第19話 風の呼び声

□第19話□

□風の呼び声□


「黄昏て来たのう……」

「そうですね。ウルフおじいちゃま……。少し涼しくなって来ましたね」

 二人は、開け放した教会の入口からの風を甘く感じていた。

「寒いのかのう?」

「いえ……。それより、ウルフおじいちゃまは、絵を描かれていたのですか。初めて知りました」

 “ジレとアデーレ” は、取り出さずに、隠したままだった。

 隠したと言う事は、何か意味があると思ったからだ。


「昔は絵が好きでの。あそこにある、“最後の晩餐” 風の油絵は、儂が描いたのじゃよ」

「ん……。“ジレとアデーレ” とは、又、違った雰囲気ですね。“Leonardoレオナルド da Vinciヴィンチ” の構図を借りて、オリジナルに落とした様な感じがします。むくは、ウルフおじいちゃまの描いた絵が好きです」

 首を傾げてにこりとした。

「“ジレとアデーレ” が特別なんじゃよ」

「特別と言うと何ですか?」


 ウルフは、語り出した。

「むくちゃんも高校生になったし、夏休みになったからの。儂の昔描いたこの絵を見せたくなったのじゃよ。この絵に、託した、“遺志” を伝えるのは、儂の使命じゃと、子が生まれ、孫が生まれるに従って、強く思う様になったのじゃ」

「“遺志” ……。“ジレとアデーレ” に託された、“遺志” ですか……」

 むくには、幸せな恋人と言う印象が強かった。

 一体誰のどんな、“遺志” なのか、考えていた。

「そうじゃ」


「儂は、にゃんこっこにて、“未来への手紙Jの刻印撲滅機構” の男に接触されたのじゃ」

「どうしてですか? その方とお知り合いですか?」

 むくには、謎ばかりであった。

 

「知り合いではないの。“ジレとアデーレ” に某かの価値があるらしく、それでじゃ」

 某かと、ウルフは、敢えて伏せた。

 それは、誰かの気配を感じていたからであった。

「Jの刻印と聞くと、美術部員に届いたあの封蝋を思い出します。Aya様が持っていらしたあの手紙は関わりがありますか? 質問ばかりでごめんなさい」


「あの白い手紙は、むくちゃんと美術部員が受け取り、むくちゃんがアトリエで、“ジレとアデーレ” を探し当て、その絵を見てくれはしないかと仕向けたのじゃよ。儂のした事じゃ。それから、今は、Kouさんが本物の虫食いの手紙を持っておる」


「ウルフおじいちゃま……」

 むくは、甘い風が強くなったのを感じて、髪をおさえた。

「むくちゃんが見たなら、用は済んだしの。どんな利用をされるか分からん。誰かに見つかる前に、ベルリンへ運んだのじゃ。空港からこの教会迄は、Kouさんにも手伝って貰っておる」

「はい。幾つかの不思議な事が分かりました」

 

「“ジレとアデーレ” は、儂の……」


 ドシュッ。


 教会入り口の砂利が弾け、雑草が千切れ飛んだ。

「お話を聞かせていただいたわ。ありがとう。その絵を待っていたわ」

 肩幅に足を開いて立つ烏が教会から見えた。

「Aya様……! いつの間に……」

「悪い事は言わないわ。その、“ジレとアデーレ” をくださらない?」

 手招きをした。

「まだ、我々の遺志は繋いでいないのじゃ。そうそう渡せんぞ」

 語気は強めであった。

「止めてください、お二人とも」

 むくが、駆け寄ろうとした。


「銀髪のお兄さん。母が標的を外したのは、後にも先にも貴方だけだと思うわ。今度は私が逃さない……!」

 Ayaは、“Schwarzシュヴァルツ Dracheドラッヘ” を向けた。


 ドシュッ。


 ウルフは、“マグダラのマリア” を背にしていた。

 弾丸を避けずに、右手をさっと前に出し、素手で止めた。


 カラーン……。

  カラーン……。

   カラーン……。


 未だ屋根も壊れていないこの小さな教会で、ウルフの手から落ちた玉が反響した。

「う、うっそ……」

 Ayaは、一歩後ろに下がった。

「後ろに、“マグダラのマリア” があるでの」

「信じられない! 今、弾丸に触らなかったでしょう? 空気抵抗みたいな物が見えたわ」

 Ayaは、自分の目を疑った。

「教会にも、銃は相応しくないぞ」

 ウルフは、狼の目をしていた。

「Aya様、ウルフおじいちゃま、拳銃とか止めましょう。お怪我はないですか?」

 むくは、ウルフの近く迄寄った。


「……わかったわ。これ以上、撃たない。だから、Kouの居場所を教えてください」

 両手を上げて、降参のポーズにした。


「そうか。アトリエにある『無垢の妖精』のフレームにキーがあるの。しかし……」

 ウルフは、言い淀んだ。

「しかし?」

 Ayaに焦りが見えた。

「しかし……。Kouさんとは、会わない方がええぞ」

「それは、私が決める事よ」

 強気に出た。

「年寄りの話は聞くものじゃ。傷付いてからでは、可哀想だからの」

 ウルフは、眼差しで哀しみを物語った。

「まあ、いいわ。とんぼ返りになるけれど、サヨウナラ」


「待って……。ウルフおじいちゃまの話を聞いてください。何も根拠がなくてお話しする方ではないのです」

 むくは、弱々しくも駆け寄り、Ayaの腕にしがみついた。

「他人が何を知っていると言うの? むく様」

「いや、ええよ。Kouさんから、直接聞けば、納得もするじゃろ」


「……そんな。何かに傷付いてしまうのでしょう? むくは見逃せないです。ね、Aya様。アトリエに行くのは、一緒にしましょう」


 ザッヒュー。

 カラッカラッザザザ……。


 その時、一等強い風が吹き、辺りをさらった。 

「……急いでいるの。会いたいのよ。ただ、会いたいだけなの。一刻も早くね」

 むくは、振り払われたが、めげなかった。

「むくが、力になります。だって、『無垢の妖精』は、自分の作品ですから」

「でも、ヒントだけでいいわ。私は、日本に帰る事にします」

 振り返り、残して行った。


「ありがとう、妖精と銀髪のお兄さん……」


 黄昏の風が去り行く中、烏は歩んだ。

 あの人は、そう、生まれ故郷を探すかの様に……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る