第21話『マスドライバー』


 もはや一刻の猶予もない。



 デジタル表示されている高度計――その数値が、みるみる減算されていく。その数値が完全に溶けきり、0になった時。コフィンホーネットはもれなく、地面と同化キスする。



 残るのは焦げ付いたオイルの臭いと、原型を失った機体の残骸だけだ。



 コフィンホーネットは、すでに空を飛ぶための推進力を失っている。



 失速によって機首はだらしなく下がり、その翼は地面を向いていた。



 大型機なら風に乗り、グライダーのように滑空することもできよう。だがさすがに、戦闘機では無理な相談だった。



――しかもここはジャンクヤードに指定される地域である。雨や風が極めて少なく、機体保存に適した地なのだ。


 文字通り奇跡でも起きない限り、神風は吹かないだろう。



 墓守人は、奇跡を望む弱き心を棄てる。世の中ご都合主義はない。どんな良い奴も理不尽に死ぬ――それが現実であり、戦場で嫌というほど見てきた。



 だからこそ墓守人は、目を逸らさず、眼の前の現実をしっかりと凝視する。眼前にあるこの現実にこそ、生き残るための手段があるのだ。



 どんな熟練パイロットでも、こんな状況に陥れば、内心は焦燥感に駆られる。死への恐怖が判断能力を低下させ、視野が大きく狭まるのだ。




 それを助長させるかのように、計器から警告が鳴り響く。そのビープ音に混ざり、今度は失速を報せるアナウンスが舞い込んだ。




『WARNING! STALL!! WARNING! STALL!!』



 

もちろんこれらは、パイロットの生存率を向上させるものだ。しかし 今はまるで『焦れ、もっと焦れ』と、囃し立てているかのようだった。




 だが墓守人とて、伊達に戦況を潜り抜けて来たわけではない。


 その焦る気持ちを捻じ伏せ、息を整えて気持ちを落ち着かせる。


 そして彼は、自分自身に言い聞かせた。




「考えろ……考えるんだ。必ず手はある! 必ず! どこかに!!」




 だが本当に、助かる術はあるのか? 墓守人が深層心理の中でそう思った時――生存への架け橋が見えた。それは、天と地を繋ぐ、希望の架け橋だった。




「……――ッ?! あれだ!!」




 墓守人は思わず嬉しそうに叫んでしまう。




「セイバーシルフ! クロームセキュリティ社の宇宙基地に着陸するぞ!!」



『不可能です! 貴機はほぼ垂直に降下中。滑走路に着陸するには、進入角度があまりに角度が深すぎます!!』



「ああそうだな。だが着陸するのは滑走路じゃない! ――マスドライバーだ。 あのマスドライバーに着陸するぞ!」



 まさに逆転の発想だった。



 衛星軌道上への物資搬送。膨大な燃料を消費することなく、比較的安価にシャトルを空へ打ち出す超巨大施設。それこそが、天空へと伸びるカタパルト――マスドライバー空への架け橋だ。



 レールガン電磁投射砲の応用として建造された施設は、言うまでもなく射出のみを念頭に置いた施設であり、航空機着陸のために使用されることは、万に一つもない。



 従って墓守人の出した案は、前代未聞であり、常識はずれも良いところだった。




 しかしこの現状で、他に代案はない。不幸中の幸いにも、空に向けられたマスドライバーの先端―― その遥か先の延長線上に、コフィンホーネットがいたのだ。まるで墓守人を助けるために、滑走路が自ら角度を変えているかのように。



