屋だそうじゃよ」

 むくは、入るなり、猫足のソファーにぽすんっと座った。

「スケッチブックは、大丈夫です。この目に焼き付けます」

 目をきょろんとしてみた。

 そして、何かを見つけた様であった。

「うふふ。天蓋付きのベッドってあるのですね。物語みたいです」

 ふかふかな触り心地にうっとりした。


「さてさて、むくちゃん。この絵のお話をしてもよいかの」

「はい、お願いします」

 “ジレとアデーレ” は、再び明るい所に出され、ソファーに座らされた。


「この絵はじゃな、儂の父と母を描いたのじゃよ」

「まあ、そうなのですか。では、ジレひいおじいちゃまとアデーレひいおばあちゃまですね」

 にこりとして傾げた。

「もう親しみを込めてくれるのか、むくちゃん。嬉しいの」

「アチャ。恥ずかしいです」


「それでの、にゃんこっこで話した通り、昔、父は信頼を置かれる地元の医者、“Gillesジレ Müllerミュラー”、母は優しい町娘だった、“Adeleアデーレ Albertアルベルト” と言った」


「一九五九と描いてあるのは、製作年ではなく、その頃の写真だと言う意味なのじゃ。儂は、一九六〇年生まれじゃから、もしかしたら、じいじもいたかの」


  ***


 ――一九五四年。

 アデーレは、朝は果物屋の売り子、午後は、花屋の売り子をして一日中でもせわしなく働いていた。


 ある日の朝。

 市場の果物屋では、明るく働く娘が、少しばかり評判になっていた。

「旦那さん、おはようございます。こんなに二つも檸檬を買って、レモネードでも作るのかしら?」

 アデーレ=アルベルトは、いつも朗らかであった。

 長い髪は後ろで纏めて、エプロンが似合い、シャボンの香りがした。

「お、お勘定です」

 ジレ=ミュラーは、不器用であった。

 服装も地味でお堅い感じがした。

 いつも、お勘定しか言えない。

 釣り銭も要らない丁度のお金を渡すのであった。

 果物は、二つずつ買って行った。

「いつもありがとうございます」

 にこりとすると、尚更愛らしかった。


 その日の夕方。

 一本向こうの道の花屋、“Liebeリーべ” は、野に馴染む物もあったが、何と言っても、“Roseローゼ” バラが目立った。

「こんばんは、旦那さん。バラですね。承りました。おいくつ作りますか?」

「いっ一本」

 バラは、一輪ずつ買って行った。


 あくる朝。

「おはようございます、旦那さん。葡萄ぶどうですか。二つもですか。あはは、今度は、葡萄酒かしら」

 その晩。

「旦那さん、こんばんは。今日は何のお花ですか?」

「バラを」

「まあ、毎日贈られているのかしら。おいくつ作りますか?」

「いっ一本」


 ジレは、アデーレの働く所へ、朝な夕なに通いつめていた。


 “Liebeリーべ” にて。

「旦那さん、こんばんは。今日もバラですか?」

「きょ、今日は……九月一九日は、アデーレ=アルベルトさんのお誕生日ですね」

「え、ええ……」

「バラを、貴女の年の数だけあります」

 みずみずしい花束を差し出した。

「ま、まあ、どうしましょう。この為に毎日いらしてくださったのですか?」

「私は、この日を待っていました。私とお付き合い願えませんか? 私は、ジレです。ジレ=ミュラーです」

「おお! なんと言う事でしょう。ジレちゃんなのですね?」

「はい、私は、ジレです」


  *** 


 ――一九三八年。一〇月。


「ジレちゃん」

「アデーレちゃん」

 二人はそう呼び合う仲の良い幼馴染みであった。


 所が、この二人にも別れていた時があった。

 二人共、八つの頃に、それは起こった。

 アデーレが、家族で信仰していた宗教が国策と合わない、いや、利用したのか、旅券に“J”の刻印を無理矢理付けられて、会いに行けなくなった。

「アデーレちゃん。生きていてくれたなら、それでいいから……」

 ジレは、祈る日々が続いた。

 子供たちには何が起こったのか分からなかた。


  ***


 ――それから、一六年経った。


 町娘は、伴侶を得た。

 そして、待ち続けていた幼馴染みに、バラで隠したくちづけを贈った。

 淡いシャボンの香りがした。


  ***


 ――五年後。一九五九年。


「お義父さまに、お願いしましょう。貴方……」

 赤ちゃんに恵まれた時、二人はあたたかい家庭で写真を撮った。

 どんな想いで家族の笑顔がこぼれたのか……。

 今なら、そのお腹の子にもわかるであろう。


 Wolfgangウォルフガング Albertアルベルト Müllerミュラー

 美しく闘う軍医、“白銀のウルフ”……。

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