魔女は硝煙の中で煌めく

砂夜

序章


 ――さあ、世界で一番硝煙と魔法の似合う魔女を紹介しましょう。


 七月下旬、日本某所。これからが金稼ぎの本番だとばかりに活気づく繁華街の中央付近。そこから、やや外れた場所に位置する十二階建てのビルの七階。その日も寝苦しい、蒸し暑い夜だったが、その一室はクーラーが惜し気もなく冷たい風を吐きだし、肌寒いほどだった。

 中は狭くも広くもない。出入り口付近には観葉植物、窓際に机、真ん中には高そうな木製のテーブルが陣取り、対面するようにソファーが鎮座していた。概ね、応接間と言って差し支えないだろう。実際、ここでは商談が行われていた。売り手と買い手が一人ずつ。そして、それぞれのボディーガードが二人ずつ。全員日本人だった。

 黒いスーツを着た初老の男性と、同じくスーツを着た若い男がテーブルの上に商品と金を並べていた。前者は売り手。後者は買い手である。積まれた百万円の札束は山を築き、日本円で八ケタに及ぶだろう。商品はまだ桐の箱に入ったままだ。絹の紐でしっかりと縛られている。買い手が待ち焦がれた商品のお披露目。

となるはずだった。

 しかし、計六人の男達は揃って沈黙し、同じ方向を見ていた。出入り口となる扉が開いている。こっそりと慎ましく済ますはずだった密談がバレていた。

部屋へと、彼女が足を踏み入れた。

「こんばんは。ご機嫌はいかがですか?」

 ブーツを小気味よく鳴らし、腰まで届く金色の縦ロールヘアーをなびかせながら応接間に参じた女の名はフレデリカ・ラズベリー。魔術のために己が命を燃やすと誓った生粋の魔術師だ。今宵の獲物を前にして、その碧眼は己の勝利のみを信じて疑わない強気な色を湛えている。まるで、今日の主役はこの私だと言外に告げるかのように。

 歳は十八歳。身長は百七十センチ程である。白い肌は健康的な証しとして薄っすらと赤みがかかっていた。その左手の人差し指には、精緻な細工のほどこされた純銀の円環が嵌められている。これは、女が姉より譲り受けた《アーガリスト》と呼ばれる魔導具だ。

そして、魔女の身を包むのは炎が具現化したような紅蓮のドレス。

 しかし、それは詩を読み、紅茶を飲むのが仕事のようなか弱い姫のための衣服ではない。戦場で馳せるための、生と死を身近にする、踊り手にして歌い手の為の晴れ着である。

動きやすさを重視しているのか、大胆な露出がいたる所に施され、張りのある肌を惜し気もなく晒している。特に、胸元が大きく開いていた。

 豊かな膨らみには右手が添えられ、女は優雅に微笑んでいる。

その美しさはまるで、荒れ地に一輪だけが咲き誇る鮮烈の薔薇か。どんなに磨き抜かれた宝石も、彼女の前では霞んで見える。生あるがゆえの淫靡さ、美貌を彼女は体現していた。

 ただし、応接間にいた人間にとっては、異端者に他ならない。一早く反応したのは買い手のボディーガードだった。腕力自慢の屈強な男二人が呆れ顔で女を外へ出そうとする。

「おい、どこからはいってきた。ここは関係者以外立ち入りを禁じ」

 筋骨隆々禿げ頭の言葉が止まる。その目が驚愕で見開かれた。

 フレデリカが右手でドレスの裾をたくし上げる。

 外気に晒される右の太股に巻かれた革製のホルスターから、一丁の回転式拳銃を引き抜いた。

 凶悪たる三五七マグナム弾を扱える、スタームルガー社製のGP‐100である。

錆びに強いステンレスフレームが天井の明りを受け、銀にも近い、冷たい色を反射していた。

 その拳銃を見た、男達の顔が一瞬だけ強張る。

「こいつ、銃を持……!」

 男の一人がスーツの内側に隠した自動式拳銃を抜こうとしたときには既に、フレデリカはGP‐100の撃鉄を起こしていた。

そして、少女は銃口を剥げ頭の左胸へ向けて、右手の人差し指で撃鉄を絞る。


 マズルフラッシュ――オレンジの飛沫を上げて、乾いた轟音が大気を叩く。


 音速で射出された弾丸が螺旋を描き、音速で男の左胸を抉った。三五七マグナムの衝撃で、男の上半身が仰け反り、そのまま後ろへと倒れる。遅れて、スーツが穴の開いた部分から血が染み出し、床を汚した。白目を剥いた男は数秒だけ小刻みに痙攣し、二度と動かなかった。