 墓守人は決断を下す。



「もうこれしか手はない。セイバーシルフ。この無茶なランディング着陸に付き合ってくれるか?」



『無論です。私はあなたの僚機。最良のサポートをお約束します』



「最良のサポート……か」



『……どうかされましたか?』



「あ、いや。昔、連れ添った相棒も、よく似たフレーズを言っていたもんでな。ちょっとセンチメンタルになっていただけだ」



『不快な思いをさせてしまったのなら、お詫びし、訂正します。』



「不快だと? んなわけないだろ。相棒はもうこの世にいないが、俺にとって最高の相棒だった。だからそこは、『光栄です』って言って欲しかったな」




 セイバーシルフは、いつになく慎重な口ぶりで尋ねる。




『その人に、逢いたい……ですか?』



「ああ。もう一度だけでいいから、俺は相棒に逢って……――いや、今は問題に集中しよう」


 

『了解。相棒に逢いたいのなら……生きて下さい。ここで死ねば、その夢は永遠に夢の中。その夢を、この現実に引き釣り下ろしましょう。きっとあなたの夢も、それを願っているはずです』



「ハハハッ! 夢を現実に引き釣り下ろす、か! 気に入った! 面白い言い回しだ!!」



『あ、えっと。もしかして……不適切でしたか?』



「いや、お嬢様らしい気品ある言葉使いだ」



『推論するに、それは皮肉であり、ユーモアと判断します』



「あー、バレちったか。勘の良い娘さんだ」



『なにせ癖の強い編隊の僚機ですから。それと、会話リーダー機講師墓守人が優秀なもので』




 セイバーシルフなりのユーモアが炸裂したところで、ジェイクが本題に入る。




『墓守人。本来ならその馬鹿げた案を止めたいところだが……それしかもう、打つ手はない』



「ああ、我ながらバカげた案は重々承知の上よ」



『二人が話しているうちに、クロームセキュリティ社の宇宙基地と、再度連絡をとった』



「下の連中はなんて?」



『ざっくりかいつまんで言うとだな。マスドライバーに着陸したら、ぶっ殺すだそうだ』



「ハハハッ! だろうな! マスドライバーは金のなる木だ。それを台無しにすれば、クロームセキュリティは大損害を被る。しかも本社が敵に潰された挙げ句に、宇宙産業という稼ぎ頭も失うとなれば、俺のこと殺したくもなるわ」



『撃ってはこないとは思うが、気をつけろよ。墓守人……』



「なんだ? えらくかしこまって」



『―――――、幸運を』



「ありがとう、ジェイク。それじゃ地上で会おう。生還記念に、しこたま旨いビール奢ってやる」



 もしかしたら。この会話が最後の通信になるかもしれない――。


 ジェイクの脳裏にそんな言葉が過る。だが『そんなはずはない!』と振り払うように、彼は明るい声で幸運を祈った。




『OK、楽しみにしてるぜ! つまみも忘れずにな!』




 ジェイクは笑いながらそう告げると、墓守人の編隊から外れる。



 このまま寄り添って飛んでも意味はない。それよりも、墓守人を奇襲したUAVの行方が気になる。この現状の発端となった犯人――それが今も、この空域に隠れているかもしれないのだ。



 Su-37は編隊から一時離脱し、周辺警戒へと移行する。



 それとは真逆に、セイバーシルフはコフィンホーネットに寄り添う。目の見えないコフィンホーネットを導くのは、彼女を置いて他にない。




 セイバーシルフは、コフィンホーネットに影響が出ないよう、絶妙な距離を保ちつつ、墓守人に助言する。



『現在高度3411フィート  進入角度修正を要求します。機首をコンマ二度上げ、修正を実行してください』



「二度修正……どうだ?」



『問題ありません。そのまま機体を維持してください』



「簡単に言ってくれるぜ」



『難易度の高さは把握しています。そもそも両エンジン損傷の機体が、マスドライバーに着陸するというシミュレーションデータすらないのですから』



「だろうな。我ながら、馬鹿げたアイディアだと思うよ。シャトル射出機であるマスドライバーに、着陸……いや、不時着するだなんてよぉ」



『遺憾ながら肯定します。ランディングギアを使用せず、胴体での着陸が最適な手段と判断します』



「やっぱそうだよな。脚を出したら、その空気抵抗でバランスを崩しかねん。マスドライバーに機体を擦り付ける感じで行くしかない」

 


