「おなか、すいた」
二度寝もできないまま、探す場所も思い当たらないまま、私は部屋でじっとしているしかなかった。LINEなんてどうしようもない。彼はスマホを持っていないんだから。
一番の心当たりである國橋君にLINEを送ったけれど、まだ眠っているのか既読もつかない。
「おなか、すいた」
どれだけ悲しくても、おなかは空くのが人間で。
それを支えてくれていた存在がいなくなったから、いつもの習慣として冷蔵庫を開ける。中にはお鍋が入っていた。何のお鍋かと思えばお味噌汁たっぷり鍋を満たしていて、隣には作り置きのタッパーが数個。肉じゃがときんぴらと、そのほかもろもろ。
そんなの数日しか持たないじゃん。冷めてるじゃん、おいしくないじゃん。
「アーサー君のバカ」
途方に暮れるというのは、こういう状態のことを言うんだろうか。どうしていいかわからなくなって、考えているうちにバイトに行かなければならない時間になった。
正直、行きたくはない。
こんな時に「行こう」と思えない。
そんなに人間出来てない。
だけど、ここで行かなかったら有村さんに迷惑がかかる。と思えてしまうほどには、私はやっぱりお人よしなのだ。それを心配してアーサー君はここに居てくれたのに。
どうすればよかったんだろう。私の何がダメだったんだろう。
だんだんと落ちていく思考回路を一時停止して、私はバイト着が入っているトートバックを手に取って、お財布やスマホを入れる小さなカバンも持って、部屋を出た。
「え、お姉さん大丈夫? 顔色悪いよ?」
仕事から帰ってきたらしいお隣さんが、私の顔を見てぎょっとしていた。
「大丈夫です。ちょっと貧血なだけで、問題ないです」
「そっか、気を付けてね」
「はーい」
バイトまでの道のりは空腹の為か、お腹がずっとぐうぐうなっていて、とうとう我慢できなくなって、バイト先の近くにあるコンビニでチキンを買った。
バイト先の皆とよく食べるもので、コンビニによって味が違うらしいけど、このコンビニのチキンがおいしいらしい。袋を破って、ぱくり、とチキンにかぶりついた。
「おいしくない」
おいしくない。
皆でワイワイ食べるときはおいしいのに。
コンビニの休憩所で一人で食べるとこんなにもおいしいと感じなくなるなんて。
私ってこんなに弱かったかな。
「おいしくないよ……」
みっともなくまた泣きそうになって、頑張って止めた。
今から出勤なのに涙なんか見せられるわけがない。ましてや、カラオケはほんの少ししかお客さんと接しないけど、接客業だ。
自分の脳から表情筋に向かって命令を出す。
笑え。
一人になってしまっても。
心のよりどころがなくなってしまっても。
それでも、仕事場に入る以上は。
笑え。
そう念じて、口角が上がった事を確認して、私は店へと続く階段に一歩、足をかけた。
「おはようございます」
フロントにいたのは、宵風さんだった。
彼女はパソコンを見ていて、こちらを見ることはなかったから、今のひきつった笑顔を見られなくて済んだと思う。
よかったと思ってしまった。
休憩室に行くと、紗姫ちゃんと紗姫ちゃんの想い人である多瀬さんが話していた。紗姫ちゃんは上がりで、多瀬さんがまだ上がってないけど紗姫ちゃんに引っ張られたのだろう。
「おはようございます」
「あ、みな美さん! おはようございま……」
紗姫ちゃんは、まるでこの世のものじゃないものでも見たような顔をして、固まった。
「どうしたの紗姫ちゃん」
「みな美さん、今日体調悪いですか?」
「ううん」
体調は大丈夫。
「そう、ですか」
納得はしていないのだろうけど、紗姫ちゃんはそれ以上何も聞いてくることはなかった。
「あの、本当に気分悪そうですけど、大丈夫ですか。人吉さん」
親切に多瀬さんが尋ねてくれる。けれど私は「大丈夫」だと言わなければならない。「大丈夫」だと思わなければ、私は立っていられない。だから私はこういうしかない。
「大丈夫です」
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