 残っていた買い手のボディーガードが、ようやく自動式拳銃を抜く。しかし、もう遅い。フレデリカは銃口を横に一メートルずらして、また発砲した。耳や鼻にピアスをした男の右目をぶち抜き、仰け反らせ、二発目で額へ当てる。

 フレデリカが六発入りの回転式弾倉(シリンダー)へ装填した三五七マグナム弾の系統はウィンチェスター社製シルバーチップだ。これは先端に窪みがある弾薬(ホローポイント)系であり、被弾者の体内で先端から潰れ、拡張する。

衝撃が増加され、肉体を効率よく損傷させる剣呑な仕上がりだ。

 さらには、ある程度の貫通力を稼ぐために鉛のコアをニッケルと銅亜鉛で被甲されてある。硬い物を撃ち抜くような貫通力に秀でた弾丸ではないが、額を割るには十分だった。

音速の衝撃波が脳味噌を機能不全になるまで破壊する。支えを失った人形のように、男は膝から崩れ、ソファーにもたれかかるように絶命した。

 男の血が白いソファーに吸われるさまを間近で目撃してしまった買い手の、二十代後半の男が悲鳴を上げる。

「なんだ、なんだこいつ!? 誰か、なんとかしろ!」

「うるせえですわね。静かにしてくださいな」

 フレデリカが顔をしかめると、買い手が素直に黙った。いや、もう喋れないのだ。首から上が表情を凍らせたまま、ごろりと滑り落ちた。床を転がり、すぐに止まる。

 目を丸くしたフレデリカは小首を傾げた。男を斬ったのは売り手のボディーガードだった。白い髪をオールバックにした背の低い男が手に握っていたのは剣ではない。トランプであった。見えない板か棒にでも接着剤で貼り付けたように縦一列に十三枚分並んでいる。紙の札が刃となって首を斬ったとでもいうのだろうか。トランプにはべっとりと血糊が付着していた。

 少女は頷く。相手も自分と同じ魔術師だったと。

 売り手である初老の男へ視線を向けると、男から口を開いた。

「……いかんな。君の目は非常に好かない。そこに積まれている金を渡したところで退かないだろう? ああ、なるほど。碧眼と純銀の指輪。ラズベリー家の次期当主が日本にいると聞いていたが、君がそうか。銃器を持っているとは驚いたな。いつから君の家系はガンマンの真似事をするようになったのかね?」

 座ったままの男へ、フレデリカは肩を竦めて言った。

「確かに私はラズベリー家の人間ですが、それはフランカお姉様のことですわ。生憎と、私には魔法の才能はありませんの。私は魔力の総量が他者と比べて極端に低く、魔力のタンクとなる術具アーガリストが無ければ下位魔法でさえろくに発動できませんの」

 アーガリストには円環を一周するように等間隔で柘榴石(ガーネット)が埋め込まれてあった。深い赤色の石の数は十二。その内、七つが蛍火のように淡い光を灯している。内在魔女の総量が低い彼女は、この指輪に魔力を溜めているのだ。光は、メモリの役目を担っている。

 枯れ木のように身体が細い売り手の男は、険しい顔をわずかに緩め、頷く。

「なるほど。なら、私の部下でもなんとかなりそうだな」

 男が指を鳴らすのとフレデリカが引き金を絞るのはまったくの同時だった。三五七マグナムが秒速三百五十メートルの速度で初老の男へ飛翔するも、間に割って入ったトランプの一枚が小粒の殺人鬼を受け止める。ひしゃげた弾丸は推進力を失い、地面に落ちた。対しトランプには凹みも傷も焦げ目もない。

 さらに、トランプは一枚じゃなかった。何百枚もの紙札が初老の男を取り囲む檻になってしまう。物体の操作と強化。単純な魔術ながら、攻防に秀でており効率が良い。

「携帯できる剣にして盾ですか。それは便利な術式ですわね」

 オールバックが売り手を守り、もう一人の男が行動に移る。肩までかかる金髪の男は、腰に差した柄から剣を引き抜いた。刃渡り八十センチはあろうかという西洋の剣。切っ先が鋭く細身であり、典型的なショート・ソードだ。