『必ず成功させましょう。あなたなら、不可能を可能にできる。高度1983フィート。進路そのまま。修正の必要はありません』


 

「了解した。そろそろだな」




 墓守人の瞳に、自機と巨大なマスドライバーが映る。




「まさかマスドライバーに着陸する日が来ようとは……」




 そう自虐的にボヤきつつ、彼は緊張をほぐすため、ゴクリと息を呑む。


 熟練の飛行士である彼でさえ、前例のないこの事態に緊張している。やり直しはきかない――推進力がない今、すべては一発勝負なのだ。


 


 荒くなる鼓動を静めるため、墓守人が呼吸を整えている中――それは起こった。




 宇宙基地の対アンバーレイダー用自衛火器 Anti Aircraft GunA A GUN

が作動したのだ。


 対空火器であるAA GUNが、コフィンホーネットに狙いを定め、多銃身砲から大量の火矢を放つ。



 弾丸の猛火――コフィンホーネットはその火矢に晒されながらも、体勢を維持したままだ。そもそもエンジンが死んでいるため、反撃はおろか、逃げることすらできない。


 重力に導かれ、落下する鉄の塊なのだ。




「馬鹿野郎ぉ! 俺は味方だぞ!! そういうのは翡翠の侵略者に向けてやれ!!」



『これは威嚇射撃です! そのまま続行を!!』



「野郎ぉ! これでドジって死んだら、枕元に化けて出てやるからなぁ!!」




 コフィンホーネットがマスドライバーへと落下していく。次第にリニアレールの先端部に接近していく。目視でも、不時着するだけの幅は十分にあった。


 そしてコフィンホーネットがマスドライバーの先端部を通過する――




「―――― 今だ!!」




 墓守人はその瞬間――着艦用のフックを下ろし、レールの溝へと引っ掛ける。これで機体の横転を防ごうというのだ。


 そしてコフィンホーネットのエアブレーキを展開させ、マスドライバーに擦り付ける形で、減速を開始した。





 キィイイィイイィイイィイイィイイィイイ――――――ッ!!!!!





 甲高い金属音が響き渡る。


 機体がレールに押し付けられ、盛大に火花が飛び散る。機首のブレードアンテナが早々に吹き飛び、レドームは無残にも、摩擦によって砕け散った。



 痛々しく、剥き出しになるレーダー素子。コフィンホーネットは崖のようなマスドライバーの坂を、高速で滑り続ける。



 なにせマスドライバーのレールは、宇宙に向けて作られたものだ。角度は急で、すぐさま減速できるものではない。


 コフィンホーネットは機体下を真っ赤に染め上げながら、永遠とも思える長き坂を下り続けた。




――そして、着艦用フックが耐久限界値を越え、へし折れてしまう。




 コフィンホーネットはレールから外れ、徐々に横滑りし始める。



 もはやこれまでか――。そう思ったもの束の間、機体の速度が少しずつ緩み始める。数秒後には、焦げ臭いと共に、コフィンホーネットは停止した。



 墓守人は絶体絶命の危機を乗り越え、不時着に成功したのだった。



 彼は真っ暗なコックピット内で、緊急脱出用のレバーを引き、装甲キャノピーを排出イジェクトさせる。


 墓守人は機械の棺桶の中で、上半身を起こす。そして久々に、センサー越しではなく肉眼で、外の光景を目にした。



 外は夜が明け始め、新しい一日が始まろうとしていた。



 今まさに顔を覗かさせた朝日に照らされつつ、墓守人は無線を繋ぎ、二人に無事を報せる。




「あー、一つ提案なんだか……そろそろ夜も明けるし、酒と買い物は明日でいいかな?」




 冗談混じりなその生還報告に、ジェイクとセイバーシルフは笑みを浮かべる。そしてホッと、胸を撫で下ろしたのだった。




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