第21話 渚の抱擁

□第21話□

□渚の抱擁□


 ――オレンジ色の小さなコテージ。Kouを叫んで、未だ二分一七秒。


 バギューン。

 バンバン。


 Ayaに銃を向けるのは、愚かな事であった。

「OK、そこにいるのね、仔猫ちゃん達!」

 “Schwarzシュヴァルツ Dracheドラッヘ” が火を吹いた。

 ドシュッ。

「左手よ」

『うぐはっ』

 カッカラカラカラ。

 コテージの見張りは、武器を落とした。

 Ayaは、薄暗くとも、ダメージを与えるポイントがわかる天賦の才があった。

 先ずは左利きの女を狙った。


「残り三人も、お覚悟!」


「次、左腿」

 ドシュッ。

『ぎゃあぶっ……』

 カラララ。

 男は、痛さに悶え、どさりと倒れた。

 

「右手ね」

 ドシュッ。

 ぴしっと銃が弾かれた。

『お、お……』

 呻くしかなかった。


「右足首」

 ドシュッ。

『鬼女! ぎゃあー』

 どたーんとひっくり返った。


「私は、Aya。黒龍よ。孤高の黒龍! 覚えておいて!」

 敵なしの仁王立ちになった。

「よってたかって、一人に四人? Kouも高く見られたわね。『銃は言葉より軽い主義』で、決して銃を所持しませんからね。このジャーナリストのKouは丸腰よ」


「何、この見張り達? 弱過ぎよ」

 Kouを見つめて、相槌を貰った。

「そう。Ayaが強過ぎ」

 Kouが、屈託なく笑った。


 Kouに駆け寄り、縛られている柱の後に回った。

 銃で右足首を痛めた見張りは柱の後ろにおり、Ayaに早々に退かされた。

 Kouの両手首と胴が縛られていた。

「手を上に捻って。……そう」

 Kouは、Ayaに従った。

「頼むな、Aya」


 ドシュッドシュッドシュッ。


 縛っていた紐を打ち千切った。

「Kou! ああ、無事なのね、会えて良かった」

「先ずは、腹が減ったよ、Aya。こんなに素敵な所で、レストランにも行けなかったよ」

 立ち上がって、膝を叩いた。

「レストランでもどこへでも行くわ。その前に、海岸に出ましょう」

「分かったよ。又、縛られても嫌だしな」

「Kou……! 貴方って面白い所も良いわね」


 海の彼方に昇る桟橋にかけて、真上の太陽が、コテージを一つ一つ照らしていた。


 ざ、ざざーっ。

  ざ、ざざーっ。

 ざ、ざざーっ。

  ざ、ざざーっ。

 ざ、ざざーっ。


 足跡を一つ。

  足跡を二つ。

 足跡が一つ。

  足跡が二つ。


 その足跡にまるで唇を重ねるかの様に二つの足跡で塞ぐ。

 砂浜に影で、Ayaが、Kouの横顔に自身の唇を預けた。

 潮がさあっと影を乱した。


「私のファーストキスは、黄昏時が良かったのだけどね。うふふ……」

 Ayaは、太陽より真っ赤になっていた。

「全く肌を合わせた事がないわね。キスすらも……」

 上目遣いのAyaにKouはさらりとしていた。

「……必要ないだろう? Ayaにも私にも」

「え……。嫌いではないのよね?」

 顔に曇りを拭えず、必死に迫った。

「好きか嫌いかとそう言う話は、別だと思うが」


「……キスならいい?」

「いや、止めた方がいい」

「どうして? ねえ?」

「私にも理性があるが、Ayaがその気になったら、困る」

 Kouは、視線を逸らした。


「何故? Kouの事、いない時もまるでいるかの様に感じてしまうの。貴方のいつもの周りに溶け込む服装でさえ、背格好の似た人を目で追ってしまうのよ。そして、違うと分かると落胆して……。小鳥の様に泣きたくなるわ」

「Ayaと一緒にいられない理由は、私の胸に仕舞わせて欲しい。頼む。しかし、そこ迄私の事を想って、苦しみの域に達しているとは……。すまない」


「すまない? それで済まされたくないわ! もう逃げないと誓って。私……。私……」

 軽く握った拳で、二度、Kouの胸を叩いた。

「いや、本当に、すまない……」


「あ……」

 Kouは、Ayaを抱き締めた。

 それは、雛鳥を抱える様に優しく。

「Aya……。Aya……」

 Ayaの耳元で、Ayaの名を呼びむせぶ。

 精一杯であった。

「ここで。ここで、別れるしかない……!」


 Ayaの細く長い首に、愛するKouの初めての涙を感じた。

「本気なのね? 嫌……。それだけは、嫌……。私に悪い所があったら直すから。全ての好みも合わせるから……! お願い! 別れたくない、別れたくない、別れたくないわ……」

 頬を濡らしたのは、二人の涙であった。


「一度だけ言う。聞いて欲しい」

 Kouは、抱き合ったまま、囁いた。


 ざざざざざざざざ……。

  ざざざざざざざざ……。

 ざざざざざざざざ……。


「私達は、兄と妹だと知ってしまったのだ」


 ざざざざざざざざ……。

  ざざざざざざざざ……。

   ざざざざざざざざ……。


「う、嘘……」

「貴方の面白い所も好きだけれども、冗句は止め……」

 遮る様に重ねた。

「本当なんだ……」


「ただ、これだけは、信じて欲しい。私は、君を……」

 真っ直ぐに見つめ合った。

「妹以上に愛している……!」

「誓う……! 誰よりも愛している……」


 Kouは、Ayaに別れのくちづけをした。


「はあっ……」

 優しく。

「はっ……」

 荒く。

「ん……」

 思いの丈を……。

「……」


 暫くして、Kouが何も言わずに、背を向けた。

 ナイフでも刺さっているかの様な。


「あ、ま、待って! このメッセージは、分かる?」


 ざばざばざば。


 どんな事でも良かった。

 引き止めたかった。

 なりふり構わず、Kouを追った。


「メッセージ?」

「赤いハンカチのよ」

 胸ポケットから出した。

 “富有兎とみあり うさぎSophiaゾフィア Haseハーゼ

「裏にはこれ」

 “Emiliaエミリア Bachバッハ小川おがわえみりあ”

「私には、どの名前にも心当たりがないのよ……」


「これは、ローマの男から、私が得た情報と同じだ。電話している風にして、これを私に話し、弱みにしようとした、データベース」


「Ayaと私の母の名だ」

「……!」

「父は、“Luisルイス Haseハーゼ”」


「私の母は、元々ドイツにいた。Emiliaエミリア Bachバッハは、二七歳で、未婚のまま、私を身籠り、日本で小川えみりあとして、赤子の私を抱いた」


「そして、富有兎は、日本人。Luisルイスとは、二三歳で婚姻し、名を変えてAya、君を産むも逃走。Ayaの母は、Sophiaゾフィア Haseハーゼ

「そして、君の名は」

「止めて! 母は、もういないわ」


「君の名は、Ayaアヤ Haseハーゼ


 ざざざざざざざざ……。


  ***


 ――リューゲン島に向かう影が二つあった。


 Kouの秘匿は、Ayaを哀しませるだけなのか。

 恋の秘密と向い寄る影が、渚にゆだねて、揺れていた。

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