 男は剣を構え、厳かに呟く。

「我、退路を求めぬ者なり」

 魔術。それは、術者の精神力を媒介にして魔力エネルギーを精製し、奇蹟を行使する異能。

発動させるには極度の集中力が必要不可欠だ。よって、呪文の詠唱による精神高揚は集中力を高める基礎技術である。魔術師の戦いは術具と呪文を併用するのが一般的だ。

 フレデリカは右手に拳銃を保持したまま、左太股のホルスターから大振りのナイフを引き抜いた。鍛造造りの刃の冷たい輝きが緊迫した空気をさらに張り詰めさせる。男は口を閉ざしたまま、剣を両手で握って地面を蹴った。疾風の如き速さで女に肉薄する。

 肉体と剣の強化。戦士として必要不可欠な魔術。男の冴えに、フレデリカは舌打ちした。呪文を唱える暇はない。《アーガリスト》の一メモリの半分を消費して、女も肉体とナイフを強化する。それでも、

「強引ですわね。そういう性格は嫌われますわよ」

 正面から防ぐのは不利だと悟り、フレデリカは槍のように突き出された剣先にナイフの刃を合わせて横にいなした。そのまま軸足をつくって回転し、男の後ろを取る。しかし、すぐに反転した男が剣を振った。

 横薙ぎの一撃を、頭を屈めて回避し、床を蹴って後方に下がる。右手だけで撃鉄を起こし、引き金を絞る。しかし、男の足元に着弾しただけでショート・ソードがまた襲いかかってくる。

最後の一発も、剣に弾かれてしまった。逆に間合いを詰められ、暴風の如き斬撃がフレデリカと再び繰り出される。女はナイフで強引に刃をずらし、反動を利用して下がり、距離を開ける。

 トランプの男は攻勢に出ないようだ。防御と攻撃の両立が出来ないのか。あるいは、一人で十分だと甘く見られているのか。フレデリカは壁際を沿うように走り、男との距離をさらに広げようとするも、鋼鉄の剣はぴったりと追ってくる。まるで、空間を限定された死の鬼ごっこ。

フレデリカは歯噛みしてメモリ半分を消費。短く呼吸を切り、呪文を唱える。

 長ったらしい言葉はいらない。

 戦闘に特化するために、呪文は必要最低限に留める。

「……コードA4。セクト!」

 簡易だった身体強化へ魔術を本来の効果まで引き上げる。胴から真っ二つに断たんとする男の剣へ、真正面からナイフを叩きつけた。硬い金属同士のぶつかる澄んだ音が余韻を残し、女はたたらを踏んだ。一瞬、手が痺れる。それほどまでに男の一撃は重い。

「この、筋肉馬鹿!」

 悪態をついたフレデリカは後方へ跳び、ナイフをホルスターにしまった。

GP‐100のシリンダーをスイングアウトして、空薬莢を排出。さらに、左足の太股に巻いたホルスターから抜いた《弾丸数発を纏める留め具(スピード・ローター)》で六発を一括装填する。ようやく真鍮の殻が地面に落ちた頃には既に、横へ振り出されていた回転弾倉は元の位置に戻され、撃鉄が起こされてあった。

 不安定な体勢だというのに、淀みなく銃口を敵の心臓へ向ける。

 今度は黒の厚いゴム製グリップを両手で保持していた。

 そして、引き金を絞る。

 発砲音は先のそれとは二回りほど大きさが違った。轟雷にも近い、腹の底に響く、重く鋭い音だった。オレンジから緋色へと変化した発射炎が、刹那の生を許された蓮華となり、弾丸が虚空を走る。また弾けばいいと剣を振った男の浅慮を、フレデリカは鼻で笑う。

鋼の刃が弾丸を受け、火花を散らし、手からすっぽ抜けたのだ。武器を失って呆然とした敵へ接近した女は、再びナイフを引き抜き、遠慮なくナイフで喉元を切り裂く。

 喉から血が間欠泉のように噴き出し、男は深い海の底に溺れてしまったかのようにもがきながら倒れ、絶命した。動揺し、顔を強張らせた最後のボディーガードへ、フレデリカは銃口を突き付ける。

「ホットロード。通常よりも火薬の量を増やしましたの。ここまで威力を上げると片手では御し仕切れませんわね。……あら、それほど驚くようなことですか? いくら強化を施したとしても限界はあるでしょうに。それとも、魔力が多ければ優勢に立てると思っていたのかしら?」

 火薬を増強した三五七マグナム弾の威力は、牛の頭部を固い地面に叩きつけた林檎のように破裂させる。対人用と呼ぶにはあまりに剣呑な弾薬の使用を、フレデリカは躊躇わない。手加減して勝てるような敵ではないからだ。元より、悪人に慈悲などいらない。

