冷やっこい猫
鳥釣りの家のドアには、下の方に小さな穴が開いています。それは特別に、猫のために開けた穴です。
このお話に猫なんて出てきたっけ? いいえまだ登場したことはありません。この猫は鳥釣りの家に住んでいるわけではないのです。たまにふらりとやってくるだけの、そしてその姿を探せばもういない、たいへんな気まぐれ屋なのでした。だから猫の出番はここからです。
夜、鳥釣りが家に戻ると、猫が目玉焼きを食べていました。
「やあ、来てたのか」
鳥釣りは後ろから声をかけましたが、猫は片耳をぴくりとさせただけで、鳥釣りのほうを見もしません。卵の黄身をすくい上げるのに夢中なのでした。卵を食べ終わると、猫はじゅうたんの上に移動しました。鳥釣りが読みかけていた本を見つけて、寝そべってその本を読み始めました。
「しおりははさんだままにしておいてくれよ」
鳥釣りの注意に、猫は黒いしっぽを振って答えました。
猫は無口でした。そして騒がしいのが嫌いでした。だから熊が遊びに来たときなど、黙ってドアの穴から出て行ってしまうのでした。熊が挨拶をする間もなしに。客が帰ったあとに戻ってくることもあれば、そのまま季節が変わるまで来ないこともあります。いつ来ても、まるで我が家のように勝手に食事を作り勝手に部屋の隅で眠っているのです。猫があまりに静かなので鳥釣りも慣れてしまって、猫がいてもいなくても気にならないのでした。そんなふうなので、鳥釣りが次に気がついた時には、猫は本を開いたまま眠っていました。本の半ばほどにはさんであった葉っぱのしおりは、本から落ちて猫の枕になっていました。鳥釣りは鼻を鳴らしましたが、とても遠慮がちな鼻息でしたので、猫は知らずにすうすう寝ておりました。
そこへ、熊が訪ねて来ました。籠いっぱいに栗を入れて。
「栗をたくさん拾ったんだよ。ゆでて食べようよ」
鳥釣りは猫をちらりと見ました。猫はまだすうすう寝ています。いつもならノックの音だけで起きて出て行ってしまうのに、今日は目を覚ましません。猫を見て、熊は目を丸くしました。熊が喜んで叫ぶより先に、鳥釣りは口の前に人差し指を立てました。熊も前足で口をふさぎました。
ふたりはできるだけ音をたてないようにお湯を沸かして栗をゆでました。鍋を火から下ろし、鳥釣りがお茶を入れている間も、猫はぐっすり眠っています。
「よほど疲れているんだね」
熊は猫を気にしながら、ゆでたばかりの栗をひとつ、木のスプーンですくいました。
「まだ冷めてないぞ」
「大丈夫だよ……あつつ」
熊がつかみそこねた熱々の栗がテーブルにバウンドして宙を飛び、猫の背中に落ちてしまいました。
「ああっ、猫さんごめんよ」
熊と鳥釣りはあわてて猫のもとに駆け寄りましたが、猫はまだ気付かずに寝息を立てています。
熊が猫の背中を探りましたが、栗は見つかりません。
「熱くないのか?」
熊は首をかしげました。
「熱くないよ。冷やっこいよ」
鳥釣りも猫の黒々とした毛並みに指を入れてみますと、さらりとした黒い毛の下にはひんやりとした空気があるばかりで、猫の体に触れないのです。さらに手を差し込むと、爪の先がちりちりとして凍りそうになったので、鳥釣りは手を引っこめました。
「ね。冷やっこいでしょ」
鳥釣りが触ったところからは、暗い穴に粉砂糖のような星がちらちらと光を放っていました。ふたりがのぞき込むと、そのうちのひとつの星が次第に大きくなって、近付いてきたかと思うとぽん!と猫の背中から栗が飛び出しました。鳥釣りが拾った栗は、氷みたいにカチコチに冷えておりました。
そのとき猫が口をもぐもぐとさせたので、ふたりはつま先立ちでテーブルに戻りました。猫がうっすら目を開けると、鳥釣りと熊は山盛りにした栗を次から次へと口に運んでいるところでした。ふたりは猫を気にしてないふりをしましたが、猫のほうは熊がいるのを見てきまりが悪そうでした。
猫はえへんと咳払いをして、ゆっくりぐうんと伸びをしました。そして熊のほうを見ないようにしながら、すました顔でテーブルを通り越してドアの穴から出て行きました。
熊は猫を見送りたくて窓から顔を出しましたが、走って行ってしまったのか、それとも夜の闇に溶けてしまったのか、黒猫の姿はもうまったく見えないのでした。空にはさっき見たような小さな星ぼしが熊を見下ろしているばかりでした。
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