 なんで魔女がそんなもん持ってんだよ、と言いたげな男の視線も気にせずにフレデリカは撃鉄を起こした。魔女だからといって、なにも攻防の全てを魔術に頼る必要などないのだ。

指先一つで一定の火力を約束してくれる銃器は、魔力総量が平均よりも少ない彼女にとって実に魅力的だ。左右の腕を使えば女の細腕でもホットロードの反動に耐え切れる。

 男が右腕を微かに動かした。同時、フレデリカは引き金を絞る。

防御も回避行動もとれなかった男の左胸へ、威力を強化されたシルバーチップが三発ほぼ同箇所に撃ちこまれる。弾丸が肉を裂き、骨を砕き、衝撃で心臓を蹂躙する。

「遅いですわよ?」

 男の身体が大きく痙攣し、その場にくずおれる。すぐに生温かい血が床を汚し、湯気を上らせている。鼻孔に入りこむ鉄錆びの臭いに、女はやれやれとばかりに嘆息した。

トランプの檻が、術者を失ったせいで術式を崩壊させて崩れる。てっぺんから雪崩のごとく紙札が地面にばら撒かれる。

 そこに、売り手の姿はない。

 逃げられた。いつもなら失態だと憤慨するところだったが、フレデリカは眉を潜めた。テーブルには血飛沫の飛んだ札束と箱が置かれてあるままだったからだ。命からがら逃げたから忘れていたのか、それとも。

「このお金。貰ってもよろしいのでしょうか? ……いやいや、駄目ですわよフレデリカ・ラズベリー。誇り高きラズベリー家の人間が火事場泥棒なんてもっての他ですわ。と、とにかく、違法取引された術具の確認をしなければ」

 大きくかぶりを振って、フレデリカはテーブルの上に置かれてあった、片手に乗るサイズの箱の紐を解き、開ける。入っていたのはコルクで閉じられた硝子の瓶だった。中には何も入っていない。なんら価値のないように見えるが、女は苦い顔をした。

「蟲毒を育てる専用の器ですか。なるほど、成り金が欲しそうな術具ですわね」

 それは中国魔術の一種である。毒性を持つ蜘蛛や蛇、ムカデなどの小さい生物を一つの容器に入れ、殺し合わせる。餌を与えないことで、共食いさせるのだ。最後に残った一匹が強力な毒を有する《蟲毒》となり、呪いには最適の術具となる。

 金持ちは揃ってしがらみが多いものだ。憎きライバルを蹴落としたいのだろう、とフレデリカは結論付ける。硝子の瓶を凝視すると、微量にだが怨念のこもった禍々しい魔力が付着している。

 フレデリカは硝子の瓶を放り投げ、GP‐100の引き金を絞った。

 射出されたマグナム弾が吸い込まれるように瓶へ直撃する。

 硬質な破砕音と共に硝子が粉々に砕け散った。

 これで、蟲毒の術は二度と使えない。呪いは立派な違反魔術だ。見付けたら即罰するのが原則である。

 今日の仕事も終わりですわ、と呟いたフレデリカはGP‐100を握ったままテーブルを椅子代わりにして座った。そのとき、視界の右端にきらりと光る物を発見した。

「あら。これはなんでしょう?」

 テーブルから下り、売り手が座っていたソファーの上に転がっているソレを左手で拾う。一見すれば高価そうな指輪だった。金の円環に大粒の金剛石が飾られてある。どちらも己を主張し合うせいか、いささか輝きに品がない。

 しかし、デザイン自体はどうでもよい。問題なのは、微弱ながら魔力を感じる点だ。

つまりは、魔法の媒介となる道具、術具であったのだ。フレデリカは今回の仕事内容を思い出す。支部から知らされたのは〝違法術具の売買現場の摘発〟である。先ほど壊した瓶はともかく、この指輪は違法ではないようだ。

 売り手の落とし物だろうか。フレデリカは指輪へ視線を落したまま十秒黙考する。そして、握ったまま部屋を出た。ここでは調べる器具がない。家に帰ってからゆっくり調べようと判断したのだ。

 女はビルを出るまで一度も振り返らなかった。かわりに、空を見上げる。乱立するビルのせいで歪に切り取られた夜空には、疎らに散る星と三日月が浮いているだけだった。小さく息を吐き、銃身から熱がとれたGP‐100をホルスターに戻す。

 フレデリカ・ラズベリー。彼女は魔法の世界に生きながら硝煙を纏う魔操銃士(マジック・ガンナー)である。

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